2023年で61歳、還暦を迎えた藤井フミヤ(ふじいふみや)さん。
80年代前半から2023年現在まで、第一線で活躍し続けている男性シンガーのカリスマ的存在です。
今回は、フミヤさんが若い頃の活躍について調査しました。
この記事を通して、デビュー時から変わらぬ美声と当時のイケメンぶり、バラエティー番組で見せたかわいい表情を楽しんで下さい。
藤井フミヤのプロフィール
本名:藤井郁弥
生年月日:1962年(昭和37年)7月11日
身長:164.9cm
出身地:福岡県久留米市
最終学歴:久留米市立南筑高等学校卒業
所属事務所:株式会社FFM
藤井フミヤ、昔の若い頃はイケメンでかわいいスーパーアイドル
藤井フミヤさんは、1983年に7人組ロックバンドチェッカーズの中心メンバーとしてデビューします。
約40年のフミヤさんの芸能生活で、メディアへの露出という意味での全盛期はチェッカーズに所属していた時代だと思われます。
デビュー曲「ギザギザハートの子守唄」に続くこの作品でチェッカーズの人気に火がつくことになりました。
<涙のリクエスト>
奇抜な髪形とファッションに、当時の大人が聴いて懐かしいと感じたであろうサウンドが印象的ですね。
幅広い世代に愛されたのも納得の一曲です。
そして、リードボーカルのフミヤさんが持つ親しみやすさ、華やかさを兼ね備えた歌声はこの時から素晴らしいと評判です。
この後、チェッカーズは次々とヒット曲を送り出していきます。
続いてはチェッカーズがスーパーアイドルだった時代の曲をメドレーでお聴きください。
<ヒットメドレー>
全盛期の楽曲について
メドレー2曲目の「ジュリアに傷心」が1985年オリコン年間チャートで第1位になるなど、人気は頂点に達します。
デビュー曲から、11枚目のシングル「Song for USA」までフミヤさんはボーカリストに専念していました。
ヒット曲の作詞や、作曲に参加していない時期があったのは少し意外な気もしますね。
大人から与えられた歌をただ歌っていたという見方もできるかもしれません。
しかし、どんな曲調でもチェッカーズの歌として仕上げる歌い手としての力量は若い時から凄かったともいえるはず。
チェッカーズの初期のヒット曲は、2人の有名なヒットメーカによって作られていました。
それが、作詞家売野雅勇さんと作曲家芹澤廣明さんのコンビです。
中森明菜さんの「少女A」を作った2人といえばイメージしやすいでしょう。
王道の歌謡曲を垢ぬけた洋楽の味を加えて歌っていたフミヤさんはすごい歌手だな思いませんか。
2023年現在、楽曲と歌声の色褪せない魅力をを裏付けるような現象が起こっています。
『TikTok』の人気動画に、名曲に合わせてダンスをするジャンルがあり、そこで多くの若者が“ギザギザハートの子守唄”を使用。
間違いなく一時代を築いたバンドですが、音楽的に掘り下げて取り上げられることが少ないので、フミヤさんも誇らしい感情を持っていると思われます。
アイドルとしてバラエティー番組で見せたかわいい表情にフミヤ人気はさらに加速
アイドルとして人気を得たミュージシャンの多くが、職業作家の手を離れて自作の曲を発売することを望みます。
チェッカーズも、1987年以降のシングル曲はすべてメンバーによって作られたものになりました。
しかし、チェッカーズが他のバンドと違っていたのはアイドルであることを否定しなかったこと。
バラエティ番組では、コントで不良高校生を演じることもありました。
ステージを降りた藤井フミヤさんは、小柄でかわいい印象を受けますね。
コントでとんねるずの木梨憲武さんが歌っている曲は、実はとってもかっこいい曲なんですよ。
しかし、コンサートでこの曲のイントロが流れるとコントを思い出した観客から笑いが起きるというハプニングもあったとか。
そんなこともあり、当時のチェッカーズファンとっては特に記憶に残る作品になっているようです。
<ONE NIGHT GIGOLO>
アイドルであり、アーティストでもある全盛期
フミヤさんをはじめチェッカーズのメンバーは、自作曲を発表したいという思いを元々強く持っていました。
チェッカーズの曲が、完全にメンバーの手で手がけられるようになったのは1986年の後半から。
フミヤさんは、ボーカル以外にも重要な役割を担うことになります。
作詞家として
藤井フミヤさんは、チェッカーズが自作曲の発表するようになってからほぼすべてのシングル曲で作詞を手がけました。
フミヤさんの詩の特徴は、難しい言葉を使われていなくても印象的なフレーズがあるところではないかと思われます。
その特徴が最大限に生かされているのが、1987年に発売された「ILove You,SAYONARA」。
サビを聴いただけで、曲全体のイメージが湧いてくる名曲です。
1992年にチェッカーズが解散した後、ソロシンガーとして多くのテレビドラマ主題歌を手がける片鱗が見えますよ。
ファッションでもカリスマ性を発揮
時を同じくして、ステージ衣装にも変化があらわれます。
デビュー当時の奇抜な髪形と素朴さを感じさせる衣装から、徐々に洗練されたものへと変化していきました。
「ILove You,SAYONARA」のパフォーマンスからは、フミヤさんがなぜ80年代に支持された理由のすべてが伝わってきます。
個性のかたまりのようなボーカルに、新鮮な衣装を着こなすセンスに加え自然な立ち振る舞いまでを兼ね備えていますね。
このようなボーカリストは今後もそう簡単に現れないでしょう。
藤井フミヤはなぜ昔に比べてメディアへの露出が少ないのか
チェッカーズ解散後、ソロになってからも順調に活動を続けた藤井フミヤさん。
しかし、2000年代に入った頃から、歌番組やバラエティー番組で見かける機会はガクッと減ってしまいました。
その理由を、フミヤさんは2016年8月20日にTBSで放送されたトーク番組「サワコの朝」に出演し、語っています。
30代になって、以前より自分の思い通りに活動が進められるようになったそうです。
しかし、一方で天狗になり、親しく付き合う人も減っていたというフミヤさん。
そんな時、ある映画監督から「お前は人を3分くらいで人を泣かせられる」と言われたとか。
そこで音楽の凄さを改めて認識したフミヤさんは、40歳にして「歌手」を目指すようになったとのこと。
それ以来、四六時中音楽のことを考えているという彼の心意気が感じられる2023年現在の最新シングルがこちら。
<水色と空色>
チェッカーズ時代とは打って変わって、朴訥した雰囲気で歌うフミヤさん。
何か言葉を聞かなくても、以前のようなにぎやかな活動を望んでいないように思われます。
しかし、歌声の透明感はそのままに、余計なものをそぎ落とした職人のようなボーカリストぶりもまた素敵です。
恐らくフミヤさんは自らの意思でメディアへの露出を減らしたのでしょう。
以前とは別の道を開拓したフミヤさんのこれからの歌を、チェッカーズ時代の色褪せない歌と同様に注目していきたいですね。
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