富司純子の若い頃が美人!華麗な家系図。東映勤務の父親と一般人の母親&生い立ちまとめ

たぐいまれな美貌を武器に、任侠映画のヒロインやバラエティ番組の司会などとして活躍した女優の富司純子(ふじ すみこ)さん。

年齢を重ねてもその魅力は色褪せませんが、若い頃はまるで絵画に描かれたかのように美しい女優でした。

今回は若い頃の写真を確認しつつ、華麗な家系図と父親・母親、生い立ちについて見ていきましょう。

富司純子のプロフィール

本名:寺島純子

生年月日:1945年12月1日

身長:非公表

出身地:大阪府大阪市東成区

最終学歴:京都女子高等学校

所属事務所:フリー

富司純子の若い頃が美人

若い頃の富司さんは目鼻立ちがハッキリしているものの、決して西洋風の美人ではなく、和装の似合う凛とした女優でした。

まるで日本画に描かれた美人像のような美しさで、見惚れてしまいますよね。


なんと富司さんは、生まれたばかりの赤ちゃんだった頃から、目鼻立ちが非常に美しかったそうです。

年齢が3歳上の姉・允子さんは、「母はまるで人形のようにかわいい妹を連れて歩くのが自慢だった」と回想しています。

やんちゃな姉は真っ黒に日焼けし、男の子たちとメンコ遊びをするのが大好きでした。

一方かわいい妹は、7歳で日本舞踊を習い始め、女の子らしく育ったのだそうです。

富司さんには姉のほかに、5歳年上の兄・正弘さんもいました。

正弘さんも妹について「きれいな顔の子で、学芸会でも主役をしていた。おふくろは芸の道に進ませたかったんだろう」と証言。

兄と姉の証言ですから、富司さんが幼少期から美人だったという情報は間違いないのでしょう。

美しいだけでなく、絵や運動も得意で、優秀な女の子だったようです。

富司さんは大坂で暮らしていた中学校時代、宝塚歌劇団のファンになり、劇場に何度も通うほど熱中し始めます。

「中学校を卒業後は宝塚音楽学校に入りたい」と考え、受験予備校「宝塚コドモアテネ」に通い始めました。

しかし父親から「宝塚は遠いし、せめて高校ぐらいは出てほしい」と反対されて断念します。

それでも富司さんは芸能の道を諦めず、高校在学中から姉とともに歌謡番組「ハイハイ、マヒナです」のカバーガールとして出演。

1963年にマキノ雅弘監督のスカウトを受けて、「藤 純子」の芸名をもらいました。

そして映画『八州遊侠伝 男の盃』のお千代役で銀幕デビューを果たすのです。

富司純子の家系図:夫は七代目尾上菊五郎で娘は寺島しのぶ

「緋牡丹博徒」シリーズや「日本女侠伝シリーズ」シリーズなど、任侠映画のヒロインとして人気を博した富司さん。


人気絶頂の1972年3月30日に、四代目尾上菊之助(現在の七代目尾上菊五郎)さんと結婚しました。

6年前にNHK大河ドラマ『源義経』で共演したことが、交際に至ったきっかけだったそうです。

婚約会見で富司さんは、芸能界の引退を発表しました。

しかし結婚から2年後には、本名「寺島純子」名義でワイドショー「3時のあなた」の司会を務め、芸能界に復帰します。

1989年には「富司純子」に改名し、映画『あ・うん』で女優としても本格的に復帰しました。

出産や育児で休業した時期もありましたが、やはり芸能活動をしている時間が、楽しくてたまらなかったのでしょうね。

富司さんの娘は女優の寺島しのぶさん、息子は五代目尾上菊之助さんです。

寺島さんは弟の菊之助さんと異なり、女性に生まれたため歌舞伎俳優になれないのが悔しかったようでした。

しかも美人女優の母に対する劣等意識もあり、悶々とした時期があったそうです。

しかし太地喜和子さんのすすめで劇団文学座に入団し、女優の道を進み始めてからは、水を得た魚のように生き生きと活躍し始めます。

母の存在を意識せず、ヌードをはじめ壮絶な演技も披露し、母とは異なる芸風を確立しました。

2010年に映画『キャタピラー』での演技が評価され、世界三大映画祭の1つ「ベルリン国際映画祭最優秀女優賞」を受賞しています。

富司純子の父親は東映プロデューサー・俊藤浩滋

実は富司さんの父親もまた、芸能界で活躍した人材でした。


父は東映プロデューサー・俊藤浩滋さんで、「仁義なき戦い」シリーズといった任侠映画を企画し活躍しました。

しかしプライベートでは、妻と3人の子供を捨てて、京都の人気NO.1芸者・おそめ(上羽秀)さんと同棲を始めてしまいます。

おそめさんは籍は入れなかったものの、富司さんたちの養育費を援助し、俊藤さんの映画界入りまで面倒を見たそうです。

また俊藤さんはかつて山口組と関係したヤクザだったとされ、おそめさんは母から入籍を反対されていたといいます。

思うところはあったはずですが、決して籍は入れず、愛人の家族への支援を続けた気丈な女性だったようですね。

富司純子の母親は一般女性

富司さんの母親は一般女性でしたが、娘のかわいさを自慢に思い、日本舞踊を習わせていました。

きっと娘の芸能界入りの際にも、心から応援して支援していたのでしょうね。

夫の不義に耐えた時期もあったはずですが、芸能界の第一線で活躍する娘の存在が、生きる希望になっていたのかもしれません。

富司純子の生い立ち

富司さんは戦後の1945年12月1日、疎開先だった和歌山県御坊市で生まれました。

5歳で大阪府大阪市東成区に転居します。

父親はほとんど帰宅しない「火宅の人」だったため、母と祖母から育ててもらいました。

身勝手な父親だったようですから、富司さんは反抗心を抱いたこともあったのではないでしょうか。

中学校で目指し始めた宝塚受験に反対されたときも、本当は反発したかったのかもしれません。

だからこそ「宝塚は無理でも、芸能界だけは諦めたくない」という一心で、結婚後も意地でも芸能活動を続けようと努力したのでしょうね。


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