松田美由紀、夫・松田優作とは略奪婚。事故の真相。出会いは探偵物語&葬儀で号泣

昭和のスター松田優作さんの妻・松田美由紀(まつだみゆき)さん。

夫・松田優作さんとは略奪婚の末夫婦になったことで当時は世間の注目を集めました。

勇作さんの愛車で事故を起こしたという話や夫との出会いとなった探偵物語、若くしてこの世を去った勇作さんの葬儀での様子などをご紹介します。

松田美由紀のプロフィール

本名:松田美由紀

生年月日:1961年(昭和36年)10月6日

身長:165cm

出身地:東京都杉並区

最終学歴:明治大学付属中野高校定時制卒業

所属事務所:オフィス作

松田美由紀は略奪婚で夫・松田優作と夫婦に

松田美由紀さんは不倫関係の末、松田優作さんの奥さんになりました。

2人は略奪婚であったこと、またそこに至るまでの経緯も衝撃的なものであったため当時は世間の耳目を集めたようです。

交際が始まった時、松田優作は既婚者だった

松田優作さんはもともと劇団仲間であった作家・松田美智子さんと1975年結婚、76年に長女も誕生していました。

しかし1979年にドラマ『探偵物語』で美由紀さんと出会い、2人は不倫関係に、翌年には2人の関係が表沙汰になりました。


これに対し勇作さんは当初、前妻との間に子どもがいるため離婚はしないと発言したようです。

この後何が起こって、前妻と離婚し美由紀さんと再婚するに至ったのでしょうか。

前妻・子の前で自殺未遂「結婚できないなら死んでやる」

松田美由紀さんはある日彼の前妻と長女の暮らす住まいに押しかけ、前妻に勇作さんとの離婚を迫ります。

そのやり方がかなり衝撃的だったので当時はかなり世間の注目を集めました。

勇作さんとその家族が暮らしていた自宅を訪れた美由紀さん、なんと前妻とその娘の前で「結婚できないなら死んでやる」と言いながら自身の手首を切りつけたのだそう。

結局自殺未遂で終わった略奪劇でしたが、その後前妻は1981年12月夫との離婚に応じています。

目の前で夫(父)の不倫相手が自殺を図るという、まるでドラマや映画のような展開、実際に経験された母子の恐怖は想像に絶するものがありますよね。

長男誕生後に晴れて夫婦に

泥沼の略奪劇を経て、松田優作さんと美由紀さんは1983年に正式に夫婦となりました。

前妻との離婚後に同棲を始めた2人ですがすぐに再婚とはならなかったようで、1983年に長男・龍平さんが生まれた後に結婚しています。


ちなみに勇作さんは再婚後も元妻の元に通っていて彼女が「これでは私が不倫ではないか」と綴ったこともあるそう。

前妻との間にもうけた長女もいることですし、離婚・再婚したからといってキッパリ縁を切ることは難しかったのでしょう。

美由紀さんはこの事に対しどういう想いでいたのでしょうね。

松田美由紀、夫・松田優作の愛車で人身事故?

松田美由紀さんが人身事故を起こしたことが有るという話はありますが、現在ネット上ではそれに関する情報はほとんど見当たらないのが現状です。

事故が起きたのが1991年と昔の話であり、特にインターネットが広く普及する前の事であるためか当事故に関する大手メディアなどの報道は見つかりません。

大手メディアのみならず、個人のブログやウィキペディアでもほとんど記載のないことからいまいち真実が見えにくい当人身事故。

参考までにネット上で見かけた情報をまとめてみると、次のような事故だった言われています。

1991年8月9日、美由紀さんが運転していたワゴン車が練馬区の青梅街道で人身事故を起こします。

Uターンしようとした彼女のワゴン車に後続のバイク2台が衝突、バイクに乗っていた人3人のうち1人が重症、2人が軽傷を負いました。

事故現場はUターン禁止の道路であり、完全に松田さんの過失であったそうです。

事故の約1か月後には当事故についての謝罪・釈明会見が開かれて美由紀さん自身が頭を下げたそう。

さらに彼女が自動車保険に加入していなかったということも発覚し、事故後の補償のため、勇作さんとの思い出の詰まった自宅を手放すことになるのではということにも注目が集まったと言います。

SNS上で事故に関して言及している人がいないわけではない

SNS上では当事故について言及する人が散見されます。

大手メディアやウィキペディアなどでも情報が見当たらない話なので、これらは当時のことを知り覚えている人たちの発言かと思われます。


参考までにツイッター上で松田美由紀さんの自動車事故について言及しているツイートなどをいくらか集めてみました。

繰り返しになりますが、事故から時間が経過していること、またインターネットが普及する以前に起きているためか大手メディアなどからの情報は見つかりません。

しかし、当事故と思われる人身事故について複数名の人が言及していることから、やはり実際に事故は起きていて、当時を知る人ならば記憶に残っているような大きな事故であった可能性が高いと思われます。

松田美由紀、夫・松田優作との出会いは『探偵物語』

松田美由紀さんと夫・松田優作さんとの出会いは『探偵物語』の現場でした。

1979年に放送された本作は、松田優作さんが主演を務めたテレビドラマ。

この時が初対面だったという2人ですが美由紀さんは当時について、以前出演したテレビ番組で次のように明かしています。

「私が緊張してたら“お前大丈夫か”ってハグしてくれた。それでカッコいいなと思った」

一方、勇作さんの方も当時まだ未成年であった美由紀さんに強く惹かれていったようです。

17歳という若さで哲学にはまっていたという彼女について、それまで見たことのないような「エキセントリックな女」、「この女から離れられない」などと発言していたと言われています。


その時の彼がどうしようもなく美由紀さんに心を奪われている様子を如実に伝えてくれるのは、皮肉な事に前妻が手記に記した次の言葉です。

当時の妻・松田美智子さんの31歳の誕生日であったその日、勇作さんが次のように言ったといいます。

「カントとか哲学書を読んでいるんだ。十八歳で哲学を語るんだぜ、すごいよなぁ」

大胆にも当時の妻に向かって、不倫相手への賛辞を語っていたわけですね。

それくらい勇作さんと美由紀さんは激しい恋に落ちていたということなのかもしれません。

松田美由紀、夫・松田優作の葬儀で号泣

若くしてこの世を去った松田優作さんの葬儀、夫人は出棺の際に号泣したと伝えられています。

松田優作さんは1989年11月6日、膀胱がんで亡くなりました。


39歳という若さで夫が息を引き取った後、7日の通夜・8日の葬儀の間中気丈に振る舞っていたという美由紀さん。

しかし最後の出棺の時には「私を置いて行かないで」と泣きながら夫の遺体にすがりついたそうです。

ずっとこらえていた感情があふれ出したのでしょうね。

泣き出す母の姿を見て、長男・龍平さん、次男・翔太さんは大粒の涙をこぼし、当時まだ1歳だったゆう姫さんからは笑顔が消え、ぼんやりとした表情になったと言います。

母親が泣き崩れる姿を目にし、幼い彼らもようやく父との別れを理解したのでしょう。


美由紀さんは葬儀後、亡き夫は3人の子どもという最大の宝を残してくれたと取材に応えたと伝えられています。

この時から彼女と3人の子どもたちは家族として支え合って生きてきたのでしょうね。

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