花總まりの若い頃と伝説の宝塚時代。音楽学校に一発合格&退団後も舞台女優

宝塚歌劇団宙組・雪組でトップ娘役を務め、和央ようかさんとのコンビでファンを魅了した花總まり(はなふさ まり)さん。

若い頃の伝説を知る人からは「女帝」と呼ばれているようですが、どのようなエピソードがあるのでしょうか。

今回は花總さんについて、宝塚時代の伝説、音楽学校入学から退団後までの様子を見ていきます。

花總まりのプロフィール

愛称:はなちゃん

本名:醍醐まり子

生年月日:1973年2月28日

身長:163cm

出身地:東京都

最終学歴:日本女子大学附属高等学校

所属事務所:ブルーミングエージェンシー

花總まりは若い頃から異色の存在

花總まりさんは東京都豊島区出身で、日本女子大学の附属小学校からエスカレーター式で中学校・高校まで進みました。

実家がかなりのお金持ちだったようで、幼少期からバレエやバイオリンの習い事に励んでいたそうです。

そのため宝塚受験時には、必要なダンススキルや音楽の素養を持ち合わせていました。


高校1年が終わるタイミングで受験した宝塚音楽学校には、見事一発合格しています。

1989年4月、77期生として宝塚音楽学校に進学します。

同期には安蘭けいさん、春野寿美礼さん、朝海ひかるさんなど、のちにトップスターとなる華麗な面々が多数いました。

入学当初から美しかった花總さんを見て、春野さんは「あの美人と一緒にドレスを着られるのね」と興奮していたそうですよ。

難関に一発合格するほどのスキルを持ち、同期から憧れられるほどの美貌に恵まれた異色の存在だったのですね。
    

花總まりの女帝伝説

花總さんが「女帝」と呼ばれる理由の1つは、宝塚トップ娘役としての在任期間が史上最長だったことです。

娘役のトップ在任期間は、初風諄さんの8年、遥くららさんの7年、愛希れいかさんの6年などが長期とされています。

そのような中で、花總さんは12年3か月もの間トップの座に君臨し、2023年現在歴代トップの記録は破られていません。

5人の相手役を務め上げ、「100年に1人の娘役」と称賛された花總さんは、存在自体が伝説的なのです。


また巷では以下のような噂がささやかれています。

「実家が不動産を営むお金持ちのため、新東京宝塚劇場のどん帳も花總さんが寄付した」

「舞台衣裳はすべて自前」

「現役時代から億ションで暮らしていた」

中には「実家の力でトップに上り詰めた」という意見もありました。

確かに小学生の頃から私立の女子校に通っていましたし、お嬢様であることは間違いないでしょう。

しかしトップスターの座は確実に実力のある人しか辿り着けないはずです。

家族のおかげで幼少期からタカラジェンヌのスキルを磨けたとはいえ、実際に結果を出せたのは自身の努力によるもの。

花總さんは人一倍努力を重ね、圧倒的な存在感のある娘役へとなり得たのでしょう。

花總まりの宝塚時代の活躍

1991年に宝塚歌劇団に入団した花總さんは、星組に配属され、『白夜伝説』で盲目の妖精ミーミルを演じました。

入団早々に重要な役を演じた後は、雪組に組替えとなります。

新人公演『風と共に去りぬ』ではヒロイン・スカーレット役で主演を務めました。


新人公演の主演はトップスター候補の男役が務めるのが通例のため、娘役としては異例の大抜擢でした。

入団からわずか3年目、雪組トップスターである一路真輝さんの相手役としてトップ娘役に就任します。

以降は「ゴールデンコンビ」と呼ばれた和央ようかさんを含む5人の相手役を務めました。

和央さんとの公演は常にチケットが完売し満席となるほどの人気を博しました。

文字通り女帝として、宝塚の歴史に残る一時代を築いたのです。

花總まりは音楽学校に音楽の素養を活かして一発合格

幼少期からバイオリンを習い、鋭い音感と表現力を養っていました。

もともとは音大に進学する予定だったため、猛練習に耐えていたのだそうです。

宝塚が好きだった母の影響で、中学校3年生のとき、歌劇団の舞台を観るようになりました。

当時の花總さんは、バイオリンの猛練習に対するモチベーションが下がっていました。


そのタイミングで宝塚ファンの学校の先輩が、願書をもらって来てくれたため、受験することに決めたのだそうです。

音感と表現力という素養を活かし、バレエのスキルもアピールした結果、見事に一発合格。

音楽学校に入学後は、寮生活の中で実家が恋しくなることもありました。

しかし初めて学ぶ内容が多く、楽しく充実した学校生活を送ったそうです。

花總まりは退団後も舞台女優として活躍

花總さんは2006年、ゴールデンコンビとして活躍した和央さんとともに、そろって退団しました。

「運命共同体」と呼ばれたほど仲良しの2人は、退団後も協力し合って芸能活動を継続。

花總さんは和央さんの個人事務所の代表やマネージャーとして、しばらくは裏方の業務に従事しました。

2010年に和央さんとのダブル主演の舞台に出演し、表舞台に復帰します。

その後は事務所「ブルーミングエージェンシー」に所属し、女優業を本格化させました。

2015年に東宝版『エリザベート』で第23回読売演劇大賞優秀女優賞を受賞。


同時に史上最年少で第41回菊田一夫演劇賞大賞を受賞し、宝塚時代と同じく華々しい活躍を見せました。

宝塚のトップ娘役になるべくして生まれてきたかのような逸材・花總さん。

これからも新たな伝説を生み出しながら、多くのファンを歓喜させ続けるのでしょう。

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