忌野清志郎の放送事故は伝説!若い頃はフォーク寄り&矢野顕子や坂本龍一との関係

忌野清志郎(いまわのきよしろう)さんは日本のロック界に多くのフォロワーを持つロックスターでした。

特に他のアーティストと違ったのは、普段の優しい雰囲気とは裏腹に反体制的なアクションを所があり、その姿勢が非常にロックでした。

そんな忌野清志郎さんが残した伝説の放送事故などについて、お伝えします。

忌野清志郎のプロフィール

本名:栗原清志

生年月日:1951年(昭和26年)4月2日

没年月日:2009年(平成21年)5月2日

身長:168cm

出身地:東京都中野区

最終学歴:東京都立日野高等学校卒業

所属事務所:ベイビィズ

忌野清志郎の放送事故は語り継がれる伝説

忌野清志郎さんが起こした放送事故で今でも伝説的に語り継がれているのは、1989年10月14日に出演した音楽番組「ヒットスタジオR&N」での事です。

その日は清志郎さんが組んでいた覆面バンドであるザ・タイマーズとして出演し、「デイ・ドリーム・ビリーバー」など5曲を披露するはずでした。

1曲目は予定通り「タイマーズのテーマ~Theme from THE TIMERS」を演奏しましたが、2曲目になると披露するはずだった「偽善者」ではなくFM東京を罵倒する楽曲を披露したのでした。


歌詞は「FM東京 腐ったラジオ 何でもかんでも放送禁止さ〜」という内容で、放送禁止用語なども含まれていたため、その場にいたスタッフは顔面蒼白だったと言います。

その行動の背景には、RCサクセションとしてリリースした楽曲をFM東京が放送禁止と扱った事があったからでした。

放送禁止になった楽曲は、反原発などを扱った楽曲が多かったことからリリース中止になった経緯のある「COVERS」というアルバムの楽曲でした。

また、TEARDROPSに作詞提供をした「谷間のうた」という楽曲が、歌詞が卑猥だという理由でFM仙台とFM東京で放送禁止の扱いをされたことがある清志郎さん。

FM東京罵倒ソングには、そのときの抗議も含まれており、FM仙台という歌詞も入っていました。

この放送事故が原因で、ザ・タイマーズはフジテレビを3年間出入り禁止になっています。

ですが、実際の現場は大きな問題にはしておらず、実際放送も途中で止められることはなく最後まで演奏を放映。

演奏終了後には司会の古舘伊知郎さんも「FM東京さんすいませんねー」と、軽い謝罪をしたのみでした。

ほとんどのスタッフは聞かされていませんでしたが、一部の関係者には承諾を得ていた、という話もありました。

2023年5月9日に古舘さんはテレビ番組でこの時の裏側を語っています。

リハーサルの時に「フルタチイチロー、フルタチイチロー」という歌詞で歌っているのをおかしいと思い、清志郎さんの楽屋に「本番で何か言うつもりですか?」と聞きに行ったそうです。

清志郎さんは「俺も大人だよ。迷惑かけないから!」と仰っていたそうですが、本番では伝説に残るような放送事故を起こしました。

現場の雰囲気は深刻な感じではなく、他の出演者の方々もハプニングを楽しんでおられたそうです。

現代の生放送では考えられないハプニングですね。


罵倒されたFM東京は、ザ・タイマーズの所属する東芝EMIからリリースされる直前だった松任谷由実さんのアルバム「LOVE WARS」からの楽曲を、一再放送しないという報復処置を東芝EMIに通知したと言われています。

後に清志郎さんは「怒られるかと思ったけど、プロデューサーはニコニコだった」と述べていました。

同年の大晦日には「ロックンロール・バンドスタンド」というイベントに出演。

その様子はNHKで生中継されていましたが、「FM東京の歌」を歌詞違いで演奏した清志郎さん。

最後にはNHKでは禁止されている企業名や商品名などを歌詞に入れ「明星即席ラーメン食べたいなー」と歌うと急遽映像が切り替わり、和室の居間に飾られた島倉千代子さんのポスターが映し出されました。

この時も最初からハプニングを起こすつもりで出演しており、腰から「始末書」と書かれた紙をぶら下げていました。

若い頃はフォーク寄りだった

忌野清志郎さんは日本を代表するロックスターですが、RCサクセションとしてデビューした時はフォーク寄りのサウンドでした。

当時はまだ19歳でした。

清志郎さんが音楽を始めたのは、1966年ごろに起きたフォークブームに刺激を受けたのがきっかけだったそうです。

同級生だった林小和生さんと破廉ケンチさんとThe Cloverというバンドを組んで活動していたそうです。

東京都日野高等学校に進学するもあまり学校には馴染めず、落第しない登校日数を数えで、ギリギリまでサボっていたそうです。

不良のようになって暴れたりするのではないのが、清志郎さんらしいですね。


高校の同級生には俳優の三浦友和さんがいて、三浦さんもパーカッションで参加して一緒にバンド活動などをやるほど仲が良かったそうです。

RCサクセションの1枚目のアルバム「初期のRCサクセション」に収録されている「金もうけのために生まれたんじゃないぜ」では、三浦さんの演奏するボンゴが収録されているそうです。

ロックスターになる前の清志郎さんも興味深くて素敵ですね。

矢野顕子や坂本龍一との関係

忌野清志郎さんは様々なミュージシャンと交流がありますが、特に矢野顕子さんと坂本龍一さんとは特別な関係があります。

矢野さんと坂本さんは一時期結婚しておられて離婚してしまいましたが、清志郎さんはどちらとも長く交流を持っておられました。

矢野さんと清志郎さんは伝説的に語り継がれているステージがあり、それは矢野さんの代表曲である「ひとつだけ」を清志郎さんとデュエットしたステージでした。

矢野さんも「この曲は清志郎さんと一緒に歌うためにできたんだ」と思うほどだったそうです。

坂本龍一さんとは、1982年2月14日にリリースされて大ヒットを記録したシングル「い・け・な・いルージュマジック」で共演しました。

メイクアップをした清志郎さんと坂本さんがキスをするミュージックビデオと共に、非常に話題になりました。

2013年5月2日に行われた清志郎さんの追悼イベント「忌野清志郎 ロックン・ロール・ショー 日本武道館 Love&Peace」では、離婚後共演が見られなかった坂本さんと矢野さんが同じステージに上がると言う事で注目されました。


そんな事が実現したのも清志郎さんの存在があってのことです。

これからも日本を代表するロックスターとして語り継がれていくでしょう。

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