小室等(こむろひとし)さんは、六文銭などの活動で知られる日本のフォークソングの草分け的な存在です。
井上陽水さん、吉田拓郎さん、泉谷しげるさんらと共に、現役ミュージシャンでフォーライフ・レコード設立し、初代社長も務めた日本の音楽界の重要人物ですね。
そんな小室さんのご家族についてなど、調べてみました。
小室等のプロフィール
本名:小室等
生年月日:1943年(昭和18年)11月23日
出身地:東京都葛飾区
最終学歴:多摩美術大学彫刻科卒業
所属事務所:オフィス・キーズ
小室等の奥さんは小室のり子
小室等さんの奥さんは、小室のり子さんです。
1971年4月25日にリリースされた小室さんのファーストアルバム「私は月にはいかないだろう」のジャケット写真には、レストランかなにかで隣同士で座っている2人の写真が使われています。
今こそ剛力彩芽に、小室等の「私は月には行かないだろう」をカバーしてほしい。 pic.twitter.com/CIFyDwT2Mk
— 下井草 秀 (@shimoigusashu) November 15, 2019
お2人がいつごろ結婚されたのかは明らかになっていません。
のり子さんは、小室さんが中心になり結成されたフォークグループ・六文銭に一時期所属していました。
1970年には中津川で開催された伝説的なフォークコンサートイベント「第2回全日本フォークジャンボリー」に「小室等と六文銭」として出演。
ボーカルの1人として出演している妻・のり子さんのお腹が大きいのがわかると思います。
この時、すでに小室さんと結婚されていたかは不明ですが、娘のゆいさんがお腹にいる状態だったそうです。
「'70の中津川は母のお腹の中にいながら出演していた(笑)」という、こむろゆいサン。吉祥寺フォークジャンボリーのステージ上と同じく、昨日も随所で小室さんをカゲで支えるサポートが光ってました。サイン(小室さんのお誕生日の日付入り!)をいただいてるときもジャケの解説をしてくださったり。 pic.twitter.com/mY6a0pQenN
— 五目亭ひじき (@gomokuteihiziki) November 24, 2021
もしかしたらフォークフループ活動を通して知り合い、結ばれたのかもしれませんね。
六文銭は1968年に結成され、4年間の活動ののち1972年に解散しています。
のり子さんが在籍していたのは1970年中のみだそうなので、出産を機に音楽活動からは身を引いたのかもしれませんね。
それ以降、のり子さんの音楽活動は確認できていないので、子育てに専念なさったのではないでしょうか。
ちなみに、小室等さんの楽曲「12月のうた」の作詞が茨木のり子さんとなっており、小室のり子さんの旧姓なのでは?と言われていますが、それは間違いです。
茨木のり子さんは詩人で、エッセイなども手がけていた方で、小室さんとはお知り合いだったそうです。
小室さんが歌詞をかけない時に相談すると「谷川俊太郎さんの詩を読みなさい」とアドバイスをくれるような間柄だったそうです。
娘・ゆいはミュージシャン
小室等さんの娘はゆいさんという名前です。
「こむろゆい」としてシンガーソングライターとしても活動されています。
2001年から放送されたアニメ「も〜っと!おジャ魔女どれみ」のエンディングテーマ曲「たからもの」では歌唱を担当されました。
非常に優しい声をされていて、小室等さんの影響を感じさせますね。
小室等さんとはユニット活動もされていて、2024年現在は「Lagniappe(ラニヤップ)」というユニットを親子で結成して活動しています。
Lagniappeとは「小さな贈り物」という意味で、名前に見合ったシンプルで優しい音楽性のユニットです。
親子で一緒に活動できると言うのは非常に良いですね。
そんなゆいさんのプライベートについて、結婚されているのかどうかは明らかになっていません。
一説では90年代に小室等さんが「どうしておじいちゃんは小室哲哉じゃないの?」とお孫さんに言われたという話があります。
ですが、話としてはおもしろいですが、それが実話かどうかはわからないため小室さんにお孫さんがいらっしゃるかどうかも明らかになっていません。
あの時代に小室等が孫から「なんでおじいちゃんは小室哲哉じゃないの」と泣かれたと言う理不尽を、式守伊之助さんが受けていないか心配。
— 天野 ヨゴロウザ (@yogorozaKKK) October 26, 2020
もしもお孫さんがいらっしゃったら親子3代で音楽活動、というのも夢のある話ですね。
現在(2024)も若い頃の熱い想いを持っている
小室等さんは、2024年で81歳。
デビューから55年以上経っていますが、現在もミュージシャンとして精力的に活動されています。
2024年現在までで個人の音楽活動での最新作は、2017年9月29日にリリースされたアルバム「プロテストソング2」です。
詩人・谷川俊太郎さんとタッグを組んだアルバムの第2弾です。
「プロテストソング」というのは、社会の不公平性や不正を告発し抗議するための音楽、という意味があります。
「プロテストソング2」で扱っているのは世界中で起きている紛争や、平和への危機など、社会へのメッセージソングです。
ポップスではできない、フォークソングだからこそできる表現を、「日本のフォークソングの父」と呼ばれる小室さんがこの年齢で発表していることに、非常に意義があるように思われます。
若い頃はフォーク全盛の時代で、多くの若者が社会への不満などをフォークソングに乗せて歌っていたような時代で、小室さんもそういった活動をされていました。
その頃の熱い想いを今でも持っておられる事に、若い頃から小室さんの音楽を聴いてきた方々は胸を熱くされるのではないでしょうか。
これからもまだまだ、素晴らしい音楽を生み出し続けてほしいですね。
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