オリンピック金メダリストにして、プロボクシングの世界でも世界チャンピオンになったボクサーの村田諒太(むらた りょうた)さん。
彼はとても落ち着いた性格をしており、その原点は哲学の考え方にあるのではないかと言われています。
どんな家庭環境で育ったのか気になりましたので、兄弟や親について調べてみました。
それとは別に、教師だったという噂や学歴、他にも村田さんが残した伝説についてお伝えいたします。
村田諒太のプロフィール
本名:村田 諒太(むらた りょうた)
生年月日:1986年(昭和61年)1月12日
身長:183cm
出身地:奈良県奈良市
最終学歴:東洋大学
所属ジム:帝拳ボクシングジム
村田諒太の性格はじっくり物を考える哲学者みたい!
オリンピックやプロボクシングの世界で、輝かしい実績を残してきた村田さん。
イケメンとしても知られていますよね。
そんな彼ですが、一般的なボクサーや格闘家のイメージとは、少し違った性格をしているのかもしれません。
村田さんのそれは、とても冷静であり自身を客観視し、深く物事について考え抜くようなものと言えるでしょう。
そういった性格の原点には、どうやら哲学的な考え方があるようです。
「評価するのは他者ですから。アドラーが言うように他者をコントロールすることはできない。課題の分離ですよ」
実際に哲学者との対談なども行っており、どういった考えのもと行動しているのかを語っていました。
彼は、とにかくたくさんの本を読んできたようで、そのことがボクシングにおいても助けになっていたようですね。
そして、村田さんはどちらかというより自分自身のことよりも、他者への恩返しをどうしたらできるのかと考える性格でもあるようです。
その事に対し、哲学者である岸見 一郎(きしみ いちろう)さんによれば、精神分析学者であり哲学者でもあるアドラーの考え方に基づいて分析しています。
キーワードとなるのは「貢献感」という言葉。
ザックリと言えば、自分が他人に貢献できていると感じることができれば、自分に自信が持てるようになるというものです。
他にも対話の中で様々なことが語られているのですが、彼の場合はすぐに単純に同調してしまうのではなく、一つ一つの言葉を咀嚼している感じがありますよね。
その傾向は、一問一答で知られる大愚和尚(たいぐ おしょう)との対談でも見えています。
考え続けることを止めない。
それが、彼の根本的な性格なのかもしれませんね。
村田諒太には兄弟がいる!親は離婚していた!
村田さんには、二人の兄がいるそうです。
一番上の兄は誠徳(まさのり)さんで、二番目の兄は浩平(こうへい)さんと言うそうですね。
二人共一般人のようなので、他に情報はありませんでした。
それよりも重要なのが、彼の両親、特に父親の存在でした。
両親は離婚しており父親に育てられた!
村田さんの両親は、彼が子どもの頃に離婚していたようです。
離婚後もしばらくは同居していたそうですが、母親との思い出は薄いようですね。
村田諒太が泣いた
「ぼくは3年生の時にこの学校に転校してきました。ぼくは緊張して泣きました。ママは隣にいてくれました。ママと出会えてうれしかったです。」
両親の離婚でグレていた村田は、長い間母親に会ってなかった。「母親に感謝する気持ちなんか述べた事無いなあ」
(ようこそ先輩)— 矢牛 (@george_push) October 18, 2013
その反面、一緒に暮らしていた父親との関係は深いものであったことがうかがえます。
村田親子を描いたNHKスペシャルで、公務員夫妻の離婚家庭の三男坊で、手をつけられないヤンキーだった村田が、その後、ボクシングに進み、介護の仕事をしている父から送られたフランクルの『夜と霧』を愛読し、アドラーを座右の書としていることも知った。
闘いを支え続けてきた父・誠二さんとの深い絆を織り交ぜて描く。
村田さんは父親である誠二(せいじ)さんに幼い頃からとても懐いており、甘えていたそうです。
彼が少しグレてしまった時期に、周りの勧めもありボクシングを始めることになったのですが、その時所属するジムを一緒に探してくれたのも父だったようですね。
村田さんがボクサーになってからも交流は続いており、本を送るなど、独特な方法で励ましていました。
トータルで100万部を超えるロングセラーだが、村田が「父から勧められ、深い影響を受けた」と書名を挙げたことで再び火が付いた。
岡山にいる父は本を読んだ後、備忘録とかボケ防止とか何かと理由をつけて、その感想をLINEで長々と送りつけてきます。
どうやら岡山県に住んでいるようで、30年ほどの間、障がい者施設で働いているそうですね。
きっと、遠く離れていたとしても、自慢の息子だと思っていることでしょう。
村田諒太は教師ではない!学歴は?伝説の一戦も紹介!
村田さんは、一時期大学に職員として勤めていたようですが、教師ではなかったようです。
2008年に卒業して学生から職員になった彼は学生部に配属されている。
学生部に配属されていたようで、事務的な面でサポートしていたのかもしれませんね。
どうやらボクシング部のコーチも勤めていたようで、職員を辞めた後も交流があったようです。
村田諒太の学歴は東洋大学卒!
村田さんは、2008年に東洋大学経営学部経営学科を卒業しています。
東洋大学に進学し、ボクシング部に所属。2008年北京オリンピックを目指すが予選で敗退。
卒業後に大学職員をしながらボクシングを続けていましたので、かなり縁が深いと言えるのではないでしょうか。
哲学的な彼のことですから文学部に通っていたのかと思いましたが、経営学部だったんですね。
伝説的な一戦!
村田さんといえば、オリンピックで金メダルを獲得したり、WBA世界ミドル級タイトルを獲得するなど数々の伝説的な偉業を残してきました。
確かに、勝利したという意味では、それらは素晴らしいものでしょう。
しかし、彼の伝説的な一戦といえば、WBA・IBF世界ミドル級王座統一戦でゴロフキンと戦ったものではないでしょうか。
【日本ボクシング史に語り継がれるであろうビックマッチ❣️ 村田諒太🇯🇵vs伝説ゴロフキン🇰🇿】https://t.co/3iLCXjmMIV
Amazon Prime Video 登録してしまいました❣️
テレビで観られるように設定しなきゃ😂💦 pic.twitter.com/9rQ8uXJmDk— @Koume®🇯🇵 愛と光のカケラ✨💖🇺🇦 (@Koume4444pompom) April 9, 2022
最終的には9ラウンドTKO(テクニカルノックアウト)負けという形にはなってしまいましたが、所属する階級で歴代最強とも言われる選手と激闘を繰り広げ感動させてくれました。
村田諒太
貴方は日本の誇りだ…
侍の魂を最強であるゴロフキンにぶつけた。
心から感動した!!!
— 鬼越トマホーク 坂井良多 (@sakai026) April 9, 2022
一般的なボクサーのイメージやキャリアと、少し違っている印象がある村田さん。
哲学的な性格をしており、とても深く色々な物事に対して向き合っているようです。
兄弟や親について調べてみましたが、父親の影響が大きいのかもしれませんね。
教師だったという噂や学歴について調べてみましたが、東洋大学と深い関係があったようです。
ゴロフキンとの伝説的な一戦は、多くのボクシングファンを熱狂させたことでしょう。
2022年11月現在、村田さんはまだ進退を明らかにしていませんが、もう一度彼のファイトを見てみたいです。
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