日本プロ野球の伝説的な人物であり、読売ジャイアンツ終身名誉監督でもある長嶋茂雄(ながしま しげお)さん。
選手としては若い頃から活躍しており、その成績はとてつもない凄さがありました。
それとは別に、擬音の使い方も特殊な人物ですよね。
面白そうな話がたくさんありそうです。
全盛期についても気になりますし、得点圏打率も凄そうです。
今回は、そんな長嶋さんの興味深い話を色々と調べていきましょう。
長嶋茂雄のプロフィール
本名:長嶋 茂雄(ながしま しげお)
生年月日:1936年(昭和11年)2月20日
身長:178cm
出身地:千葉県佐倉市
最終学歴:立教大学
所属球団:読売ジャイアンツ
長嶋茂雄の若い頃の凄さとは!?擬音も調査!
読売ジャイアンツの選手・監督として、とてつもない人気を誇った長嶋さん。
選手としての実力も素晴らしく、華のあるプレーも多い印象があります。
その凄さは、日本プロ野球に関係する多くの人物が認めているようです。
本当に、素晴らしい選手だったことが伝わってきますよね。
そして、彼の特筆すべき点として、若い頃から活躍していたことが挙げられます。
新人として臨んだ1958年のシーズンでは、全130試合に出場して打率.305本塁打29本打点92盗塁37を記録。
本塁打王・打点王といったメジャーなタイトルの他、最多安打・新人王も獲得。
この年、長嶋は29本塁打、92打点で、本塁打・打点で新人2冠王を獲得した。
数々の新人記録も打ち立てました。
まさに記録にも記憶にも残るルーキーシーズンであり、日本プロ野球史上に残るものでしょう。
そして、その活躍はそれでとどまることはなく、翌年以降も凄まじい活躍を続けました。
2年目となる1959年は打率.334を記録し首位打者に。
そして、当時はそれほど注目されていなかったようですが、出塁率と長打率を足した数字であり、強打者かどうかを判断できる指標でもあるOPSは1.038を記録。
2年目でOPSが1.000を超えるというのは、かなり衝撃的なことです。
もっとこのことは評価されるべきでしょう。
その後の活躍は、もはや語るまでもありませんよね。
若い頃の遊びも凄かった!?
プロ野球の世界は、グラウンド上はもちろんのこと、オフの姿も注目されることがあります。
そして、長嶋さんに関しても、様々な逸話があります。
一番好きだったのが芸者遊びです。
下戸体質だったそうですが、高級クラブで遊ぶことはよくしていたとのことで、中でも芸者遊びが一番好きだったとか。
それにハマりすぎて、なんとルーキーシーズンには給料の前借りもしていたという話です。
比較的真面目なイメージがある彼にそんなエピソードがあったとは、少し驚いてしまいました。
長嶋茂雄の擬音も調査!
長嶋さんといえば、監督時代に選手を指導する際などに使っていた擬音が印象的ですよね。
とても特徴的な指導の仕方です。
これに関しては、ある意味では世間からイジられているような部分もあったのかもしれません。
ミスターこと長嶋監督の擬音は難しすぎんだよなぁww
— 食蜂提督P🐝水の証 (@nao_midorikawa) December 11, 2021
しかし、彼が多くの名選手を育てたという事実は見過ごせないことです。
そして、近年では、この指導方法に関して評価する声もあるようです。
長嶋茂雄さんの大ファンだった父は、野球の教え方が長嶋流でした。「ヒューッと来たボールをパーンと打ちなさい」という具合でした。こういった擬音語、擬態語の教え方が本当に選手に伝わっているのか、どのようなメカニズムで理解されているのか不思議に感じ、その深層心理を解明しようと思ったのが研究の始まりです。
擬音は専門的な分野では「オノマトペ」と呼ばれており、上手に活用すると指導に役立つと言われています。
長嶋さんが、それを意識していたかどうかは分かりません。
しかし擬音を使うことが、選手に対する指導に役立っていたということは、十分可能性として考えられるでしょう。
今では彼の指導者としてのこの特徴的な手法を、評価する声も多いようです。
りゅうりんさん!おはようございます✨🙌🙌雑談の話ネタ!本当に参考になります!これ、以外とその時になると忘れがちですよね😭オノマトペ✨よく使います。長嶋監督ってすごいなぁっていつも思います。擬音語だけでちゃんと伝わるんですもん😆今日もよろしくお願いいたします✨┏○ペコッ
— たかな (@takana789) April 12, 2021
真似することは難しいかもしれませんが、意識して使ってみると面白いかもしれませんね。
長嶋茂雄の全盛期はいつなのか!?
長嶋さんを語る上で、全盛期がいつなのかということは、よく議論されていました。
富野由悠季とアントニオ猪木と長嶋茂雄の全盛期論争は戦争やぞ!
— ヌ・リョウグ・ダちん💙💛 ☦️← ❤️🔥 (@nuryouguda) April 18, 2021
長年に渡って高い水準で活躍を続け、印象に残るシーズンもたくさんあるので当然のことですよね。
基本的にはルーキーシーズンから1964年まで、1965年から1973年までの日本シリーズ9連覇を果たしたV9時代の二つに大別されるのではないでしょうか。
1965年から73年まで巨人はリーグ優勝し日本シリーズもすべて勝って9連覇を達成した。これを不滅のV9という。
記録でいえば前者、記憶でいれば後者という印象を受ける人も多いのかもしれません。
個人的な見解としては、確かにチームスポーツの選手なのでチームが残した結果も大切ですが、明確に個人成績が優れているルーキーシーズンからの7年間を推したいです。
この間に長嶋さんは、OPS1.000超えを5シーズン記録しています。
そして、V9時代になるとそれは1968年の一度しかありません。
ここまで数字の違いがあると、流石に優劣をつけざるを得ないでしょう。
皆さんは、どう考えますでしょうか。
長嶋茂雄の得点圏打率が凄すぎる!
長嶋さんの特徴として、よくチャンスに強いということが言われていますよね。
勝負強いバッティングと華麗な守備で「ミスター・ジャイアンツ」として国民的人気を得た。
しかしこういった言われ方をされる選手は、実は一時期だけの印象であり、通して見ればそこまででもないということもあります。
それでは、彼は実際にどうだったのでしょうか。
なんと、チャンスでの強さを示すと言われている得点圏打率が、現役通算で.383だったとのこと。
昭和の記録映像みたいなのを見てたら、長嶋茂雄のプロ17年間の「生涯得点圏打率383」と軽く紹介されててビビった。チャンスに強すぎだろ…。
— プロ野球死亡遊戯 (@shibouyuugi) March 26, 2015
通算打率が.305なので、明らかに差があることが分かります。
ここまで明確に数字の違いがあると、印象だけではなく、事実としてチャンスに強かったと考えることが妥当でしょう。
記憶と記録が一致する選手だったということでしょうか。
多くの人に愛されている長嶋茂雄さん。
若い頃の凄さを見てみましたが、想像していたそれを上回っていました。
擬音に関しても、彼の天才性を補強するエピソードなのかもしれませんね。
全盛期がいつなのかは議論があるようですが、個人個人の見解が違っても良いのではないでしょうか。
得点圏打率にも注目してみましたが、本当に記憶でも記録でもどちらも凄いようです。
あらためて長嶋さんを振り返ってみると、伝説的な人物であると実感させられました。
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