小柳ルミ子、実家の家族は裕福!母親は秋田出身、父親との別れ。兄弟なし&生い立ちまとめ

宝塚歌劇団を経て1971年に『わたしの城下町』で歌手デビューし、今も音楽界で活躍し続ける小柳ルミ子(こやなぎ ルミこ)さん。

福岡県出身の小柳さんは、お金持ちの実家で生まれ育ったとされています。

今回は実家の家族について、母親が秋田出身という情報、父親と兄弟の詳細を確認。

家族の情報から、知られざる生い立ちに迫ります。

小柳ルミ子のプロフィール

愛称:ルミちゃん、ルミルミ

本名:小柳留美子

生年月日:1952年7月2日

身長:160cm

出身地:福岡県福岡市早良区

最終学歴:筑紫女学園中学校/宝塚音楽学校

所属事務所:プラチナムプロダクション

小柳ルミ子の実家の家族は非常に裕福

小柳さんの実家は福岡市早良区にあり、非常に裕福な家族が暮らしていたとされています。

当時暮らしていた自宅は豪邸で、小柳さんは幼少期に何不自由ない生活を送っていたそうです。

また幼少期から多くの習い事に励んでいました。


踊り関連の習い事だけでも、クラシックバレエ、日本舞踊、ジャズダンスと幅広く習っています。

音楽関連についても歌のほかに、ピアノや三味線といった楽器の演奏にも取り組みました。

習字も含めて合計8つの習い事に励んでいたそうですよ。

いくらお金があるとはいえ、複数の習い事の練習時間をそれぞれ確保するのは、かなりハードだったのではないでしょうか。

小柳さんが多くの習い事に励んでいたのは、母親の意向に従ったためでした。

小柳ルミ子の母親は教育熱心

母親の愛子さんは娘を歌手にするため、早い段階からさまざまな習い事に通わせました。

8つの習い事は歌手としての素養を培うための芸事だったわけですね。

愛子さんは一般女性でしたが、もしかすると自身が歌手の夢を諦めて、娘にそれを託そうとしたのかもしれません。

非常に教育熱心で、幼少期から娘のマネージャーのように、歌手デビューに向けたサポートに尽くしました。

決して命令せず、基本的には何事も娘に決めさせていたそうです。

「こうしなさい」「これをやってはダメ」などの言葉は一切かけませんでした。

もし小柳さんが弱音を吐いた場合は、「嫌なら、辞めるかどうか自分で決めなさい」と言っていたそうです。

晴れて歌手になった小柳さんは、有名人になってからも母と二人三脚で歩み続けました。

愛子さんは常に娘への支援を怠らず、サポートを続けていたのです。

母が危篤になったとき、小柳さんは病院の電話越しに『瀬戸の花嫁』を聴かせたそうですよ。

人生最後の瞬間まで、愛子さんは娘の愛と歌に包まれて過ごしたのですね。


愛子さんは86歳で亡くなる前に、娘宛の手紙を残していました。

亡くなった病院の枕元に置かれていた手紙には「ルミ子が娘で良かった」という言葉が感謝とともにつづられていたそうです。

小柳さんは時々手紙を読み返したり、天国の母に話しかけたりして、今も母子で歩み続けています。

小柳ルミ子の母親は秋田出身

愛子さんは秋田県の八郎潟出身です。

小柳さんは度々、母の生まれ故郷を訪れて、コンサートを開くこともあるようです。

 

 

すてきなお仕事が舞い込む度に、母に感謝し、母の故郷に思いを馳せている様子です。

「今の私があるのは母が支えてくれたおかげ」という気持ちで、母を育んだ秋田の大地にも感謝しているのでしょう。

小柳ルミ子の父親は早くに他界

小柳さんは実の父親を3歳で亡くしています。

地元で運送業「小柳運送店」を営む社長だったそうですが、若くして病死してしまったようです。

そのため父親の記憶はほとんどありません。

その後は母親が裕福な男性と再婚したため、小柳さんは何不自由なく暮らせるようになりました。

義理の父親は相当なお金持ちでしたから、一般的なサラリーマンではなく、やはり社長業などで成功した人だったのでしょう。

小柳ルミ子に兄弟はいない

小柳さんに兄弟はおらず、一人っ子です。

愛犬のポメラニアン「ルル」を亡くしたとき、ブログで自身を「天涯孤独」と表現していました。


ブログを書いた瞬間は、両親も愛犬も失い、兄弟もいない自身の孤独な境遇に思い至り気持ちが沈んでいたようです。

 

 

それでも仕事の関係者やファンに支えられ、いつか愛する人たちに再会できる日まで、懸命に前進している様子もうかがえました。

気丈に振る舞いつつも、時には存分に涙を流しながら、母や愛犬にじっくり話しかける時間を作ってもらいたいですね。

小柳ルミ子の生い立ち

小柳さんは幼少期、勉強が得意だったようです。

お嬢様中学・筑紫女学園中学校に進学し、勉強と歌手になるためのハードな習い事を両立させていました。

中学校卒業後は宝塚音楽学校に進学して、歌やダンスの稽古に励むさらにハードな日々を送り始めました。

歌手になりたかった小柳さんは在学中、先輩の梓みちよさんから芸能事務所「渡辺プロダクション」を紹介されます。

事務所に所属する条件は「宝塚音楽学校を首席で卒業すること」でした。

小柳さんは見事に音楽学校を首席で卒業し、歌手デビューへの切符をつかみます。

「初舞台だけは踏んでおくように」とアドバイスされ、「夏川るみ」名義で宝塚歌劇団に入団。

その後は入団からわずか2か月で退団しました。

退団と同年の1970年、事務所の意向でNHK連続テレビ小説の『虹』に出演し女優デビュー。

翌年に「ワーナー・ブラザース・パイオニア」から初の邦楽部門の歌手として、念願のデビューを果たしました。


「腰掛け」にするにはあまりにレベルが高い宝塚歌劇団を、あっさり退団する度胸に感服するしかありませんね。

小柳さんの「タカラジェンヌではなく、歌手になりたい」という思いの強さ。

幼少期から支えてくれた母の思いに報いようとする孝行心もすばらしいですね。

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