長嶋一茂、若い頃は野球の才能があり天才!身体能力が高い。立教大学での活躍&失意の引退

伝説的な名選手だった長嶋茂雄(ながしま しげお)さんの息子であり、自らもプロ野球選手だった長嶋一茂(ながしま かずしげ)さん。

選手時代については、どちらかというと期待外れだったという評価が目につく印象です。

しかし、若い頃の野球の才能は高く評価されており、天才的な身体能力の持ち主であったことは確かな事実です。

父と同じ立教大学で大学野球をプレーしていましたが、素晴らしい選手であったことは間違いありません。

今回は、一茂さんの野球選手時代の話、そして引退した理由について深掘りしていきます。

長嶋一茂のプロフィール

本名:長嶋 一茂(ながしま かずしげ)

生年月日:1966年(昭和41年)1月26日

身長:181cm

出身地:東京都大田区田園調布

最終学歴:立教大学

所属球団(引退時):読売ジャイアンツ

長嶋一茂は若い頃確かに野球の才能があり天才だった!身体能力が凄い!

2023年現在では、テレビタレントとして様々な番組で活躍を見せている一茂さん。

その活躍っぷりは、かなり凄いものがありますよね。


そんな彼ですが、かつてプロ野球選手だったということは、多くの方がご存知なのではないでしょうか。

父があの茂雄さんなので、そういった意味でも有名でしたよね。

しかし、野球選手としての評価は、そこまで高くはない印象があります。

どちらかというと、期待外れといった風に言われることも多いのではないでしょうか。

改めて現役時代の成績を見返してみると、打者としての実力をある程度計ることができる指標であるOPSが通算で0.600を超えているなど、全くダメだったというわけではありません。

素晴らしいとまでは言えませんが、一軍選手として及第点をあげられるのではないでしょうか。

それにもかかわらず評価が低いのは、おそらくは父と比較されてしまうからなのかもしれません。

少し、不憫ですよね。

そこで、今回はそういったことを除外して、彼の選手としての才能を振り返っていきましょう。

若い頃に才能を評価されていた!

意外に思われる方も多いかも知れませんが、一茂さんの若い頃を知るプロ野球経験者は、その才能を認めています。

例えば、ヤクルトスワローズ次代に同僚だった飯田哲也(いいだ てつや)さんは、YouTubeの動画に出演した際に彼について高く評していました。

打撃練習では目を見張るものがあったようで、とても凄かったと振り返っていますね。


ただ、あまり努力をせず、野球に真剣に取り組む姿勢に欠けていたのではないかとも述べています。

そして、もし本気で野球をやっていたとしたら、凄い選手になっていたのではないかと評価していました。

他にも、名捕手として評価が高かった古田敦也(ふるた あつや)さんも、彼の才能を認めていたようです。

また、野球選手としての才能については、「力は本当に強い。握力80kgぐらいある」「今でもそうですけど、首も太い。僕らよりも全然すごい体をしていて。才能はすごいんですよ。肩も強いし、足も速い。

やはり、野球選手として活躍できそうな片鱗は随所にみせていたのでしょう。

しかし、大成できなかったことも事実ではあります。

たらればはありませんが、彼の天才的な才能が存分に発揮されていたらどうなっていたのか。

そう考えずにはいられませんね。

長嶋一茂の身体能力がエグい!

一茂さんといえば、非常に身体能力が高い人物として知られています。

体格も良くパワーがあり、そしてそれだけではなく肩も強く足も速かったと言われています。

まさに、アスリートに必要とされる能力全てを兼ね備えていたようですね。

一緒にプレーしたことがある関係者も、彼の身体能力は凄かったと述べているようです。

高木氏は続けて、「体の力、肩の強さ、ボールを遠くへ飛ばす力、そういうのはすごい力を持ってた」とコメント。試合前練習などではたから見ていても、身体能力が非常に優れていることは一目で分かったという。

プロ野球選手は、基本的に優れたアスリートの集まりです。


その中でも、彼の身体能力は一目で分かるほど他とは違ったということなので、相当なものだったようですね。

しかし、プロ野球選手として大成できるかどうかは、それだけでは決まらないもの。

誰もが羨む身体能力を持っていたことは間違いありませんが、それを十分に活かしきることはできなかったのかもしれませんね。

長嶋一茂は立教大学で大活躍していた!

一茂さんは、父である茂雄さんと同じく、立教大学に進学し卒業しています。

もちろん野球部に入り、なんと1年時からレギュラーを獲得していたそうです。

当時は年功序列の風潮が強かったので、まさに異例のことと言えるのではないでしょうか。

そして、なんとそこから全試合に出場したということなので、とても凄いことですよね。

4年生時には4番サード、そして主将としてチームを牽引。

秋のリーグでは16打点を叩き出し、打点王に輝いています。

大学通算本塁打は11本と2桁に乗せ、非凡な才能を見せつけました。

そして、その活躍と将来性を高く評価され、1987年のドラフト会議でヤクルトスワローズに1位指名されるまでに至りました。


2023年1月現在、一茂さんは立教大学出身の野手で最後にドラフト1位指名された選手になっています。

まさに、大学を代表する選手だったんですね。

長嶋一茂は失意の引退をしていた!?

プロ野球選手というものは華々しい職業ですが、全ての選手にいつかは引退する日が訪れます。

そして、一茂さんにとってのそれは、少し残念な形だったのかもしれません。

というのも、現役最後年は体調不良に悩まされていたからです。

異変が起きたのは1996年で、30歳の時。当時、父・長嶋茂雄さんが監督を務めていたプロ野球巨人で2軍生活を送っていた。ある日、食事中に過換気症候群で呼吸が困難となり、家の中でも「天井がぐるぐる」回るように。「ノイローゼ状態」になって練習にも行けなくなり、その年のオフに戦力外通告を受けて引退した。

彼は1996年オフに戦力外通告を受けそのまま引退しているのですが、その裏にはノイローゼ状態があったんですね。

どうやらパニック障害にかかっていたようで、一時期は練習どころか日常生活も困難だった様子です。

病名は『パニック障害』。自律神経をやられ、過呼吸症候群になったと診断された。不安になると呼吸が苦しくなり、天井がグルグル回る。発作が治まるまで、5、6時間も家の周りを歩き、精神安定剤の世話にもなった。

すべてを出し切ることができたのならスッキリしたかもしれませんが、この終わり方は無念だったことでしょう。

しかし、引退後にタレントに転身してからは、間違いなく成功しています。

そういった意味では、彼は自分の居場所を見つけることができた、と言えるのかもしれませんね。

プロ野球選手としてより、タレントとしての印象が強い長嶋一茂さん。

若い頃の野球の才能は周囲も認めており、天才と言っても良かったのかも知れません。


身体能力が優れていることは疑う余地がなく、それが存分に活かされていたとしたらどうなっていたのでしょうか。

立教大学時代もしっかりと活躍しており、決して親の七光りというだけではなかったと言えます。

引退は残念な形となりましたが、その後自分の居場所をしっかりと掴み取っていることは、彼の努力の賜物でしょう。

一茂さんが本気で野球に取り組んでいたらと想像してしまいますが、彼自身は今をしっかりと生きているでしょうから、その姿を応援していきたいですよね。

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