山口百恵の生い立ち。父親・久保茂は医者&母親を亡くし家族優先に?兄弟に妹あり家族構成3人

1980年、21歳の若さで引退した歌手の山口百恵(やまぐちももえ)さん。

その早すぎる引退は、世間に驚きをあたえました。

引退のタイミングと同じく、百恵さんが人々をびっくりさせたのが、その直前に出版された自伝「蒼い時」の内容です。

そこには、当時人気絶頂のスター歌手が綴ったとは思えないデビュー前の過酷な体験が記されていたのです。

今回は、山口百恵さんの生い立ちや、ご両親との関係、兄弟の存在について調べてみました。

特に、最近百恵さんのファンになった方は、ぜひ最後まで記事を読んで下さい。

百恵さんがなぜ引退し、主婦業に専念するようになったのか、その一部分を垣間見ることができると思われます。

山口百恵のプロフィール

本名:山口百恵(結婚した現在は三浦百恵)

生年月日:1959年(昭和34年)1月17日

出身地:東京都渋谷区

活動期間:1973年~1980年

所属事務所:株式会社ホリプロダクション(現在の株式会社ホリプロ)

山口百恵の複雑な生い立ち

さっそく百恵さんの生い立ちに触れていきます。

過酷な幼少期

山口百恵さんのご両親の名前は父が久保茂さん、母が山口正子さんといいます。

医者である久保さんが、正子さんを愛したとき、彼には妻子がいました。


正子さんのご両親には責任を取る旨を伝えますが、2人はいつまでも結婚することはありませんでした。

百恵さんの記憶には、優しい父が毎週日曜日に姿を見せ、欲しいものを何でも買ってくれた記憶が残っていたようです。

一方で、散歩をしていると視線の鋭い「怖いおばさん」が母と一緒にいる時に襲ってくるという光景も目にしていたとか。

これは、父親にとって本妻にあたる女性が愛人とその子である正子さんと百恵さんに対して行った仕打ちとみるのが一般的ですね。

当時幼かった百恵さんにとって、どんなに恐ろしかったことでしょう。

現在では想像することも難しい光景です。

母正子さんは洋裁などをして必死に生計を立てようとしますが、家計は苦しく生活保護に頼る状態だったとのこと。

父は百恵さんを戸籍の上でだけ認知し、金銭的援助はしていませんでした。

彼にとって、愛人以下の都合の良い存在だったのでしょうか。

現在このような状態の父を裁判で訴えたとしたら、確実に養育費を請求できる案件ですよね。

母を支えるために歌手になる道を選ぶ

そんな生活のなか、百恵さんはオーディション番組「スター誕生」で、同い年の女の子が歌手として活躍するのを目にします。

それが後に「花の中3トリオ」として多くの時間を共にすることになる森昌子さん。

百恵さんは、森昌子さんを見て自分の年齢でも働くことができると感じたのだと思われます。

その番組に応募し、歌手への扉をこじ開けました。

5歳年下の妹の存在

歌手デビューして瞬く間に人気者となった百恵さん。

忙しいスケジュールの合間を縫って、母と休日を過ごす様子が雑誌に掲載されるようになります。

百恵さんと母のそばには小さな女の子の姿がありました。

それが5歳年下の妹、淑恵さんです。

百恵さんが歌手として賞を受賞した際には、テレビにその素顔が映されたこともあったとか。

母と妹を幸せにするという思いが、百恵さんの芸能活動の支えになっていたことは想像に難しくないですね。

実はデビュー当時の百恵さんの歌声はぎこちなく、前評判も決して高くありませんでした。

そこで、一歩間違えれば色物歌手という印象を与えかねない際どい内容の歌詞の歌うことになったのです。

しかし、未完成ながらも凛とした雰囲気を漂わせた百恵さんに多くの人が惹きつけられました。

当時、「スター誕生」の司会を務めていたタレントの萩本欽一さんもそのひとりです。

立っているだけで哀愁を感じさせる百恵さんを見て、ぜひ後押ししたいと思ったとか。

こういった背景を知った後、「青い果実」や「ひと夏の経験」といった初期の作品を聴くと、より味わいが深くなりませんか。

<青い果実>

医者の父親・久保茂の存在に苦しめられる

苦労の末、芸能界での成功を掴みかけていた山口百恵さん。

しかし、父親との確執はここからさらに壮絶なものとなっていきます。


高校生となった頃、週刊誌に百恵さんが非嫡出子であることを示す戸籍抄本が掲載されました。

父親との関係をはっきりと認識したのはこの時だとそうです。

週刊誌にネタを売り込んだのはもちろん父親です。

それを皮切りに養育権を取り戻そうとしたり、所属事務所のホリプロに借金をしたりと百恵さんを苦しめることになります。

まっとうな医者なら、生活に困ることは考えにくいですよね。

娘がいちばん援助してほしかったであろう時には、見向きもしなかったくせにどういう神経をしていたのでしょう。

これほど人でなしという言葉がぴったりな人間もなかなかいません。

この時の百恵さんの心情は察するに余るものがありますね。

多感な10代の少女であれば、母親を罵ったり自暴自棄になったりしそうなものです。

しかし、百恵さんはこの時点で他の10代の少女とは肝の座り方が違っていました。

この時、マスコミに対して愛人の子であることを感じさせずに育ててくれた母に感謝の気持ちが増したと語ったのです。

父親とは、多額の手切れ金を払って絶縁することを決断しました。

最愛の母親を亡くし家族を優先した?兄弟に妹1人で家族構成は3人

そして、自分の影響力が無くなる直前に発売された自伝「蒼い時」のなかで、これ以上ないほどの憎しみの感情を吐き出しています。

一つの肉体としてあの人が地球上に存在していたとしても、私はあの人の存在そのものを否定する。

これが、父に対してのラストメッセージ。

百恵さんの憎しみがいかに深いかを物語るのに十分な一言ですね。

百恵さんの引退後、最愛の母正子さんは妹の淑恵さんと共に百恵さん夫妻の自宅近くにあるマンションで暮らしたそうです。

しかし、1989年百恵さんが30歳の時に亡くなりました。

親孝行が十分にできないうちに母を亡くしたことは、百恵さんと芸能界の距離を以前にも増して遠ざけたように思われます。


母の死をきっかけに、自分の家族との時間をさらに優先するようになったとしても不思議はないですよね。

今は百恵さんが壮絶な生い立ちに縛られず、毎日を過ごされていることを願わずにはいられません。

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