竹下登、前妻の政江は自殺。後妻は直子。息子はおらず娘が3人。後継者は異母兄弟の竹下亘

消費税の導入やリクルート事件での失脚で有名な、元内閣総理大臣である竹下登(たけしたのぼる)さん。

今では歌手・タレントのDAIGOさんの祖父ということでも有名ですが、政界の超大物だっただけに、その人生も波乱に満ちています。

今回は竹下登さんの妻や子供、そして後継者について解説していきます。

竹下登のプロフィール

本名:竹下登

生年月日:1924年2月26日

没年月日:2000年6月19日

出身地:島根県飯石郡掛合村

出身校:早稲田大学商学部

竹下登は前妻の政江と死別

竹下登さんは1944年、同じ地元の有力者の娘だった竹内政江(たけうちまさえ)さんと学生結婚しました。

しかしその結婚生活はごく短い期間で終わりを告げました。

しかも政江さんの死という最悪なかたちで。

なぜそんなことになってしまったのか。

妻を責めてしまった過去

まず、結婚してすぐの頃は東京において2人で暮らしていました。

しかし結婚後まもなく、学徒動員によって竹下登さんは陸軍に入営しなければなくなりました。


そして残された政江さんは島根に帰郷し、竹下家で暮らすことに。

しかし、竹下登さんの父である竹下勇造(たけしたゆうぞう)さんとの間にトラブルが生じ、ノイローゼになってしまいました。

当時、勇造さんは妻の唯子さんを亡くしたために、優しい義父としての振る舞いができるような状況ではなかったようです。

そのため政江さんにひどく干渉したのです。

具体的にそれがどのような「干渉」だったのかは謎に包まれています。

その後ノイローゼになってしまった政江さんは、夫に助けを求めるため東京に出向きました。

しかし、そこで登さんが政江さんに対してとった対応は最悪なものでした。

政江さんのことを一方的に攻めてしまったのです。

なぜそうしたのかは不明です。

登さんも軍役に疲れてしまっていたのか、それとも他に理由があったのか。

いずれにせよ、その手酷い対応は政江さんを追い詰めることになってしまいました。

その結果、1945年に政江さんは自殺という手段を選んでしまったのです。

こうして竹下登さんと政江さんの結婚生活はわずか1年程度で終わってしまいました。

結婚後一緒に過ごせた時間はもっと少ないことになりますね。

父との対立

その後、軍役を終えて島根の竹下家に帰ってきた登さん。

そこで待っていたのは、父・勇造さんとの激しい対立でした。

2人の言い争いは絶えることがなかったようです。

諍いの詳しい内容についてはわかりません。


当然、政江さんの件はそこに含まれていたでしょう。

あるいは、勇造さんの再婚の件もあったのかもしれません。

というのも、勇造さんは妻の唯子さんと息子の妻である政江さんを亡くしてすぐにもかかわらず、1945年12月には恕子さんを後妻として迎えたからです。

そしてこの登さんと勇造さんの間の軋轢は、生涯続くことになったそうです。

その後、表面上は普通の親子関係を一応取り繕うようにはなったようです。

しかし登さんの内面が果たしてどのような思いを抱えていたのか、今となっては知ることができません。

実際、生涯を通じてこの時期のことを登さんは語ろうとはしなかったとか。

もはやタブーになっていたんでしょう。

この生涯続いた軋轢の直接の原因は、ほぼ間違いなく政江さんの死です。

その生涯の間、登さんが抱えていたのは、果たして勇造さんへの怒りだけだったのか。

むしろ政江さんのために何もできなかった自分への怒りの方が強かったのか。

いずれにせよ、竹下登さんにとって最初の妻である政江さんは、極めて大きな意味を持つ存在だったことはたしかでしょう。

竹下登の後妻は竹下直子

竹下登さんは政江さんとの死別後、1946年に3つ年下である遠藤直子さんと再婚しました。

2人は親戚関係でした。

直子さんの母の姉と、竹下登さんの父の兄が結婚しているのです。


そして前妻の政江さんと直子さんは実に対照的な女性だったようです。

ナイーブだった政江さんと異なり、直子さんは豪胆な女性だったとか。

そして直子さんは夫の登さんへの愛情がとても強かったともいわれています。

その深い愛情をもとに、ファーストレディとして登さんを生涯支え続けました。

登さんが亡くなった後は、孫のDAIGOさんとの関係でメディアに出演することもありました。

そして直子さんは、2010年9月にお亡くなりになりました。

様々なところから聞こえてくる評判によるだけでも、直子さんがいかにパワフルで芯が一本通った上品な女性だったのかうかがえるようです。

竹下登に息子はいない、娘は3人

竹下登さんには娘が3人いますが、息子はいません。

正確には、直子さんとの間に長男として力道(りきみち)という子が生まれたのですが、生後1月ほどで早世してしまったようです。

では竹下登さんの娘3人について簡単に紹介しましょう。


まず、長女は一子さん。

元自民党副総裁である金丸信(かねまるしん)さんの息子である金丸康信(かねまるやすのぶ)さんと結婚しました。

次女はまる子さん。

登さんの私設秘書だった内藤武宜(ないとうたけのぶ)さんと結婚しました。

まる子さんがDAIGOさんの母親です。

三女は公子さん。

竹中工務店社長の竹中宏平(たけなかこうへい)さんの息子、竹中祐二(たけなかゆうじ)さんと結婚しました。

このように娘たちはみな、登さんの関係者や政財界の有力者と結婚しています。

特に長女の一子さんの結婚は、「政界のドン」とまで呼ばれた金丸信さんとのつながりをつくるための政略結婚だったようです。

そして次女のまる子さんは、DAIGOさんの母親ということもあってメディアでその姿を見ることがあります。

竹下登の後継者は異母兄弟の竹下亘

竹下登さんには息子がいなかったためか、その後継者となったのは弟の竹下亘(たけしたわたる)さんです。

弟といっても異母兄弟であり、2人はかなり年が離れています。

登さんが1924年生まれなのに対し、亘さんは1946生まれです。


22歳も年が離れているため、その関係性を知らなければ2人が親子だと勘違いする人もいたかもしれません。

あくまで年齢の差だけで考えれば、政治家によくあるような息子が後継者となることと案外近いのかもしれません。

亘さんはもともとはNHKの記者でしたが、その後に登さんの秘書となりました。

そして秘書として仕えていたその兄が政治家を引退すると、その地盤を引き継ぎ2000年に衆議院議員選挙に出馬、当選して政治家になりました。

登さんの派閥である経世会も引き継ぎ、復興大臣、財務副大臣、衆院予算院長、自民党総務会長なども務めました。

総理大臣になることはありませんでしたが、政界の中心で活躍してきたのです。

しかし2021年9月、お亡くなりになりました。

ちなみにその後、亘さんの後継者としてDAIGOさんが将来的に出馬するのではないかと騒がれました。

話題として盛り上がるのはわかりますが、いまのところDAIGOさんに政界進出の動きは見られません。

あるいは地下で着々と準備を進めているのかもしれませんが。

今後の動向に期待しましょう。


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