1959年に映画『細雪』で、美しい四姉妹の末っ子を演じて人気となった叶順子(かのう じゅんこ)さん。
すでに女優業を引退していますが、現在はどのように過ごしているのでしょうか。
夫、結婚に関する情報のほか、娘の詳細を確認します。
そのうえで、映画会社・大映の元スター女優である叶さんの経歴をまとめます。
叶順子のプロフィール
本名:吉田順子
生年月日:1936年1月21日
出身地:東京市(現在の東京都)中野区野方
最終学歴:東京都立北野高等学校
叶順子は現在86歳
まず叶さんの現在について確認します。
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— 武邑廢杖子@ 雨降り小僧 (@P0LYPHEMUS) January 1, 2022
女優として人気絶頂にあった1963年7月、目の不調により引退してから60年近くが過ぎました。
2023年で87歳を迎えたはずですが、近況に関する情報は一切見当たりません。
非常に美しい女優さんでしたから、今は気品に満ちたすてきなマダムになっているのではないでしょうか。
ただ引退理由が目の不調だったため、視力に問題はないか、やや心配ではあります。
1960年代当時、映画をカラー撮影するとき、顔のクローズアップを撮るには600~800ワットの照明を当てる必要がありました。
現代では写真撮影に使われる最適なワット数は、100ワットほどとされています。
あまりに高いワット数の照明を浴びると、健康に害が出る可能性が高いのです。
身体の不調を感じるリスクを負いながら、かつての映画スターたちは600~800ワットの照明に当たり、撮影に臨んでいました。
叶さんは撮影で照明を浴び続けた結果、目に異常をきたしてしまいます。
医師から「このまま撮影を続ければ失明する」と診断され、やむなく引退することになったのです。
かつて照明を浴び続けていた叶さんの目が、年齢を重ねた今も問題なく機能しているのか、少し不安になりますよね。
女優を引退したとはいえ、全盛期に彼女の目はかなりのダメージを受けていたはずです。
今の様子はわからないものの、目の病気などになっていないことを願います。
叶順子の夫は一般人、結婚して家庭に入る
叶さんは女優業を引退すると、翌1964年に結婚しました。
結婚相手は一般人のため、詳細はわかりません。
特に離婚したという情報はないため、夫婦円満に過ごしてきたのではないでしょうか。
きっと叶さんは不本意な理由での引退直後、女優のキャリアを断ち切られて悲しみに暮れていたはずです。
引退の翌年に結婚したということは、旦那さんは彼女の心の傷を癒し、寄り添ってくれる優しい人だったに違いありませんね。
結婚後の叶さんがどのような生活を送っていたのかはわかりません。
専業主婦として家庭に尽くしていた可能性もあれば、何か好きな仕事を見つけて家計を支えていた可能性もあります。
いずれにせよ、女優業を諦めた後、新たな生きがいを見つけて幸福に暮らしていたと考えたいところですね。
叶順子のおにぎり娘
ネット上で叶さんについて調べていると「娘」というキーワードが表示されます。
娘さんについて気になる人が多いということでしょうか。
しかし叶さんが出産したかどうかはわかっていません。
子供がいる可能性は十分あるものの、子供の性別や職業などの詳細は不明のため、娘さんがいるとは断定できないのが現状です。
なぜ叶さんとキーワード「娘」が結び付いたかというと、出演映画のタイトルに「娘」が付くものがあるためでしょう。
叶さんが出演していたのは、1961年の映画『東京おにぎり娘』です。
若尾文子さん演じる明るい娘「まり子」が、おにぎり屋さんを開業し、奮闘する物語でした。
叶さんが演じたのは、まり子の腹違いの妹である「みどり」。
レビューの踊り子役として、チャーミングながら色っぽい演技を見せました。
東京おにぎり娘/ 敬三、浩と文子の恋のお相手はいつもの面子ではありますが、横から恋慕する社長/雄之助とか、やんきいな青年/ジェリー藤尾とか、取り巻き連のバラエティも楽しめます。で、叶順子のレビュー嬢も魅力的で。あの頃のレビューの演出家とか、文芸部ってちょいと憧れます(浩のことね)
— chiaki takano (@chiakicolor) August 20, 2012
叶順子、大映女優の経歴まとめ
『東京おにぎり娘』は映画会社・大映の作品です。
当時の映画界は、映画会社ごとに専属契約したスターが所属するというシステムでした。
叶さんは1956年に、第10期ニューフェイスとして大映へ入社し、同期の田宮二郎さんらとともに売り出しました。
元々叶さんは、芸能界とは関係のないスッポン料理屋の娘として育ち、都立北野高校を卒業後は資生堂で働いています。
資生堂に属する「美のスペシャリスト」である美容部員の原点「ミス資生堂」に選ばれたのです。
ミス資生堂には、化粧品に関する知識、教養、接客マナーなどの高いスキルを身に付けた美女が選ばれていました。
(大映宣伝部・中島賢さん)
叶順子は東京の料理屋に生まれ ミス資生堂に選ばれ資生堂に入社、その後大映に入った
当時は本郷功次郎が売り出し中で彼女は「本郷功次郎まつり」によく同行していた
京マチ子のような大型女優になるだろうと期待されていたが健康上の理由から人気絶頂時に引退してしまった pic.twitter.com/4uUPMM4fdW— ジャスミン眞理子@懐かしい洋画・邦画のご紹介 (@JasmineMariko12) January 20, 2022
中でも特に美しかった叶さんは、美容部長・藤原あきさんの推薦により、大映に入社することになりました。
1957年に映画『朝の口笛』でデビューし、同年の特撮映画『透明人間と蝿男』ではヒロインに抜擢。
大衆の人気を獲得したのは、1959年の島耕二監督の映画『細雪』で、四姉妹の末っ子を演じたことがきっかけです。
「細雪」映像は大谷崎の原作に比べるもないが、ぼんやりとしていたり、歪に当世風なものばかりだったが、この「細雪」は傑作。鶴子(轟夕起子)の貫禄。幸子(京マチ子)と雪子(山本富士子)の絶妙可憐な掛け合い。妙子(叶順子)の狂い咲き。色々と障壁さし障りも起こるが終始希望に向かっている、華々しい。 pic.twitter.com/SOrVU01U0M
— Colette (@Colette89677107) March 17, 2018
以降は京マチ子さん、山本富士子さん、若尾文子さんに次ぐスター女優となりました。
しかし人気絶頂の1963年、先述した目の不調により引退します。
絶頂期の美しい女優の姿のまま、ファンの記憶に残り続け、伝説のスターとなったのです。
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