木村多江、父親が亡くなっていた。死因に仕事が影響?母親や弟との関係&家族を持つ決意

幅広い役柄をこなす、実力派女優として有名な木村多江(きむらたえ)さん。

深く繊細な演技は多くの人から評価されており、今やドラマと映画では大御所女優の貫禄がありますね。

今回は木村多江さんの家族について、父親や母親、弟がどのような人だったのかお伝えしていきます。

木村多江のプロフィール

本名:木村多江

生年月日:1971年(昭和46年)3月16日

身長:162cm

出身地:東京都

最終学歴:昭和音楽芸術学院ミュージカル科卒業

所属事務所:融合事務所

木村多江の父親は亡くなっていた

木村多江さんの父親ですが、49歳の若さで亡くなっています。

父親は穏やかである一方、家庭内の規律に厳しい人でした。

多江さんが高校生の時、門限の9時を過ぎて帰宅すると、玄関前に立って待ち構えているほどです。


また、長電話をすると電話線を抜かれたり、それでも言うことを聞かない場合は電話線を無理やり切られることもあったそうです。

一方で、人を楽しませることが好きな一面も。

校長先生のふりをしていとこに電話をかけた時は、相手が信じてしまい騒ぎになってしまったというエピソードがあります。

多江さんに厳しく強行手段もとる父親でしたが、穏やかでひょうきんということから、娘のためにあえて心を鬼にしていたのではないでしょうか。

その優しさは伝わっていたようで、親子関係は不仲にはならず多江さんは父親のことを大切に思っていたようです。

とはいえ、娘の女優としての活動には批判的で、高校を卒業して舞台の専門学校に進む際は大反対しました。

昔からバレエや日本舞踊などのお稽古事をさせて、小学校から名門女子校に通わせていますから、きっと箱入り娘に育てあげたかったのでしょう。

通わせた習い事や学校では、常に礼儀や女性らしさに重きを置いています。

そのことから、多江さんの父親は厳格で保守的な人のようです。

そのため、多江さんの女優になるという将来の選択には理解に苦しみました。

「父は優しいけど厳格で。私の仕事も応援しているわけじゃなく、舞台の専門学校に入るときも反対していて」と木村。

また、将来は素敵な男性と結婚して、家庭の中の良き妻として、裕福に暮らして欲しいと願っていたのではないでしょうか。

多江さんは結局反対を押し切って舞台の専門学校に進学しましたが、父親はそれでも学校を卒業したらすぐに結婚をさせると決めていたようです。

芸能人ともなれば世間に顔を知られることになり、プライベートもありません。


売れるまでの下積みの期間は、貧しい生活をしなければなりませんし、どれだけ頑張っても成功する人はほんの一握りです。

大切に育ててきた娘に、泥臭い経験や苦労をして欲しくなかったのでしょうね。

木村多江、父親の死因は?仕事はエリート

木村多江さんは、亡くなった父親のことを、今でも思い出しては慈しんでおられるようです。

ここで、父親の死因や仕事について見てみましょう。

父親の死因は過労の可能性

木村多江さんが21歳の時に父親は49歳で亡くなっていますが、死因は明らかにされていません。

仕事の会食中に急に倒れて、そのまま病院に運ばれました。

倒れて1週間は病室で脳死の状態が続きましたが、その後息を引き取ったそうです。

急死であることから、過労による心臓や脳の不調ではないかと考えられます。

具体的な死因としては、過労によって引き起こされる心筋梗塞やくも膜下出血などが推測できます。

木村多江さんの実家は、習い事や出身校から推測して相当裕福な家庭です。

住居費から習い事、子ども2人への良質な教育までとてもお金がかかるので、自分のことは差し置いて一生懸命働いていたのでしょう。

多江さんへの教育方針からもわかるように、真面目な性格でしょうから、物事に対して人より高い目標を持って完璧にこなしていたと想像できます。


そんな苦労や責任感から疲労が蓄積して、死に繋がってしまったのではないでしょうか。

会食前に多江さんへ「今日はご飯を食べてくる」と連絡が入り、「一緒に食べれるかと思ったけど残念だね」とやり取りしていましたが、それが父親との最後の会話となってしまいました。

会食中に倒れた時、「お父さん、もう助からないかもしれない」と父親の仕事仲間から急に電話が入ったのも多江さんでした。

父が死んだのは自分のせいだ、と多江さんは思ったそうです。

父親の反対を押し切り、女優の道に進んだために気苦労をかけてしまった。

そのせいで父親が亡くなってしまったのだと、自分をとても責めました。

多江さんが父親の死の原因が自分だと思ってしまうほど、娘のことを心配してくれる父親だったようですね。

父親の仕事はエリートだった?

木村多江さんの父親の仕事について、詳しい情報はありませんが、海外を駆け回る営業マンであることがわかっています。

シャイで、厳しくて、でも人を楽しませるのが好き。海外を駆け回る営業マンだった父は、そんな人柄でした。

家族に裕福な生活を担保できる経済力を持っていたので、大手企業の社員だったのではないでしょうか。

また、海外で重宝される営業マンとなれば、物品の輸出入により会社に大きな金額をもたらすはずです。

会社にとって重要なポジションに置かれる、エリート社員の可能性があるでしょう。


言語や文化が異なる地で試される営業の手腕や、それによって動く金額のスケールを考えると非常に責任の重い仕事です。

また海外を駆け回るとなると、生活も不規則で家庭料理も食べれないでしょうから、多江さんの父親の死因はそんな生活も原因ではないでしょうか。

木村多江の母親や弟について、家族を持つ決意

父親の死後、家族は木村多江さんと母親、弟が残されることになります。

多江さんは必死に働き、家族を支えたそうです。

母親と弟はどのような人だったのでしょうか。

母親はおおらかな人

木村多江さんは、母親は天然で可愛らしい、おおらかな人だと語っています。

おおざっぱなところがあり、几帳面な多江さんは理解できないと思うことも。

お弁当箱を開けると、ごはんの横に卵焼きがじかに入れてある。卵焼きをはしで持ち上げると、ごはんがじめっと湿って、べたべた。「くっつけて入れないでっていってるのに、もう」。小学生だった木村多江は毎日、むっとしていた。

父親の死についての苦労を聞いても、「忘れちゃったよ」と現実を見て前を向く母親にも、多江さんは理解が出来ず反発していたそうです。

とはいえ、気丈に見えても亡くなった父親を見るとわんわんと泣きだしたそうなので、今後の生活を冷静に考えて悲しみを封印していただけなのでしょう。

悲しみをあらわにする様子を見て、多江さんは母親から父を奪ったと思ってしまい、不憫に思ったそうです。

若い頃は理解できないと感じることもあった多江さんでしたが、今では可愛らしくて面白いと慕っているようです。


また母親はいつも欠かさず手料理を作ってくれました。

多江さんは特にコロッケが昔から好きで、今でもたまに食べにいくのだとか。

弟の学費を支えた

父親が亡くなったとき、弟はまだ学生だったと言われています。

多江さんは学費のために、昼夜働き弟を支えました。

2人は小さい頃から仲良し。

昔は一緒に漫才や木登りをして活発に遊んでいたそうですよ。

家族を持つ覚悟をした木村多江

多江さんは父親が亡くなってからは自分を責め続け、一心不乱に仕事に明け暮れました。

自分を厳しく追い込むことで、父親を死なせてしまった自分に罰を与えていたと語っています。

自分は一生罪を償わないといけないと思っていた多江さん。

しかし今では子供と夫を持ち、仲睦まじく暮らしています。

お仕事をしていくうちに、父だったらぼろぼろになった娘ではなく、幸せな自分を願うのではないか、と気づいたそうです。

自分は生きていかなければいけない、父からもらった生を次へと引き継がなければいけないと思い、家族を持つ決意をしたと語っています。

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