昭和を代表する歌手の島倉千代子(しまくらちよこ)さん。
瞬く間にスターになりプロ野球選手の藤本勝巳(ふじもとかつみ)さんと結婚。
夫との間に息子がいたか、また実家や家族、弟の関係は良好だったかについてお伝えしていきます。
島倉千代子プロフィール
本名:島倉千代子
愛称:お千代さん
生年月日:1938年(昭和13年)3月30日-2013年(平成25年)11月8日(75歳で死去)
身長:158cm
出身地:東京都品川区北品川
学歴:日本音楽高等学校卒業
所属事務所:日本コロムビア
島倉千代子の夫・藤本勝巳とは元プロ野球選手だった
昭和を代表する歌姫の島倉千代子さんですが、そんな彼女が結婚相手に選んだ藤本勝巳さんとはどんな人だったのでしょうか。
島倉さんは、1962年に藤本勝巳さんと結婚しています。
藤本さんは1937年8月8日生まれで、和歌山県出身。
和歌山県立南部高校卒業後の1956年に阪神タイガースへ入団してプロ野球選手になっています。
入団時の背番号は「53」で投手として入団しましたが、すぐに外野手に転向。
1957年には右ひじ骨折のケガをしてしまい、打者に転向しました。
藤本さんが頭角を現したのは打者に転向してから2年目で、1958年からは背番号が「5」に変わり、タイガースの4番バッターとして活躍しています。
藤本勝巳(一塁手 大阪 1960)
119試合 .252 22本 76打点 3盗塁 OPS.803 本塁打王 打点王当時のタイガースでは貴重な長距離砲。
前年はB9を獲得する活躍、この年は本塁打と打点の二冠に輝いた。しかしB9は近藤和彦(大洋)に。
その後も阪神の主力として、1960年代における2度のリーグ優勝に貢献する。 pic.twitter.com/FJsIwUGXrg— Larry Spencer (@wildrunner_2510) August 8, 2021
1960年には本塁打と打点の二冠を獲得し、ベストナインも2度受賞しています。
野球界には12年間在籍していて、1967年に現役を引退しました。
天才というよりは努力で輝いたプロ野球選手だったそうです。
藤本さんのこだわりは「おしゃれ」だったというエピソードがあり、当時タイガースの合宿所には2件の洋服屋さんが出入りしていて、背広をたくさん作ったそうです。
田舎もん扱いされないように、プロ野球選手らしくと仕立てた背広がロッカーに入りきらないほどだったあったという噂もあります。
藤本勝巳内野手の婚約者で歌手の島倉千代子さんも見送りに来ていた。
1962年に島倉千代子さんと結婚しています。
島倉千代子さんと藤本勝巳選手が結婚した時の仲人が藤本定義監督ご夫妻だったんですね。 pic.twitter.com/5KPkQoe1wG
— 海里龍馬(かいりりょうま) (@stbambino) June 1, 2022
1967年に現役引退して、1968年には大阪市心斎橋にクラブを開店させますが経営に失敗し6000万円の借金ができてしまい、その後離婚。
1970年に再婚をされていますが、現在は何をされているかの情報がありませんでした。
島倉千代子の結婚
デビュー後リリースする曲は次々に売れて、順風満帆な生活を送っていた島倉さんですが、徐々に不幸が彼女を襲います。
島倉さんが結婚したのは1962年で紅白歌合戦でトリが取れるほどの人気絶頂期でした。
お相手はプロ野球選手で阪神タイガースの藤本勝巳さん。
2人の出会いは、1959年に藤本さんがテレビでの島倉さんの姿に好意を持ち、新聞記者から島倉さんの電話番号を聞き出して、電話をかけてデートに誘ったことがきっかけだといいます。
1961年、島倉さん23歳のときファンが投げた紙テープが目に直撃して失明の危機を抱えていました。
翌年には、後援会事務所に爆発物が送られ負傷者がでるという事件が起きています。
さらにその次の年には、最愛のお父さんが他界してしまいました。
そんな辛い島倉さんを支えたのが、当時交際中の阪神タイガースの藤本勝巳さんで、島倉さんは母親に反対されながらも結婚を決めてしまうのでした。
スター同士の結婚は世間を驚かせ、婚約発表には報道陣が100人も集まりました。
阪神の4番・藤本勝巳と人気歌手・島倉千代子の結婚は相当な話題となった。ヤンキースのジョー・ディマジオと女優マリリン・モンローの結婚にもたとえられた。
結婚当時、島倉さんは仕事をセーブして彼に尽くすほどのあつあつで、2人が暮らす家は豪邸で甲子園球場から1.4キロほど離れた甲子園三番町にあったそうです。
しかし、幸せは長続きせず、その後の島倉さんの人生が大きく狂い始めます。
藤本勝巳が事業に失敗し離婚へ
誰もがうらやむような結婚生活を送っている思われた島倉さんですが、その幸せは長くは続きませんでした。
1967年に藤本さんが現役を引退して、大阪心斎橋にクラブを開店し経営を始めます。
お店の開店資金は島倉さんが銀行から借りて出した資金だといわれています。
しかし、夫のクラブは経営がうまくいかずに失敗し夫婦は借金を背負うことになってしまいました。
その借金は6000万円だといわれています。
借金返済のために島倉さんは歌手活動復帰を余儀なくされ、妊娠したものの中絶をするという決断をしました。
結局、結婚生活は5年で破綻し、30歳のときに離婚しています。
1968年にリリースされた『愛のさざなみ』は大ヒットをして日本レコード大賞特別賞を受賞しています。
島倉千代子には息子がいるのか
島倉さんにお子さんがいるかについて調べてみましたが、お子さんは誕生していないので息子はいません。
1962年にプロ野球選手の藤本勝巳さんと結婚されて5年後に離婚されていますが、妊娠したという事実はありました。
結婚前に妊娠が発覚して中絶、その後も二度中絶をしているそうです。
島倉さんは身ごもった3人の子供を「忍」と名付けて、晩年には熱心に供養されていたそうで、自身のお墓には「島倉忍」の文字も刻まれています。
背面には自身の名前と、結婚前後に3回堕胎した子どもたちにひそかに名付けていた「島倉忍」の文字が並んで刻まれていた。
島倉千代子の実家は東京
島倉さんは1938年(昭和13年)生まれで、出身は現在の東京都品川区北品川ですが、第二次世界大戦のため幼少期には長野県松本市や両親の実家のある群馬県桐生市に疎開している時期もありました。
1947年、9歳からは東京に戻っています。
お父さんは警察官をされており、母と二男四女の家族構成で四女として生まれてきました。
子供の頃から歌唱力があった島倉さんは地元の「若旦那楽団」に入団をしてアコーディオンやボーカルを担当。
近所の品川神社で開催される「のど自慢大会」には毎回参加していたそうです。
その後、1953年15歳で地元の品川区にある日本音楽高等学校へ入学し、1954年にはコロムビアと専属契約をして、1955年に『この世の花』でデビューしています。
デビュー曲は200万枚のセールスを記録し、一躍人気歌手の仲間入りを果たしました。
島倉千代子さんヒット曲
「この世の花」200万枚
「東京だョおっ母さん」150万枚
「りんどう峠」130万枚
「からたち日記」130万枚
「人生いろいろ」130万枚
「逢いたいなァあの人に」120万枚
「襟裳岬」100万枚
「夕月」100万枚
「愛のさざなみ」100万枚
「恋しているんだもん」80万枚
「鳳仙花」80万枚 pic.twitter.com/wTu7NDIJDf— 明日になれば (@ashitaninareb26) November 23, 2022
驚異のスピードで次々に新曲をリリースして、デビューから3年後の19歳のときの「東京だヨおっ母さん」は150万枚、20歳のときの「からたち日記」が130万枚の売上と大ヒットを連続させました。
そして、20歳のときには実家のある品川区の近く港区に一戸建てを購入しました。
島倉さんは25歳のときに母親の反対を押し切り結婚して、たった5年で離婚してしまいますが、離婚後に実家に戻ろうとした島倉さんを母親は門前払いしたといいます。
島倉千代子には晩年家族がいなかった
島倉さんは藤本さんと離婚後は再婚をしておらず、お子さんもいらっしゃいませんでした。
彼女を支える交際男性がいる時期もありましたが長くは続かなかったようです。
2010年に肝臓がんが見つかり、入退院を繰り返して2013年に逝去されていますが、家族のいない島倉さんは女性マネージャーと知人に見守られながら息を引き取ったそうです。
49歳のときにリリースした名曲『人生いろいろ』の誕生は、不遇な波乱万丈な人生を送っていたことを知った作詞家の中山大三郎氏と島倉さんが一緒に作った作品です。
家族や他人に負わされた莫大に借金は16億円あったといいますが、島倉さんはその全てを完済していました。
88年のヒット曲「人生いろいろ」は、そんな苦労をした島倉さんの人生もたぶってヒットにつながった。
島倉千代子と弟の関係とは
島倉さんには二男四女の兄弟がいたのですが、すぐ下の弟の征夫さんが芸能活動をしていた時期があります。
征夫さんは歌手デビューした経験や、姉の千代子さんの所属事務所の社長を務めたこともありましたが、事業に失敗してしまいました。
理由は征夫さんの放蕩だったということで、弟のつくった借金は元夫の事業失敗の借金と同様にまた島倉さんが背負う羽目になってしまいます。
姉弟間の確執が深くなり、その後40年間は絶縁状態だったそうです。
征夫さんは離婚歴が2回、スナック経営やタクシーの運転手をしていて、晩年は年金とカラオケ講師をして生活していたといいます。
絶縁した実弟は島倉さんが亡くなって数年後に孤独死をしましたが、生前姉の島倉さんに関するインタビューで「島倉千代子にだまされた」と告発したこともありました。
「仲違いが始まったのは、1963年、姉が阪神タイガースの藤本勝巳選手と結婚を決めた時です。家族の反対を押し切ったので、身内は誰も祝福しなかった。その後、離婚し、私と音楽事務所を開いた後も、当時のパートナーと急に“独立する!”と言い出した。頭に来て、私が作詞作曲した『流し唄』の権利を“5000万円で買え!”と吹っかけたんです。そうしたら2000万円持ってきた」
島倉さんが歌手デビューして大ヒットを飛ばし結婚する前までは家族関係は上手くいっていたようです。
しかし、大きなお金が動くようになってからは歯車が狂ったかのように家族関係が崩れていったようです。
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