田中卓志、母親はテレビ出演で有名人。死因の病気は神経内分泌がん。最愛の母親との弁当事件

デビューしてから2023年現在に至るまで芸能界の最前線で活躍を続けるお笑いコンビ「アンガールズ」の田中卓志(たなかたくし)さん。

その見た目やキャラのインパクトも大きいですが、バラエティ番組では面白い母親が有名でした。

田中三枝子(たなかみえこ)さんは芸人の母親の代表として多くの方に認識されていましたが、2021年5月にお亡くなりになったことが明らかになりました。

今回は田中卓志さんの母親である三枝子さんについて、死因や病気、親子の絆がわかる有名な弁当事件などを紹介していきます。

田中卓志のプロフィール

生年月日:1976年2月8日

身長:188cm

血液型:B型

出身地:広島県甲奴郡上下町(現府中市)

出身校:広島大学工学部第4類建築学部

活動期間:2000年-

所属事務所:ワタナベエンターテインメント

田中卓志の母親はバラエティでも大人気だった

田中卓志さんの母親である田中三枝子さんは、テレビ番組にも芸人の母親として数多く出演してきました。

数々の面白エピソードが披露されるだけでなく、番組内でのやり取りも上手く、視聴者にとってもなじみ深い方でした。

大人気バラエティ番組『水曜日のダウンタウン』では、「アンガールズ田中の母親 業界で一番NGが少ない説」と大々的に扱われたほどでした。


三枝子さんは結婚する前は大阪で看護師として働き、広島の田中家に嫁いでからは、育児をしながらも看護師を続けていたそうです。

仕事で忙しい中、3人兄弟を頑張って育てていた立派な母親だったわけです。

子供への愛情が深いのは確かですが、だからこそ逆にそれが行き過ぎて面白エピソードになることも多くありました。

例えばよく披露されていたエピソードとして、三枝子さんは実家の広島に住んでいますが、定期的に東京の田中卓志さんの家を訪れ、部屋の掃除をしていたそうです。

息子のだらしなさと同時に、母親の愛の深さに驚かされます。。

このエピソードは、特に芸人の先輩であり同郷でもある有吉弘行(ありよしひろいき)さんが多くの番組で暴露していました。

これを聞いた多くの女性タレントはドン引き。

そのたびに田中卓志さんは、40歳を過ぎても母親に部屋を掃除してもらっているダメ人間ということで、大きな笑いを生んでいました。

このようなエピソードは枚挙に暇がありません。

しかし、そのように話題に事欠かず愛された三枝子さんですが、2022年9月16日に放送された『金スマ』において、2021年の春に亡くなっていたことが明かされました。

お茶の間でも人気だったこともあり、三枝子さんの死は多くの方に悲しみを生みました。

なぜ亡くなってから発表するまで1年も時間が空いたのかというと、田中卓志さんの気持ちの整理がつかなかったためだそうです。

「去年、亡くなった直後に言うことでちょっと気持ちがズンってなっちゃうんで。バラエティーで仕事する以上は、気持ちが沈むとなかなか仕事にならなくて。それで、気持ちの整理がつかないとちょっと言えないなっていうのも、ひとつありましたね」

愛する母親を失った悲しみと、芸人として明るく仕事をしなければならないという義務感の板挟みにあっていたようです。

田中卓志さんの芸人根性を再確認できると同時に、この田中親子の関係性をこれまで見てきてよく知っているファンにとっては、とてもつらいところですね。

田中卓志の母親の死因は神経内分泌がんという病気

2021年5月10日、田中卓志さんの母親である田中三枝子さんが69歳という若さで亡くなりました。


三枝子さんの死因は、神経内分泌がんだったとのことです。

かなり珍しい病気で、治療法も確立されていないとか。。

三枝子さんががんになったことを息子の田中卓志さんが知ったのは2021年2月のことで、電話で三枝子さん本人から知らされたそうです。

余命が約1年から2年ということもわかっていたとのこと。

ただ、当時はコロナ禍で緊急事態宣言の真っただ中。

田中卓志さんはすぐに帰省して母に会いに行くことができませんでした。

それでも個人的に病院などに行き、対処法などを調べたりしていたそうです。

しかし、2021年5月に容態が急変。

田中卓志さんは兄から電話でそのことを聞きましたが、その連絡の直後に、三枝子さんは亡くなってしまいました。

病気が発覚してからお亡くなりになるまでの期間がたったの3か月。

ご家族にとってはあまりにも急すぎることだったでしょう。

三枝子さんが亡くなった次の日、田中卓志さんは広島に戻り、母親の顔を見ることができたとのことです。

そのときはじめて実感がわき、もっと何かできなかったのかと後悔したそう。

スタッフから「伝えられなかったことは?」と問われた田中は「『ありがとう』ということですよね。生きている時に『ありがとう』って言ったら、死んじゃうのかなみたいな感じになるから、言ってない」と唇をかみ、「あれくらい周りの人を楽しませることができる人になりたい」と声を震わせた。

このような経緯だった以上、気持ちの整理が上手くつかなかったこともよく理解できます。


それでも母親の死を受け止め、いまは少しづつ前を向いて進めだしているようです。

三枝子さんはノートに田中卓志さんへのメッセージを残していました。

「早く結婚して家庭を作ってください。ひとりだと、ゴミ屋敷でどうしているか心配です。しごとはほどほどにして、家に帰ってきんさい。田舎もいいですよ。ありがとう」

田中卓志さんは、2022年12月末に、実に15年ぶりに彼女ができたと明かして話題になりました。

これまでモテないキャラとして有名だったところに、突然結婚に向けて積極的に動き出したという印象がありました。

もしかしたらそれは、母の三枝子さんの遺言を受けてのことだったのかもしれません。

上手く結婚まで進み幸せな家庭を持つことで、速く母を安心させられることを願うばかりです。

田中卓志と最愛の母親の関係性がよくわかる弁当事件

田中卓志さんと、その最愛の母である三枝子さんとの親子関係がよくわかる話として、「弁当事件」と呼ばれるエピソードが有名です。

この事件は、2011年放送のバラエティ番組『はねるのトびら』で起きました。

番組内で行われたのが、「母の日感謝企画 手作りお弁当バトル」というコーナー。

芸人たちの母親が出演し、それぞれの子供たちが学生時代に食べていた弁当を再現したものをつくり、それを審査して順位をつけるという企画でした。

三枝子さんがつくった弁当は、冷凍食品のから揚げや卵焼きなどが入った、飾り気のない素朴な弁当だったとのこと。

そして審査されていった結果、なんと最後まで残り最下位になってしまったそうです。


他の芸人たちからは、「冷凍食品が入っていて愛情が感じられない」などのコメント。

渦中の田中卓志さんはと言えば、母がこれまでバラエティ番組にたくさん出演して笑いをとってきた経験があるから、安心していたとのことです。

こうして弁当が悪く言われても、そこから面白いコメントが出ると期待していたとか。

しかしその予想に反して、三枝子さんからは笑顔が消えて、ただ俯いてしまったそうです。

これを見た瞬間、僕はヤバイ……と思った。確かに母はバラエティモンスターかと思うくらい面白い人だけど、芸人ではない。特にこういう母としての愛情を問われることに対してうまく返せるような強さは持ち合わせていない、一般の人だということを忘れていた。

母親としての愛情が深い方だったからこそ、いつものバラエティ番組のときと同じく笑いに変えることができないのが、まさに愛情の証明とも言える弁当だったのでしょう。

結果、この母三枝子さんの様子を見た田中卓志さんは芸人人生でトップクラスの大立ち回りをしたといいます。

「おい!お母さん落ち込んでるだろ!冷凍食品がダメとか言うけどな、うちのお母さんは共働きで看護師をやっていて忙しかったんだよ!3交代で忙しい中、弁当も作ったから、冷凍食品くらい入るんだよ!でもな、身長を一番伸ばしたのはこの弁当だ!」

続いて、母が作った弁当を食べ、「母ちゃん美味いぜ!」と言ったら、「ありがとう」と答えてくれたそうです。

この田中卓志さんの大奮闘を見た三枝子さんは涙を流し、それどころか他の芸人の母親たちも泣いていたとのことです。

大爆笑を生んでバラエティ番組として成立させただけでなく、特に子供をもつ母親にとっては泣いてしまうほどの感動をも生んだというこのエピソード。

バラエティ番組史に残る名場面であると同時に、田中卓志さんと最愛の母・三枝子さんの深い親子関係がよくわかる出来事でもありました。

以上、これこそがいわゆる「弁当事件」に他なりません。


関連記事
田中卓志、父親は広島で農家経営。実家は金持ち。兄弟が結婚?祖父も農家で資産家

田中卓志は頭いい!建築士と芸人で迷った過去。高学歴で広島大学出身。教員免許はデマ

田中卓志の彼女は誰?結婚予定に前向き発言。モテる性格&告白きっかけは今田耕司

田中卓志、イケメンの若い頃がかっこいい!過去のヒゲ姿。歯列矯正を決意&趣味は紅茶!

若林正恭、父の死と和解。姉とは仲良し&実家が裕福?学歴は東洋大学?

篠原ともえはお嬢様?実家は寿司屋。家族は両親と兄&出身地は青梅市

あばれる君と嫁の結婚エピソード。出産動画で話題の息子2人&実家は4人家族