水前寺清子の若い頃。チーターの由来と変わらぬ髪型。和田アキ子を泣かせた男勝りな性格

水前寺清子(すいぜんじきよこ)さんは、1964年に「涙を抱いた渡り鳥」でデビューした演歌歌手です。

短髪がトレードマークでまっすぐな歌声が印象的で、「三百六十五歩のマーチ」は幅広い世代に知られている代表曲です。

近年はあまりメディアで見かけることの少なくなった水前寺さんですが、若い頃は歌手としてはミリオンセラー、女優としては「ありがとう。」で民放ドラマ史上最高視聴率を叩き出した昭和の大スターです。

そんな水前寺清子さんの若い頃や、和田アキ子さんを泣かせた事もあるという勝気な性格などについて、お伝えします。

水前寺清子のプロフィール

愛称:チーター

本名:林田民子

生年月日:1945年(昭和20年)10月9日

身長:158cm

出身地:熊本県熊本市中央区

最終学歴:洗足学園高等学校卒業

所属事務所:水清企画

水前寺清子の若い頃

2023年は78歳になられ、歌手活動も59周年を迎える水前寺清子さん。

そんな高齢になられた現在でも、演歌歌手として精力的に活動されています。

最新作は、2022年8月に4年ぶりにリリースされた「運否天賦で行こうじゃないか」です。

77歳とは思えない力強い歌を聴かせてくれています。


そんな水前寺清子さんの若い頃は、実は歌手としてデビューするのに、かなり苦労をされたそうです。

裕福な家に生まれたが、父の事業が破綻し貧乏に

水前寺清子さんは、熊本で化粧品店やデパートを経営する裕福な家の3人兄弟の末っ子として生まれました。

幼少期は体が弱く、毎週のように病院に通っていました。

小学生になると、ラジオで歌謡曲を聞く事に夢中になり、江利チエミさんの「テネシー・ワルツ」を一緒に歌っていたそうです。

その甲斐あって子供ながらにも歌手としての才能は開花し、地元の歌謡コンテストなどでは大人を負かして賞を勝ち取り、小学生時代から「のど自慢荒らし」と呼ばれていました。

家も裕福だったため、日本舞踊やバイオリンなどを習わせてもらい、音楽的な経験を積みました。

父親は歌う事が大好きな水前寺清子さんを「歌手にしてやりたい」と思っていたそうです。

そして早くも転機が訪れます。

1957年、水前寺清子さんが12歳の頃、突然父親に「みんなで東京に行って、お前は歌手になるんだよ。」と言われ、夜行列車あさかぜに乗って上京する事になりました。

歌手になりたかった水前寺清子さんは、家族での東京行きを喜びましたが、この上京の目的は、父親が事業に失敗し歌の上手い娘にすべてを託した夜逃げだったのです。

東京に着くと、それまでの裕福な生活とは一変。

八畳一間での親子5人での暮らしを強いられました。

父親は精肉店で働き、母親は内職をし、ギリギリの生活を送っていました。

それでも娘を歌手にする事は諦めずに、水前寺さんに音楽を辞めさせなかったそうです。


そして上京してから3年後の1960年、コロムビア歌謡コンクールに2位入賞し、作詞家の星野哲郎さんに声をかけられ、そこから人生が変化し始めました。

11回もレコーディングをしたが、デビューできず

水前寺清子さんは、15歳の頃に出場した「第12回コロムビア全国歌謡コンクール」で全国大会2位を勝ち取り、審査員を務めていた星野哲郎さんにスカウトされました。

星野哲郎さんの紹介でコロムビアレコードの研究生になり、レッスンに励みました。

コロムビアではデビューのために11回もレコーディングを重ねますが、ゴーサインが出ずレコードデビューには至りませんでした。

コロムビアではデビューさせてもらえないと、水前寺さんはクラウンレコードに移籍することにしました。

そこでようやくデビューが認められ、1964年に「涙を抱いた渡り鳥」でレコードデビューできることになったのです。

翌1965年にはデビュー曲をひっさげ、「第16回NHK紅白歌合戦」に出場しました。

小学生の頃から娘の才能を信じてきた父親は、さぞかし嬉しかった事でしょう。

チーターの由来と、一貫して変わらない髪型

水前寺清子さんはデビュー当時から「チーター」と呼ばれていますが、正しくは「チータ」だそうです。

「チータ」の由来は、水前寺さんを見出した星野哲郎さんが、水前寺さんが小柄な事と本名の民子(たみこ)をもじって「ちいさなたみちゃん」と呼んでいた事が由来だそうです。

動物のチーターとは全く関係ありませんが、「チータ」という愛称が定着したため、着物にチーターの柄を取り入れたりしたそうです。


「チータ」という愛称と、髪型に関してもデビュー時から一貫して変わることがありません。

他の髪型の水前寺清子さんは考えられない、というほど定着していますね。

和田アキ子を泣かせるほど、勝気で男勝りな性格

1974年に水前寺清子さんと和田アキ子さんが不仲だ、と週刊誌で報じられました。

その記事の内容は、水前寺さんが和田アキ子さんの番組のオーファーに「アッコは嫌いだから出たくない」と言ったのを聞き、和田アキ子がショックで号泣した、という内容でした。

週刊誌はその記事を持って水前寺さんに「和田アキ子さんを号泣させましたね。どうしてくれるんですか?」と取材をしたものだから、水前寺さんは「喧嘩を売られた」と思い、「そんなことで泣くタマか!」と言い放ったそうです。

そこからお2人は不仲だ、という定説が出来上がってしまいました。

ですが、その報道があった以降も紅白などで何度も共演していて、お2人の関係は歌謡界の先輩と後輩という関係だたそうです。


2016年にテレビ番組「ダウンタウンなう」に出演した際に和田アキ子さんとの話になり、「泣くタマか!と言ったのは申し訳なく思ってます。アッコちゃんはとっても良くしてくださって、いつも優しいです。」と語っていました。

昭和から活躍する短髪の女性歌手同士、特に仲が悪いわけではないようです。

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