津田寛治の若い頃の仕事。実家は福井。津田健次郎と兄弟の噂&がんと闘った父親

映画やドラマにと大活躍の俳優・津田寛治さんですが、若い頃どんな活動をされていたのでしょうか。

実家は福井ということですが、福井県にまつわる仕事や気になる兄弟の噂、父親についても調べてみました。

津田寛治のプロフィール

愛称:ツダカン、ツダンジ

本名:津田寛治

生年月日:1965年(昭和40年)8月27日

身長:173cm

出身地:福井県福井市

最終学歴:福井工業大学付属福井高等学校中退

所属事務所:ラ・セッテ

津田寛治の若い頃

津田寛治さんには17年も下積み時代があると言われています。

役者を志し18歳で故郷から上京したわけですが、役者の仕事で食べられるようになったのが35歳ごろなのだそう。

必然的に津田さんの若い頃と言えばほぼ下積み時代の話となるのですが、この下積み時代にも興味深いエピソードか多いのでそれぞれご紹介します。

『徹子の部屋』で大道具アルバイト

下積み時代数々のアルバイトをして生計を立てていた際、大道具のアルバイトで『徹子の部屋』のセットを作っていたこともあったそうです。

これについては2010年にゲストとして同番組に出演した際にも取り上げられていました。


黒柳さんも、津田さんが制作していた時代のセットの写真パネルを持ちながら、(セットを作っていた方がゲストで出演することは)長い長い番組の歴史の中でも初めての出来事と、興奮気味に話してました。

番組に出た時には、当時の事など思い出して嬉しかったと語る津田さん、夢を叶えた実感が沸いたひと時だったのではないでしょうか。

アルバイト先での北野武との出会いから『ソナチネ』出演へ

22、3歳くらいの頃、とある編集スタジオの喫茶店でバイトを始めた津田さん。

立地上有名な映画監督が頻繁に訪れる職場だったよう。

オーナー夫婦の許可を得て、市川準監督、伊丹十三監督、山田洋二監督、三池崇史監督など、ご自分が好きな監督にプロフィールを渡して売り込んでいたのだとか。

そのうちの1人があの北野武監督だったそうです。

はじめは付き人に囲まれて近寄り難かったと言いますが、お手洗いにだけは武さんが独りで行くことに気が付き、なんとトイレで監督に話しかけと言います。

監督は当然驚いた様子ながらも、必死に話す若者を邪険に扱わず、彼に渡されたプロフィールと手紙も受け取って胸ポケットにしまってくれたそうです。

とは言っても、特に進展はないまま時が過ぎたある日のこと、再び監督が喫茶店へ。

すると常々彼を可愛がって応援してくれていたオーナーの奥さんからの強力な援護射撃が放たれたのです。

彼女は北野監督に向かい、「何故うちの子(津田さん)をオーディションにも呼ばないのか、ひどい、見損なった」などと猛烈な勢いでアピールしてくれたのだそう。


これを見た津田さんは「もう駄目だろな」と思ったと言いますが、結果的には女将さんのこの援護射撃が北野作品への出演に繋がります。

その映画こそが1993年の『ソナチネ』、俳優・津田寛治さんのデビュー作なのです。

津田さんのデビューのきっかけは、ご自身のガッツ・オーナー夫人の応援・北野武監督の懐の広さによって生まれたものだったのですね。

人の運命は、他の人との出会いによって導かれるものなのだと痛感させられるようなデビュー秘話でした。

津田寛治の実家は福井

津田寛治さんの出身地は福井県です。

夢を叶えるべく東京へ移り住んだわけですが、年を追うごとに故郷への感謝の念が深まっているそうです。

津田さんの活動の中で、福井と関わるお仕事をピックアップし、彼の福井愛の深さを検証してみましょう。

福井にまつわる人物の役

NHK大河ドラマ『西郷どん』での福井藩主・松平春嶽役や『天地人』での大谷吉継役など福井ゆかりの人物の役に抜擢されています。

特に春嶽公へのキャスティングに関しては「福井出身だから彼にやってもらおう」という思惑があったとかなかったとか。

2018年開催された福井国体の際にもこの春嶽公としてオープニングセレモニーの司会を任されています。

大河以外でも福井の高校のチアリーディング部がモデルのドラマ『チア☆ダン』や福井弁で挑んだ『シューカツ屋』なども。

福井関連の役ならば津田さんにお願いしようと、頼りにされている印象すら受けます。

お芝居の仕事のために離れた故郷に、役者という仕事を通じて恩返しが出来るというのはご本人も感慨深いものがあることでしょう。

東京オリンピック・パラリンピック聖火ランナー

東京五輪の際には県内の最終ランナーを任された津田さん。

温かな拍手と歓声に迎えられ、ゴールである福井市中央公園に到着すると「皆で力を合わせて家族のようになれた」とリレーに関われた喜びを語っていました。


県内出身者ということで日頃から津田さんを応援している福井県民は多いでしょうが、津田さんにとっても彼らからの応援を直接感じることのできる忘れ難い体験になったはずです。

自撮り写真もトーチを片手に素敵な笑顔。

福井市観光大使、福井県『おもてなし担当』知事就任

2016年からは福井市観光大使として、同市の観光振興やイメージアップに尽力。

念願だったという観光大使就任に際しては、

昨年他界した母も喜んでいると思います

とコメント。

2022年には福井県『おもてなし担当』知事に就任。

北陸新幹線の同県での開業に向けた福井ブーム創出事業の一環として、方言を㏚する「福井の方言愛着ましましプロジェクト」に携わります。

津田さんはプロジェクトリーダーとして動画配信やショートムービーの制作、方言辞典制作など県民参加型の企画を推進。


彼は以前ドラマで福井弁で演じる機会があった際、方言だと感情がのせやすいと方言愛も明らかにしていたので、適任かもしれません。

また県民参加型企画ということですが、県出身の有名俳優がリーダーとなれば、注目度も増し興味を持つ県民も多いでしょう。

同プロジェクトの盛り上がりに期待できそうです。

『秘密のケンミンSHOW極』で熱く福井愛を語る

2021年3月にはバラエティ番組『秘密のケンミンSHOW』に出演、冒頭から故郷への愛を爆発させていました。

同県が全国幸福度ランキングで1位に輝き続けていることや、福井の油揚げ事情などを熱っぽく語った様子が印象に残っているかたも多いのでは。

番組を視聴した同郷の方もさぞかし喜ばれたことでしょう。

津田寛治と津田健次郎は兄弟なのか

津田寛治さんと人気声優・津田健次郎さんが兄弟という噂をよく耳にしますが、事実ではないようです。

プロフィールを調べてみると寛治さんは福井県出身、健次郎さんは大阪府出身で幼少時代をジャカルタで過ごしているという事でやはり兄弟ではなさそうです。

兄弟と間違われる理由は苗字が同じで外見が似ているから

2人が兄弟に間違われる主な理由は苗字が同じであること、そして外見が似ていることにあります。

百聞は一見に如かず、写真を見比べてみましょう。

顔全体のイメージが似ていますよね。

これは兄弟説が浮上しても仕方がないレベル。

二人には共通点もある

津田寛治さんと津田健次郎さんには、映画好きという共通点があります。

津田寛治さんは幼いころから映画が好きで、映画監督になりたいと思っていた時期があったが「頭がよくないと出来ない」と言われて断念したと明かしています。


一方の津田健次郎さんも映画好きで、中学時代から映画館に通い始めたそうで、彼もまた元々は映画を撮りたいと思っていたようです。

生育環境が似ていれば、同じものに興味を持つことも多いですよね。

お二方が共に映画好きであるというのも兄弟説を生み出した理由の可能性があります。

津田寛治の父親

津田寛治さんの父親は、彼が中学2年生のころに胃ガンで他界しています。

そのため彼は学生時代から色々とアルバイトに励んでいたようです。

津田さんは2020年に全国で公開された『山中静夫氏の尊厳死』という映画で今井という役を演じます。

今井は中村梅雀さん演じる末期ガン患者の担当医。

余命宣告を受けた患者と向き合う医師という難しい役どころですが、この役を演じるにあたっては昔ご自身の父親を担当した医師を参考にしたとインタビューで語っています。

父親が息を引き取った後、それまでどこか事務的で冷たい印象だった担当医に

医療の力でみんながいつか助かるようになるから。ごめんな

 
と声をかけられたのが頭に残っていたという津田さん。
 
当時中学生とまだ若かった津田さんですが、何か感じるものがあってずっと心に残っていたのですね。

こうして、色々な人々の思いを感じ取る心をもって生きて来た津田さんだからこそ演じられる今井医師があったことでしょう。


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