檀れいの実家の変遷。父親と断絶。母親との関係。兄弟は妹2人。本名の由来&波乱の生い立ち

宝塚時代は月組と星組で二度トップ娘役をつとめた伝説をもつ檀れい(だん れい)さん。

週刊誌が実家の複雑な家庭事情を報じて以来、父親、母親、兄弟への関心は高まる一方のようです。

家族のあいだで過去に何があったのでしょう。

本名や生い立ちにも注目しながら、複雑な家庭事情についてまとめました。

檀れいのプロフィール

本名:山崎まゆみ

生年月日:1971年8月4日

身長:162cm

出身地:兵庫県美方郡温泉町(現在の新温泉町)

最終学歴:兵庫県立浜坂高等学校、宝塚音楽学校

所属事務所:太田プロダクション

檀れいの実家は兵庫・京都・東京と変わる

檀れいさんは兵庫県北部の美方郡温泉町で生まれました。

温泉町は、ドラマ・映画・舞台でおなじみの『夢千代日記』の舞台となった町で、2023年現在は新温泉町となっています。

その名が示すとおり、「夢千代の里」として全国的な知名度を得た湯村温泉があります。


通っていた中学校が地元の温泉町立温泉中学校(現・新温泉町立夢が丘中学校)で、卒業後も温泉町の浜坂高等学校に進学していることから、おそらく実家も温泉町にあったと思われます。

その後、檀さんは宝塚音楽学校に合格しますが、ちょうどその頃に両親が離婚。

母親は新しいパートナーの男性が住む京都へ、子供たちを連れて移り住みました。

新しいパートナーとは、母親の再婚により檀れいさんの継父となった男性です。

両親の離婚によって10代で故郷を離れ、京都で新しい生活をはじめた檀れいさん。

宝塚音楽学校入学以降は、家族が暮らす実家が京都にあったことになりますね。

ご本人も自身の出身を京都と言っているそうなので、継父と暮らした京都のほうが思い入れが強く、幸せでもあったのでしょう。

ところが、2004年に継父が他界。

また正確な時期は不明ですが、母親も東京に転居したようです。

2019年には、檀さんが母親と同居していることや、以前から献身的に母親の介護をしていたことが報じられました。

及川光博さんと離婚したのが2018年11月ですから、その翌年には同居生活に入っていたことになります。

2023年現在、檀れいさんの実家は都内にありますが、詳しい場所は公表されていません。

檀れい、実の父親と断絶の過去

先述のように、檀れいさんには実父と継父という2人の父親がいます。

まずは実の父親についてみていきましょう。

母親は、もともと檀さんの祖父母と養子縁組をして跡を継ぐことなった方でした。


養女となった母親と結婚した実父は、婿養子として迎えられます。

実父の名前・年齢・職業については、一般人のため情報がありません。

結婚後、両親は3人の子宝に恵まれたものの、どうやら夫婦仲はあまりよくなかったよう。

檀さんもまた、父親と反りが合わず、良好な親子関係とはいえなかったようです。

なにより傷ついたのは、憧れていた芸能界入りを断固として反対されたこと。

結果として檀さんは、両親の離婚の際に父親を選びませんでした。

近年、実父との長きにわたる絶縁状態が報じられていますが、幼い頃から積み重なったさまざまな感情を抱えるなかで、芸能界入りを許してくれなかったことが決定打になったのでは、という見方が強いですね。

一方、継父となった男性はどんな方なのでしょう。

檀れいさんが父として慕い、「家族思いで、何かあれば命がけで守ってくれるような人でした」と語ったこの継父こそ、両親の離婚の直接的な原因になった方でした。

母親は、継父となった男性から持ちかけられた投資に失敗し、これに父親が激怒したのです。

継父についても詳しい情報はありませんが、事業に失敗して多くの負債を抱えていたため、京都での生活は困窮したそうです。


檀さんは宝塚歌劇団で得た収入を借金返済のために充てていました。

しかし2004年9月、檀さんが33歳のときに継父は交通事故で天国へ。

親子として過ごした時間は、わずか15年ほどでした。

芸能界での成功は母親のサポートあってこそ

養女として跡を継ぐはずだった母親は、家を捨て、京都で再婚した夫と新しい人生を歩みはじめました。

この方についても残念ながら詳しい情報はありません。

檀れいさんは高校時代、地元でスカウトされて芸能界への憧れを抱くようになりますが、近所の住民によれば、当初は母親も芸能界入りに良い顔はしていなかったとのこと。

しかし娘の強い意志を知り、応援するようになりました。

車でバレエ教室の送り迎えをするなどの協力をしてくれたのも母親です。

檀さんがことさらに介護に力を入れるのは、母のサポートがあってこそ今の自分があるという感謝の気持ちの表れでもあるのでしょう。

「親は捨てられない」と周囲にも話しているそうです。


檀さん自身が介護の苦労を公に語ったことはないと思われますが、母親にとってはどうでしょうか。

及川光博さんとの離婚理由のひとつに、この介護問題があったともいわれています。

娘の幸せを思えば、複雑な心境になることがあるかもしれませんね。

檀れいの兄弟姉妹は妹が2人、本名は山崎まゆみ

檀れいさんは3姉妹の長女です。

両親が離婚したあとは妹たちも京都に移り住み、継父のもとで暮らしました。

ですが、のちに結婚して独立したという情報があります。

名前や年齢すら明らかになっていないところをみると、おそらく2人とも一般人なのでしょう。

ネット上には、檀れいさんの姉ではないか、親戚ではないかとささやかれている芸能人がいますね。

それは檀ふみさんです。

結論からいうと、2人に血縁関係はありません。

「檀れい」は芸名であり、本名は「山崎まゆみ」です。


「檀」は樹木の檀(まゆみ)に由来しており、「よくしなる檀(まゆみ)のように、どんな役柄も柔軟にこなせるように」という願いをこめたもの。

一方の檀ふみさんは小説家・檀一雄の長女で、本名で芸能活動をしています。

2022年の映画『太陽とボレロ』で2人が母娘を演じたことも、誤解を招く要因になっているようですね。

波乱の生い立ちと女優への憧れ

さまざまなヒロインを演じてきた華やかな姿からは想像できないほどに、生い立ちが壮絶だと話題になっている檀れいさん。

両親の離婚、京都移住、継父との生活、継父の死去など、波乱の多い人生を送ってきたことがわかりました。

そもそも女優に憧れを抱くようになったきっかけは幼少時代にさかのぼります。

それは幼稚園の学芸会で褒められたことでした。

檀さんは地元でも評判の美少女だったようで、高校生のときにはファッション雑誌の読者モデルを経験。

進路に迷ったこともあったそうですが、「やっぱりお芝居の世界をめざしたい」と、芸能界入りを決意します。

宝塚音楽学校に入学したのは1990年のことでした。

宝塚歌劇団入団時の成績は最下位の40番だったという檀れいさん。

それでも宝塚の舞台に立てるだけで、幸せでいっぱいだったそうです。

小さな役でもくさらず、つねに一生懸命演じる姿勢がトップ娘役抜擢につながっていったのでしょう。


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