諫山創は頭いい?大学進学せず専門学校へ。高校は地元の日田林工。作品に影響した生い立ち

全世界で大人気の漫画「進撃の巨人」の作者、諫山創(いさやま はじめ)さん。

多くの人を虜にする天才漫画家は「どのようにして生まれたのか」「頭の中はどうなっているか」気になりますよね。

今回は、諫山創さんのルーツを探るべく、「大学・専門学校・高校、生い立ち」について詳しく解説します。

諫山創のプロフィール

愛称:ガビ山

生年月日:1986年(昭和61年)8月29日

出身地:大分県日田市(旧大山町)

最終学歴:専門学校九州デザイナー学院マンガ学科卒業

「頭いい」といわれる諫山創は勉強も得意?

漫画家として優れた才能を発揮している諫山さんは、頭もいいと評判です。

「進撃の巨人」は世界中で大ヒット

諫山創さんの代表作「進撃の巨人」は、人を食べる巨人と人類の争いを描いたダークファンタジー。


電子書籍を含む全世界で累計の単行本部数は「1億部」を超える大ヒット漫画です。

電子書籍に関しては、なんと「世界180か国」で配信されています。

2023年現在、世界の国数は「196か国」なので、進撃の巨人は「世界中ほとんどの国で読まれている」ということになるのです。

諫山創は勉強も得意?

細部まで緻密に計算されたストーリーを生み出す「頭脳派の漫画家」諫山さん。

やはり「学力」もかなり高いのでしょうか。

ところが、学生時代「勉強はきらい」だったそうです。

「勉強も運動もきらいだった」という諫山さんが、唯一得意なものが「絵」でした。

高校卒業後、大学に進学せず「絵の専門学校」に進んでいることからも、「勉強よりも絵を学びたい」という気持ちがうかがえますね。

進撃の巨人は「世界史」の知識が詰まっている

「進撃の巨人」には「世界史の内容」がたくさん織り込まれています。

ストーリーに「現実世界の歴史を織り交ぜる」ことによって、人間の残酷な本質を鋭く描いているのです。


「勉強がきらい」だったという諫山さんですが、「世界史」の授業は好きだったのかもしれませんね。

例えば、壁外に住む「マーレ人」による壁内人類「エルディア人」への差別や迫害は、ナチスドイツとユダヤ人を連想させます。

腕章で身分差別をしたり、寝返った人は「名誉アーリア人」として身分を保証したり、類似点がたくさん見つかるのです。

また戦争で「大量殺りく兵器」として使われる巨人は、「核兵器」がモデルという考え方もできます。

そして、物語全体を通して伝えられてられているのが「結局、戦争は繰り返される」という残酷なメッセージ。

どんなに苦しい経験をしても、時が経つと痛みを忘れてしまう「人間の愚かさ」。

残酷な「史実」をモデルにすることで、諫山さんは「人の心をえぐる」ような作品を生み出すのです。

また、例に挙げたものはごく一部で、実際の歴史をモデルにしている場面は他にもたくさんあります。

なかには、学校の「世界史」の授業では習わない、「専門書」にしか載っていないような内容まで。

そのため、「進撃の巨人」の物語を考えるには、相当な「世界史」の知識が必要になるはずです。


非常に勉強熱心な性格といわれる諫山さん。

きっと学校の授業だけでなく、独学でも「世界史」を勉強したのでしょう。

諫山創の大学・専門学校・高校はどこ?

次は諫山創さんの気になる「学歴」について紹介します。

専門学校九州デザイナー学院に通っていた

諫山さんは、大学進学はせず「専門学校」に進みました。

福岡県の博多にある「専門学校九州デザイナー学院」で小学生からの夢である漫画家を目指します。

最初はデザイン科として入学するものの、すぐに「マンガ学科」に転科。

転科の理由は、反対していた父親に「漫画家を諦めていないことを隠すため」。

はじめから「マンガ科」に転科するつもりで入学したようです。

そして、19歳のとき専門学校の「集団持ち込み会」で上京し、訪れた「マガジン編集部」で絵を評価されて、初めて担当が付きました。

編集者に持ち込みをしたときの気持ちを、諫山さんは以下のように語っています。

緊張して、胃が痛かったのを覚えています(笑)。

ちなみに持ち込んだ漫画は「進撃の巨人」の元になるものでした。


「進撃の巨人」のアイデアを思い付いたのは、専門学校の狭い寮で落書きしていた時なのだとか。

地元大分から福岡に出て、初めて外の世界の広さを知り、「自分の才能の無さに打ちのめされた」という諫山さん。

進撃の巨人の「壁」の外に広がる絶望的な世界は、諫山さんの挫折経験が影響しているのかもしれませんね。

大分県立日田林工業高校に通っていた

出身高校は地元大分県の「日田林工業高校」です。

林業科・機械科・電気科・建築土木科に分かれており、甲子園の出場経験もある野球の強豪校です。

諫山さんは「建築土木科」に所属していました。

高校時代は「GANTZ」や「ベルセルク」などの漫画が好きだったようです。

またこの頃、本格的に漫画を描くために、わざわざ高速バスで大分から福岡まで「画材」を買いに行ったことがあるのだとか。

しかし、買ったはいいものの基本的な道具の使い方もわからいような状態だったといいます。

そして、高校三年生の夏休みに、初めて「ジャンプ」の賞に応募するも受賞できませんでした。

当時はかなり自信があったようで、落ちたことを認められず「郵送の手違いで編集者に届かなかった」と思っていたそうです。


高校時代の自分について、諫山さんは以下のように語っています。

今思うと、そんな調子で大丈夫か!?って恐ろしくなります。身のほど知らずでしたね

どんな天才でも「初心者」の時代があったと思うとなんだか安心しますね。

諫山創の生い立ち

唯一無二の感性で「進撃の巨人」を生み出した諫山さんは、一体どのような環境で生まれ育ったのでしょうか。

諫山創の育った日田市は「壁に囲まれた町」

諫山さんは、1986年に大分県日田市で生まれました。

夏は非常に暑く、冬は極寒という気候の「山に囲まれた盆地」です。

一番古い幼少期の記憶は、家の窓から見える景色が緑の壁みたいだったことです。

幼いころの諫山さんには、緑色の山々に囲まれた盆地の景色が「壁」に見えていたのです。

進撃の巨人の「壁に囲まれた町」は、生まれ育った「日田市の景色」がモデルになっているのかもしれませんね。

また実家は梅を栽培している農家で、2014年には諫山さんの実家の梅を使った「進撃の巨人キャラクターラベル梅酒」が販売されました。

「進撃の巨人」と「ゴジラ」の関係

諫山さんは一人でいることが好きな子どもで、一人でもくもくと恐竜の絵を書いていたようです。

『機械よりも「生き物」の方が書きやすかったから敵を「巨人」にした』という諫山さん。


この頃から生き物を書くことが好きだったようですね。

子どもの頃は「ゴジラ」「ガメラ」が大好きで、ゴジラの食玩付きお菓子をよく買っていたのだとか。

まるで「壁に囲まれている」ような日田市の景観や、「巨大な生物」への憧れ。

幼少期のさまざまな要素が、諫山さんの「進撃の巨人」をつくっているのですね。

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