俳優として広く知られていますが、かつては伝説のロックバンドARBのボーカルだった石橋凌(いしばしりょう)さん。
デビュー40周年ツアーのフィナーレを自らの原点である久留米で迎えたのは、故郷への強い思いの表れでしょうか。
また、国籍が韓国、石橋蓮司さんと兄弟という噂の真相は。
恩人である松田優作さんとのエピソードもお届けします。
石橋凌のプロフィール
本名:石橋 秀樹(いしばし ひでき)
生年月日:1956年7月20日
身長:170cm
出身地:福岡県久留米市
最終学歴:福岡県立久留米高等学校
所属事務所:ENTER the DEE
久留米育ちの石橋凌。国籍は韓国?
石橋凌さんは福岡県久留米市京町で、両親、祖母、4人の兄の8人家族で、末っ子として育ちました。
本人によると、経済的には厳しい家庭だったそうですが、なぜか家の中にはレコードやギターがあり、兄弟の音楽の趣味がまちまちだったこともあって、幼い頃からさまざまな音楽に親しんでいたそうです。
エレキギターを弾いているのは不良と言われた時代でした。
高校時代にバンドを結成し、本気でプロを目指しながら、博多の有名なライブハウス「照和(しょうわ)」に出演していたそうです。
ネット上には石橋凌さんの国籍が韓国という噂がありますが、これを裏付ける情報は出ておらず、あくまで噂にすぎないようです。
もしかすると、後述する石橋蓮司さんとの関連でこうした根拠に乏しい情報が出回っているのかもしれません。
地元久留米に対する思いとは
石橋凌さんの久留米への愛は強く、公式サイトでは久留米の思い出の場所を手書きのイラストマップでアップするほどです。
しかし、学生時代は久留米があまり好きではなかったという石橋凌さん。
幼い頃から母親に、久留米は‘‘商人の街’’と教えられて育ちました。
確かに、ゴム産業発祥の地でもあり、多くの企業や工場が立地しているイメージがあります。
その一方で、文化面で活躍した著名人もたくさんいるのです。
「上を向いて歩こう」を作曲した中村八大さんや画家の青木繁さん、坂本繁二郎さんも久留米出身なんだそう。
石橋凌さん的に、地元久留米の‘‘商人の街’’というイメージがどうしても好きになれず、もっと文化面を表に出せばいいのにと思っていたそうです。
また、高校時代にバンドを組んだら、久留米にはライブハウスが一つもなかったことも不満だったのだとか。
そのため、西鉄電車で久留米から博多のライブハウスまで通っていたのですが、電車の窓から見える景色がどんどんカラフルになっていった時の気持ちが今でも忘れられないそうです。
石橋凌さんにとって、地元久留米はグレーやモノトーンのイメージで‘‘淋しい街’’だったのです。
そして、18歳の時に書いた曲が「淋しい街から」でした。
この曲は当時、絶対にプロになってやるという強い気持ちと、なかなか上手くいかずギスギスした思いの中で生まれた曲だそうです。
今では久留米が大好きという石橋凌さん。
「淋しい街から」も昔とは全く違う気持ちで歌っているといいます。
自分で決めた道をしっかりと歩いてきたからこそ、書いた時とはまた違う気持ちで歌えているのだそうです。
誰でも一度は生まれ育った街から違う世界へ行ってみたいと思うものです。
ですが、どんなに淋しい街と感じても故郷への愛は無くなることはなく、年齢を重ねるにつれ自然と生まれた街が恋しくなっていくのかもしれませんね。
そして、ツアー最終日には東京公演が組まれることが多い中、デビュー40周年のアニバーサリーツアーではあえて久留米に設定。
ツアータイトルは「淋しい街から」でした。
石橋凌さんは、久留米が絵画や音楽の分野で多くの人材を輩出していることをもっと広く知ってもらい、その文化の街を盛り上げていきたいと語っています。
石橋凌と石橋蓮司は兄弟ではない
強面の俳優として個性的な存在感を放つ石橋蓮司さん。
二人は兄弟ではないかと思う人もいるようですが、血縁関係はないことがわかっています。
出身地、父親の職業、兄弟の人数なども一致しませんでした。
一致しているのは、石橋蓮司さんにも韓国人説が浮上していること。
この噂が出た理由は、以前出演したドキュメンタリー番組が影響しているようです。
石橋蓮司さんは1997年に元従軍慰安婦を訪ねる番組の撮影のために韓国へ。
後日、取材した元従軍慰安婦の発言を嘘だと断言したというエピソードが残っています。
その理由は、カメラが回っている時と回ってない時とで女性の態度に変化があったからなのだそう。
名優ならではの洞察力が働いたのかもしれませんね。
今でこそ元従軍慰安婦の証言の信ぴょう性が揺らいできつつありますが、まだ異議を唱えることがはばかられる時代の発言でした。
石橋凌の恩人・松田優作
これまでの表現者としての人生の中で二人の恩人がいると語る石橋凌さん。
一人は、ARBのボーカルを勧めてくれたという、KBCディレクターの故・岸川均さんです。
そしてもう一人が故・松田優作さんだそうです。
石橋凌さんは19歳で上京し、ARBで華々しくデビューしたものの、順風満帆ではありませんでした。
アイドルとして売り出そうとする事務所と対立して独立するなど、バンド活動を続けていくうちに日本の音楽業界にさまざまな葛藤を抱えることに。
いろいろな意味で限界を感じ、ここまでかもしれない、久留米に帰ろうかと思い悩む日々が続きました。
松田優作さんとの出会いは28歳の時、ドラマーの相原誠さんと一緒にでかけたスポーツクラブだったそうです。
直感的に、この人に相談するしかないと思ったという石橋凌さん。
ある酒席で、正座して、今悩んでいること、相談にのってほしいことを告げると、松田優作さんは快諾。
後日、なんと自宅に招き入れ、相談に乗ってくれたといいます。
松田優作さんは後輩思いで人情味あふれる方だったのですね。
そして、ミュージシャンでも俳優でも、表現者で生きてゆけばいいというアドバイスをもらいます。
表現者は、セルフプロデュースをして自分でやり続けるしかないとも。
その中で、音楽のメディアよりも映画のメディアの方が媒体が大きいから、まずは、映画で顔と名前を売ったらどうかというアドバイスがあったそうです。
そして、自ら監督する映画『ア・ホーマンス』に石橋凌さんを抜擢。
石橋凌さんは、この映画に出演したことで悩みがふっ切れ、音楽活動を建て直そうという気持ちになれたといいます。
松田優作さんに演技の世界へ導かれたことで、いい方向へ進むことができたのですね。
まさに恩人と言えるでしょう。
シンガーと俳優という二つの顔を持つ石橋凌さん。
意外にも芸能人になりたいと思ったことはこれまで一度もないのだとか。
「ものを作る人間、クリエーターであり続けたい」と語っています。
そして二足のわらじは、履きつぶすまで走り続けるそうです。
今後の活躍も本当に楽しみですね。
これからは50周年に向けて全身全霊で突っ走っていくのでしょう。
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