中谷一郎の妻や家族構成まとめ。最後は妻がそばに&死因は咽頭癌。弥七役で若い頃から活躍

『水戸黄門』に登場する風車の弥七役でお馴染みの俳優・中谷一郎(なかたにいちろう)さん。

彼の私生活についてはあまりイメージがわきませんが、妻はどんな人でどういう家族構成だったのでしょうか。

亡くなってからしばらく経ちますが、彼の死因や最後がどうであったかが気になるという方もいらっしゃるかもしれません。

若い頃の活躍や弥七という役に捧げた役者人生についてご紹介します。

中谷一郎のプロフィール

愛称:ミンクさん

本名:中村正昭

生年月日:1930年(昭和5年)10月15日

身長:174cm

出身地:北海道札幌市

最終学歴:早稲田大学第一文学部仏文学科中退

所属事務所:劇団俳優座

中谷一郎の妻や家族

中谷一郎さんといえば風車の弥七のイメージが強いですが、私生活についてはあまりご存じない方が多いかもしれません。

プライベートの彼がどのような家族に囲まれて暮らしていたかを探ってみました。

妻は女優の美苗

中谷一郎さんには奥様がいて、彼女は同じ俳優座に所属する女優です。


奥様は東京都出身、1954年生まれということで夫より24歳年下で劇団俳優座には1976年に入団しています。

舞台や映画、テレビドラマでは『大岡越前』や『赤かぶ検事奮戦記2』などへの出演歴が。

2人の間には子どもがいないため家族は夫婦2人きり。

そのため2004年に最愛の夫が亡くなった時はとても悲しい思いをされたこととでしょう。

実は美苗さんには、夫との間に交わした最後の約束がありました。

それは「脚本を書く」こと。

演者なのになぜ脚本を書くことが約束なのと不思議に思うかもしれませんが、彼女は幼い頃から脚本を書くことを夢見ていたそう。

闘病生活をつづける夫を支える傍ら脚本の執筆を始めたそうなのです。

そんな彼女を中谷さんも応援していたよう。

夫は愛する妻に、子供の頃からの夢を叶えて欲しかったのでしょうね。

彼は亡くなる直前に、「自分が死んでも書き続けて欲しい」と言い残したといいます。

最愛の夫との最後の約束を守るべく、悲しみを乗り越えて執筆をつづけた妻。

2010年には出来上がった戯曲『心の止まり』が俳優座公演として東京・両国のシアターXで上演されました。

所属俳優が書いた脚本を上演するのは劇団の66年に及ぶ歴史の中でもこの時が初めて。

内容は年老いた夫婦が住む2世帯住宅に、未亡人のピアノ教師が引っ越してきたことから始まるお話。


美苗さんは作品に関し「人間っていいな」と思ってもらえるようなピュアな作品にしたかったと話しています。

きっと優しい気持ちになるようなお話なのでしょうね。

美苗さんもピアノ教師役で出演したこの舞台は、きっと天国の中谷さんにも届き、喜んでくれているはずです。

実家は理美容院、弟は会社社長

札幌市出身の中谷さん、実家は理美容院を経営していました。

彼自身は6人兄弟の長男として生まれたようです。

実家は道内で最大の理美容院という「中村理美容院」なのだとか。

次男である弟は北海道ショッピングセンタービル代表取締役で小樽ベイシティ開発社長などを務めた中村憲正さん。

東京へ出て演劇に生きた長男と地元で実業家として活躍した次男、兄弟それぞれ思い思いの道に進んだのだなという印象ですね。

中谷一郎の最後、死因は何だったのか

2004年に73歳でこの世を去った中谷さん、最後は妻に看取らて亡くなりました。

所属する俳優座によると中谷一郎さんは亡くなる数年前より癌を患い入退院を繰り返していたといいます。

1993年に大腸癌が発覚し手術を受けた中谷一郎さん。

その際『水戸黄門』の共演者である「うっかり八兵衛」役の高橋元太郎さんは気が気でなかったと言います。

作中でも弥七の子分・八兵衛を演じる高橋さんはプライベートでも親しくしていたそうで、彼にとって中谷一郎さんは友人で兄で師のような存在だったといいます。


高橋さんは中谷さんの手術の日などだまって家にいることが出来ず、手術の間中病院の駐車場に停めた車の中で手術の無事を祈っていたそうです。

ドラマの中だけでなく私生活でも弥七は頼もしく慕われている存在だったことが伝わるエピソードですね。

その後糖尿病を抱えながらも撮影現場に復帰を果たした中谷さんでしたが、2003年末には癌が咽頭に転移していることが発覚。

それを受けて2004年の1月から入院生活を送るように。

そしてその年の4月1日咽頭癌により、豊島区の病院で息をひきとりました。

妻に看取られながらの最後だったそうです。

また亡くなった日はちょうど俳優座の劇団総会が開催されていた日だったそうで、会の間に名優の訃報が伝えられると劇団員150名による黙とうがささげられたといいます。

病室にいたのは奥様だけだったかもしれませんが、ある意味劇団員皆に見送られた最後と言えるかもしれません。

葬儀・告別式は5日に行われ、2代目助さん、5代目光圀を演じた里見浩太朗さんが弔辞を読み、「もう一度中谷さんの弥七がみたかった」と名優の死を悼みました。

里見さんの別れの言葉には番組ファン、弥七ファン、中谷ファン、皆の想いが込められていたように思われます。

初代・弥七はいつまでも人々の胸に生きつづけることでしょう。

中谷一郎、若い頃から大切にしてきた弥七という役

中谷一郎さんの役者人生を見てみると、いかに弥七という役を大切にしてきたかが分かります。

中谷さんは故郷の札幌から上京後、早稲田大学第一文学部で仏文学を学んでいました。


しかし友人の言葉から演劇の道を志すようになり、1952年に俳優座に入団。

1959年には岡本喜八監督の『独立愚連隊』に出演し注目を集めます。

その後も『用心棒』、『日本の一番長い日』など様々な作品に出演し演者としてのキャリアを積んでいきました。

しかし中谷さんと言えばやはり『水戸黄門』で演じた「風車の弥七」の姿で記憶している方が多数派ではないでしょうか。

この作品への参加のきっかけは劇団の先輩であり初代の黄門様でもある故・東野英治郎さんから誘われたからだったようです。

光圀一行が危ない場面になると風車の形をした手裏剣投げて登場し、ピンチを救うという弥七は脇役ながら番組には欠かせないキャラクターに。

弥七が現れた時のワクワク感や安心感は番組ファンならば記憶しているはず。

晩年は癌や糖尿病など病魔との闘いの合間を縫いながらとなりなしたが、1969年の放送開始から1999年の第27部まで計687回出演を重ねました。

2003年7月に『水戸黄門』放送1000回記念で歴代キャストが大集合した特番ではVTRで顔を見せた初代・弥七、結果的にこれが最後のテレビ出演となったようです。


病気と闘いながらも中谷一郎さんは最後の最後まで弥七を大切に演じきったのですね。

生涯を通じて演じつづけられる役に巡り会えたという意味で、とても幸せな俳優人生だったのではないでしょうか。

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