北の国からの父親役で日本中を感動の渦へ巻き込んだ田中邦衛(たなかくにえ)さん。
若い頃に俳優養成所の試験を3度の挑戦でやっと合格し、名脇役の青大将へ経て、北の国からの主演へ。
キタキツネを呼ぶるーるるのフレーズができたエピソードなどをお伝えします。
田中邦衛プロフィール
名前:田中 邦衛(たなかくにえ)
生年月日:1932年11月23日-2021年3月24日 享年90(88歳没)
身長:167cm
出身地:岐阜県土岐市
学歴:麗澤短期大学英語学科卒業
血液型:O型
受賞歴:紫綬褒章(1999年) 旭日小綬章(2006年)
若い頃の田中邦衛は中学校の先生だった
田中邦衛さんと言えば、やはり北の国からの父親役で日本中を感動の渦へ巻き込んだことが思い出されますが、若い頃の彼はどんな人だったのでしょうか。
田中邦衛さんがお亡くなりになりました。謹んでご冥福ををお祈りいたします。
明日の「土曜プレミアム」は予定を変更して『田中邦衛さん追悼特別番組 北の国から’87初恋』を放送いたします。 pic.twitter.com/qyesPH4eND— フジテレビ (@fujitv) April 2, 2021
少年時代は、素行が悪く成績も良くない学生だったそうです。
見かねた父親の命により、全寮制の千葉県にある麗澤高等学校に入学し、その後麗澤短期大学に進学。
短大卒業後は、故郷の岐阜県に戻り、国語、英語、体育の代用教師として務めていました。
しかし、邦衛さんは教育者としての自分には自信を持つことができず、一旦諦めた役者の道を再度目指すことを決意します。
俳優養成所の試験に2度落ちていた
邦衛さんは短大在学中から芝居に夢中になり、俳優座養成所の試験を2度受験しましたが不合格。
そこで卒業後は教師になりましたが、やはり夢は諦めきれず3度目の俳優養成所の試験に挑みます。
そのとき試験官だった女優の東山千栄子(ひがしやまちえこ)さんから「あなた、またいらしたの」と言われたというエピソードが残っています。
そして、3度目でやっと合格を手にしました。
養成所生活は3年間で、その後に俳優座座員に昇格しますが、47人中3人しか上がれないという狭き門でした。
デビュー当時はチンピラや殺し屋の役を演じていた
邦衛さんが初めて出演した映画は、1957年の今井正監督の『純愛物語』。
その作品で不良役を演じ、アクの強い風貌が役とマッチし、チンピラや殺し屋役などを演じるようになっていきます。
若大将シリーズで田中邦衛がなぜ青大将として不動のレギュラーになったのか
邦衛さんは、1961年から1971年まで、加山雄三(かやまゆうぞう)さん主演の青春映画『若大将シリーズ』で、若大将に対抗意識を燃やす大企業の社長の息子『青大将』こと石山新次郎役を演じます。
若大将とは何においても比較にならないほどの器量で、敵役だけどコミカルで憎めない友人としてシリーズには欠かせない役どころを演じ人気を博しました。
逝去した盟友の邦衛さんについて、後にインタビューで若大将こと加山雄三さんは、次のように語っています。
「青大将・田中邦衛さんがいなかったら、あの映画(若大将シリーズ)は今のようにはなっていなかった」と、俳優・田中邦衛について感謝した。
青大将というニックネームは蛇のアオダイショウだった
当時、黒澤明(くろさわあきら)監督が若大将シリーズのプロデューサーの藤本さんに『青大将』という次回作の企画を持ち込んだそうなのですが、その企画は採用されず『青大将』というタイトルを若大将の敵役のニックネームに使用されてしまったようです。
藤本さんは蛇が大嫌いだったので蛇の「アオダイショウ」を想像させるような『青大将』は次回作の映画のタイトルとして採用しなかったのでしょう。
黒澤監督のその持ち込み企画はその後に『椿三十郎』と改められて作品となっています。
『青大将』というニックネームは、アオダイショウは一見恐ろしい蛇のようだが毒はないので、主人公の憎めない敵役にはぴったりのニックネームだったのではないかという一説もあります。
この噂はなるほどと納得できるような気がしますね。
田中邦衛主演、国民的ドラマ『北の国から』
邦衛さん主演の不朽の名作といえばやはり『北の国から』シリーズではないでしょうか。
1981年から北海道富良野の大自然を舞台に、2人の子供の成長を温かく見守る父親の黒板五郎を演じました。
当初はドラマとして放映されましたが、その後1983年から2002年まではスペシャルドラマとして8作、子供たちの成長、自立、恋愛、結婚、不倫までもが描かれました。
20年間の時が流れ、邦衛さん演じる五郎が徐々に年老いていく姿もあり、日本中が五郎や子供たちと並走しながら涙あり、笑いありで動向に注目していました。
ドラマスペシャルは通常視聴率20パーセントを超えるほどの人気で、全ての作品がビデオ化されています。
2002年9月『北の国から2002年遺言』では前編、後編ともに30パーセント超えを記録しています。
『北の国から』るーるると呼ぶとキツネがくるのか
北の国からの名シーンの1つで、螢がキツネを「るーるるるるるる」と呼ぶ場面が有名です。
『とんねるずのみなさんのおかげです』でもそのシーンをパロディコントにしていましたよね。
後に、そのときの五郎の衣装は全て邦衛さんが着ていた本物の衣装だったと石橋貴明(いしばしたかあき)さんが明かしています。
話は戻りますが、キツネはるーるるで来るのでしょうか。
正解はるーるると呼んでもキツネはきません。
脚本家の倉本聰(くらもとそう)さんが富良野に移住した際、自宅にやってくる野生動物に対し、なんとなく口にしていたフレーズがるーるるだったそうです。
倉本さんの自宅にはキタキツネも来ていましたが、ドラマと同様に罠にかかって3本足になってしまい、以来人間を警戒して姿を見せなくなりました。
ところが、そのキタキツネがたまたまクランクインしたばかりの『北の国から』のロケ中に現れ、倉本さんの指示で螢や五郎がキツネに触れ合うシーンを撮ったそうです。
ドラマ撮影には1年かかっていて、クランクイン当時に撮ったこのシーンは実際にはドラマのラストシーンで使われたため、螢はその1年で身長が伸び成長していたのでオンエアでは露骨に幼い螢が放映されました。
野生のキタキツネは危険ですので、るーるると呼びながら近づかないようにお気をつけください。
田中邦衛が中嶋朋子の子を孫のようにかわいがるエピソード
『北の国から2002遺言』には、五郎の娘の螢が出産した子と出演しているシーンがあります。
実は出演した子役は、中嶋朋子(なかじまともこ)さんの本当の息子さん。
当初、中嶋さんはロケが過酷なことを幼少期からの経験でわかっているので、息子さんを出演させることには消極的だったということです。
しかし、邦衛さんやスタッフからのプッシュ、ご主人から背中を押され息子さんとの共演することを決意しました。
「邦さんが一番喜んで下さって。実際の孫のように、いとおしく接して下さる」。司会の黒柳徹子(87)から「田中さんにとってはうれしかったでしょうね。あなたの子供を抱けるということがね」と尋ねられると、中嶋は「『蛍の息子でよかった』とずっとおっしゃっていただいたので、『連れて行ってよかった』と思いました」と話していた。
邦衛さんの人柄が現れている素敵なエピソードですよね。
漫才コンビを組んだ田中邦衛と高倉健
ビートたけしさんが『夜叉』で共演した田中邦衛さんと高倉健(たかくらけん)さんとの楽しいエピソードを話しています。
ラジオでたけしさんが、「役者は漫才ができないが、たけしさんは役者も漫才も両方ともできる」というような内容の話をしたのをたまたまラジオで聞いていた高倉さんが邦衛さんに漫才をやらないかと誘ったというのです。
たけしによると、それを聞いた高倉さんが、邦衛さんに電話して、「邦衛ちゃん、漫才やろうか? たけしが言ってたぞ」と提案したという。たけしは「2人で喫茶店で待ち合わせして、やってみようとしたんだって」と話を続ける。
「でも、お互い無口で全然ダメだったって。それを邦衛さんが俺に言ってきたのよ『健さんが本当に漫才をやる気になったんだよ!』って。面白かったですね」と振り返っていた。
今ではとても貴重でお茶目で愛おしいエピソードですよね。
『北の国から』の視聴率がいいのは、とんねるずのおかげです
とんねるずの石橋貴明さんは『とんねるずのみなさんのおかげです』での『北の国から』のパロディコントについて、邦衛さんとのエピソードを話しています。
台本やコント衣装は「全部素材貸してくれてた」と言い、ゆえに、石橋が身につけていた帽子や衣装は「全部本物。田中邦衛さんの」だったと明かす。またパロディコントがドラマの1週間ほど前に放送されていたこともあり、「視聴率がいいのは、とんねるずがやってくれてるのもあるから」などと言われていたと振り返る。
邦衛さんは本当に気さくな方だったんですね。
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