細野晴臣の結婚と妻。コシミハルとの関係。祖父がタイタニック乗船、家族について

エイプリル・フールのベーシストとしてプロデビューして以来、常に一歩先を行く感性でミュージックシーンをリードしてきた細野晴臣(ほそのはるおみ)さん。

プライベートの情報があまり伝わってこないせいか、結婚した妻や家族に関心が寄せられているようです。

かつて「女性版・原田真二」と呼ばれ、数々のタッグを組んできたコシミハルさんとの関係も気になりますね。

「祖父タイタニック」で検索される理由についても解説します。

細野晴臣のプロフィール

本名:細野晴臣

生年月日:1947年7月9日

身長:170 cm

出身地:東京都港区

最終学歴:立教大学社会学部観光学科

所属事務所:ミディアム

細野晴臣が結婚した妻

日本語ロックのはっぴいえんど、爆発的な人気を呼んだイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)など、音楽界に革命をもたらしたグループの中心人物だった細野晴臣さん。

かつての盟友たちは、例えば大瀧詠一さんや松任谷正隆さん、松本隆さんなど、その後も裏方としてJ-POPを支え続けてきました。


細野さんもまた、歌謡界への楽曲提供やプロデューサー、レーベル主宰者として精力的に活動。

『ハイスクールララバイ』『禁区』『ガラスの林檎』『赤道小町ドキッ』といった多くのヒット曲を送り出し、メロディメイカーとしての才能を知らしめます。

大瀧詠一さんが亡くなった時、はっぴいえんどの『風をあつめて』がラジオからよく流れましたが、これは細野さんの作曲&ボーカルによるものです。

1947年7月9日、東京都港区に生まれた細野晴臣さん。

まさに団塊の世代であり、音楽活動のキャリアは半世紀を超える大御所なのですが、そのわりに私生活はベールに包まれていますね。

ご本人いわく、人間には定住できるタイプとそうでないタイプがおり、自分は後者で、これまでにした引っ越しは数十回。

結婚したのは24歳の時だそうですから、はっぴいえんど時代です。

その後、音楽に集中したい気持ちが高まって、27歳で「家庭を離れた」そうです。

以降はずっと一人暮らしで、2009年の時点でも一人で暮らしだったことがわかりました。

「家庭を離れた」という言葉が離婚をさすのかどうかは不明でした。

ここで気になるのが、多くのタッグを組んできたコシミハルさんの存在です。

細野晴臣とコシミハルの関係

テクノポップ黎明期にあって、独特の存在感を放っていたコシミハルさん。

1978年に本名の越美晴名義でデビューしており、シティポップス路線の楽曲をピアノを弾きながら歌うシンガーとして「原田真二の女性版」と注目を集めました。

80年代以降はテクノポップに傾倒していきますが、音楽性やスタイルの転向に試行錯誤するうちに細野さんと出会います。

彼女のデモテープに衝撃を受けた細野さんがアルバムのプロデュースを務めることになり、レーベルも細野さんが立ち上げたYENレーベルに移籍。

以降も細野さんが音楽監督を務める映画のサウンドトラックに参加したり、二人でスウィング・スローというユニットを組んだりと、タッグは続きます。

細野さんのラジオ番組、InterFM897の『Daisy Holiday!』でもおなじみの顔ですね。

二人は仕事を超えた間柄にあるという声や、コシミハルさんは内縁の妻という噂が以前からありますが、これを裏づける根拠もなければ、否定する確証的な情報もないのが現状です。

「細野晴臣 コシミハル 事実婚」で検索するユーザーもいることから、気になるファンは多いようですね。

コシミハルさんは細野さんとの出会いによってアイドル的イメージの払拭に成功し、音楽性やスタンスをがらりと変化させて、テクノ・ポップの歌姫としての地位を築きあげていますから、二人が恋愛関係にあるという見方が生じるのも無理からぬことかもしれません。

細野晴臣の祖父はタイタニックに乗船

「あのタイタニックに細野晴臣さんの祖父が乗っていた」というのは、タイタニック号関連の都市伝説ではけっこう有名な話ですが、これは事実です。

祖父・細野正文(ほそのまさぶみ)さんは明治時代の鉄道官僚で、鉄道院の第1回在外研究員としてロシアのサンクトペテルブルクに留学。

その帰路、唯一の日本人乗客としてタイタニック号に乗船しました。

ところが、九死に一生を得て生還した正文さんは誹謗中傷にさらされることに。

他の乗船客を押しのけて救命ボートに乗りこんだ卑怯な日本人という海外の誤解が国内でも広がったのです。

正文さんは、この事実無根の批判によって鉄道院の役職を解かれ、やがて退官。

一切の弁明をせず、不当な非難に耐えながら、1939年に死去しました。

ようやく汚名がそそがれたのは、タイタニック沈没から80年以上たったあと。

そのきっかけとなったのが映画『タイタニック』です。


正文さんは事故の際に手記を残しており、細野家はタイタニック財団の依頼で手記を提出することに。

調査によって、それまでわかっていなかったことが判明し、正文さんに卑怯な行為は一切なかったことが確認されるに至ります。

細野家の長年にわたる苦しみを知った財団は、会報で大々的に特集を組み、世界中にこの事実を伝えました。

細野晴臣の家族について

細野晴臣さんには娘がおり、男児の孫がいることが明らかになっています。

これまでに国内外の各地を移動し、引っ越しを何度も繰り返しているせいか、自分の居場所はないという思いが常にあるのだそう。

家族を顧みなかったことも認めており、娘には「音楽家としては尊敬できても、人間としては少し残念」と言われたことも明かしています。

2019年3月のYMO結成40年を記念したライブには、孫のYUTAさんも出演。

キーボード、ギター、ドラムスをはじめ、さまざまな楽器のマルチプレイヤーでもある細野さんですが、やはり細野晴臣といえばベーシスト。

YUTAさんもベースは得意なようですから、このあたりはやはりDNAでしょうか。


すでに音楽活動のキャリアが50年を超える細野晴臣さん。

日本のみならず海外のアーティストからリスペクトされる存在として、生けるレジェンドであり続けてほしいと思います。

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