水前寺清子に娘はいない。夫との離婚理由はパワハラ。実家の家族。兄弟は上に2人

「チータ」の愛称で知られる歌手の水前寺清子(すいぜんじ きよこ)さん。

「別れた夫との間に娘がいる」という噂が流れているようですので、根拠がある情報なのか確認していきましょう。

併せて、夫との離婚理由を見ていき、実家の家族・兄弟についてもまとめます。

水前寺清子のプロフィール

別名:チータ

本名:林田民子

生年月日:1945年10月9日

身長:158cm

出身地:熊本県熊本市中央区

最終学歴:洗足学園高等学校

所属事務所:水清企画

水前寺清子に娘はいない

水前寺さんは長年、夫である男性とともに暮らしつづけ、2人は「おしどり夫婦」として知られていました。

しかしこの後に紹介する事情により破局しています。

インターネット上には、2人の子供の存在を気にする声が多く見られます。


特に「娘がいる」と考える人が多いようです。

しかし2人の間に子供はいませんでした。

これらの噂には根拠がなく、単なるガセネタと考えて良いでしょう。

「娘がいる」という噂が生じた経緯には、おそらく水前寺さん自身の経歴が関係しているのではないでしょうか。

水前寺さんは幼少期から歌が大好きで、早い段階で歌手を目指していました。

父親は「娘を歌手にしたい」と考え、優雅な立ち居振る舞いや音感などを習得させるため、日舞やバイオリンなどを習わせていたそうです。

「娘をなんとしてでも歌手に」と強く考えていた父親の存在は、水前寺さんにとって大きかったはず。

自身の生い立ちについて語る際には「娘を歌手にしたい、と思ってくれていた」と父親のことを説明していたのでしょう。

結果的にインターネット上では「娘」というキーワードが水前寺さんの名前と結び付き、噂につながったのかもしれません。
    

水前寺清子の夫はサックス奏者・小松明

1989年、43歳の水前寺さんは、サックス奏者である小松明さんと結婚しました。

小松さんは6歳年下の演奏家で、バンドマスターとして活躍していたそうです。

彼のバンドが水前寺さんのバック演奏を務めたことがきっかけで、交際に至りました。

結婚の決め手となったのは、なんとバク転でした。

小松さんが見事なバク転を披露したため、運動が苦手だった水前寺さんは感動し、「この人しかいない」とときめいたそうです。


結婚式は水前寺さんの芸名の由来である、熊本県の「水前寺成趣園」で行われ、友人・関係者など5,000人が詰めかけました。

地元の人々も2人を祝福するためにやって来て、式を盛り上げたのだそうです。

結婚後、小松さんは妻の個人事務所の社長となり、彼女と手を取り合いながら厳しい芸能界を生き抜きました。

妻の仕事を取るため、方々に頭を下げて回ったそうです。

同時に妻の仕事の質には人一倍こだわり、人前でも水前寺さんに怒鳴ることもあったといいます。

水前寺清子の離婚理由はパワハラ

公私ともに支え合ってきたはずの夫婦。

しかし2020年に離婚していたことが明らかとなり、ファンに大きな衝撃を与えました。

「おしどり夫婦」とは名ばかり、実生活では夫から罵声を浴びせられていたのだそうです。

小松さんは、マネージャーだった水前寺さんの姉が亡くなってからは、事務所社長とマネージャーを兼務するようになりました。

歌い方に対するダメ出しが増え、注意を超えて罵倒に近いものを浴びせるようになったそうです。

結婚31年目での離婚はメディアで「超熟年離婚」と報じられることに。

水前寺さん自身もブログで「今頃かい」とつづり、面白がっている様子でした。

夫のパワハラから解放されて、すっかり気持ちが軽くなっていたのでしょう。


小松さんとしては懸命に妻を導くつもりだったものの、いつの間にか一線を越えていたようですね。

水前寺清子の実家の家族は裕福だったが困窮

水前寺さんの実家は熊本県有数の実業家の家系でした。

デパートと化粧品店を営んでおり、お手伝いさんも出入りするほど裕福だったそうです。

歌手を夢見ていた水前寺さんは、地元のコンテストで歌声を披露していました。

前述した通り、父親からも応援してもらい、歌手としての素養を身に付けていきます。

しかし12歳のとき、父親の事業が行き詰ってしまい、一家は夜逃げして上京。

八畳一間で一緒に眠る貧しい生活に追い込まれてしまいます。

水前寺さんは中学校に上がると、母親の内職を手伝って家族を支えました。

しかし父親は娘の夢を応援し続け、精肉店でコロッケを揚げる仕事をしながら、歌を続けさせたそうですよ。

水前寺さんは見事に19歳でデビューを果たし、着流しで歌う『涙を抱いた渡り鳥』で知名度を獲得して、家族に恩を返したのです。

水前寺清子の兄弟は兄と姉

水前寺さんは3人兄姉の末っ子でした。

10歳年上の兄と8歳年上の姉がいたそうですから、一家が困窮してからは2人も必死に働いていたのでしょう。


水前寺さんは本名にちなんで「小さい民子」という意味で、幼少期から「チータ」と呼ばれていました。

兄と姉からもおなじみの愛称で呼ばれながら、可愛がられていたに違いありません。

そして2人は小さい妹の活躍を、誇らしく見守り続けてきたのでしょうね。

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