あまりにもインパクトが大きい号泣会見で有名になった、元県議の野々村竜太郎(ののむらりゅうたろう)さん。
しかしその会見以後、表舞台に現れることがなく、どのような生活を送っているのかなどはほとんど知られていません。
そこでこの記事では、野々村竜太郎さんの現在や、母親について、死亡説や会見からのその後、自宅などについて紹介していきます。
野々村竜太郎のプロフィール
生年月日:1966年7月29日
出身地:大阪府大阪市
出身校:関西大学
野々村竜太郎の現在はニート?
野々村竜太郎さんは、例の号泣会見以降、ほぼ全くと言っていいほど公の場に顔をだすことはありませんでした。
現在どのようになっているのかというと、実は相当悲惨な状態でした。
野々村さんは議員辞職後、他の仕事もうまくいかず、定職に就くわけでもなく、ほとんどニートのような生活を送っているようです。
わずかながら、広告収入や宅建士のサポートをするブログの運営など、在宅ワークに取り組んだりはしているものの、収入としては心許なく、苦労しているという話です。
さらには母親と一緒に団地に住み、引きこもっている状態だとか。
野々村さんはすでに50歳を超えていますから、その点を考えてもかなり苦しい境遇と言えるでしょう。
やはりそこには過去の事件が尾を引いているのは間違いないでしょう。
なんでも、人々の目が気になり、そうそう外出する気にもならないみたいです。
しかも、ときにはその家から野々村さんのものと思われる奇声が聞こえてくるなんて情報もありました。
経済的にだけでなく、精神的にも相当追い詰められていることがわかります。
ただ、このような生活を続ける中でもTwitterやブログの更新は続けていました。
そして2023年3月になってからは、アプリで生配信を行っていたことがわかりました。
3月5日、ライブ配信アプリ『ふわっち』で、“悠久の歴史と光陰矢の如し“と題された音声のみの生配信がスタート。同時接続20人前後と小規模ではあるが、声の主は”絶叫議員“として一時期日本中の注目を集めた元兵庫県議会議員・野々村竜太郎本人だ。
この生配信で語られた内容というのは、プライベートな事柄が中心でした。
元政治家らしく時事的な話題に触れるような余裕などないということかもしれません。
そのプライベートな話というのも、もちろん前向きな話とは言い難く、なんとか社会復帰しようとしていることがうかがえるものとなっています。
ご本人の意図がどうかはともかく、同情や憐憫を誘うものになったとは考えられます。
たしかに野々村竜太郎さんは過去に、政務活動費の不正受給などの罪を犯しました。
しかしそれだけでなく、号泣会見のようなセンセーショナルな出来事のせいで、なお一層世間の目が厳しいものになりました。
結果として、良くも悪くも有名になりすぎてしまったわけです。
それでは普通の生活を送るのが難しくなるのも当然です。
事実、世間の人々の声を見てみると、そのすべてが決して厳しいものばかりではありません。
野々村議員はウソついて不正に出張費などせしめてバレて号泣したんだよね
一応、懲役3年執行猶予4年の判決は受けたけど全額返して罪は免れたとか。
そのあとは御年80になる母親の元で精神科に通いながらニートして暮らしているとか…不正に1000万近く横領したのは悪だけど可哀想っちゃ可哀想ね
— ゆんジロー師匠 (@Morgana_OTAKARA) July 20, 2021
だからといって、部外者が野々村さんに手を差し伸べることができるような状況でもないのも事実です。
たとえ世間の目が変わったとしても結局は、本人の気持ち次第なのかもしれませんね。
今後、野々村竜太郎さんが穏当に普通の生活を送れるようになることを願いましょう。
野々村竜太郎の母親は息子を溺愛していたことで有名
野々村竜太郎さんの母親は、息子を溺愛していたことでかなり有名です。
しかもそれは、通常の母親としての愛情を少なからず逸脱したものでした。
加えて言えば、そのような家庭環境が、あの号泣会見のような事件の遠因だったのではないかとの声もあるほどです。
野々村さんの家族は6人家族でした。
母と父、さらに兄弟として上には長女と次女、長男がいたそうです。
野々村竜太郎さんはこの家族において、次男にして末っ子でした。
だからこそなのか、母親は末っ子の彼を特に溺愛していたとか。
その溺愛っぷりの逸話はいくつもあります。
野々村さんが子供時代には、母親はいわゆるモンスターペアレントして知られていたという話です。
さらにこの母親は、発作的に喚いたり泣き叫んだり、突然怒りだしたりすることもあったそうです。
しかも野々村竜太郎さん自身もそんな母親に似ていたらしく、少年時代のあだ名が「発作マン」だったという情報も見つかりました。
まさに、問題の号泣会見を彷彿とさせるというわけです。
会見で見せたあの姿は、母親の育て方による影響がかなり大きかったというのも、あながち強引な言いがかりとは言い切れないと考えられます。
しかもこのような溺愛っぷりは、野々村さんが議員になってからも変わらなかったというから驚きです。
議員活動のいたるところにも母親がついてまわっていたとか。
そして野々村さんが議員を辞めてからは、一緒に暮らしながら、働かない息子の面倒を見続けています。
もはやここまで貫徹していると立派とすら言えそうですが、子育てというものをあらためて考えさせられるエピソードですね。
野々村竜太郎の死亡説はデマ
野々村竜太郎さんには、死亡説が流れたことがあります。
しかしこれはもちろんデマです。
無事にとは言い難いですが、2023年現在も野々村さんの生存が確認されていますから。
ではなぜこんな噂が生じたかというと、コラ画像が拡散されたことが原因だったようです。
【野々村元県議がひき逃げに】
野々村竜太郎元県議の誕生日の前日である7月28日、ひき逃げで死亡するというデマがTwitterなどで話題となりました。 /野々村竜太郎元議員がひき逃げで死亡 http://t.co/2EnLxef8h2 pic.twitter.com/sweLJq3zGT— ニュース速報Japan (@breakingnews_jp) July 28, 2014
ニュース番組のテロップに、「野々村竜太郎元議員」という名前を入れた画像。
たしかに、一見すると本物のニュースに見えてしまいます。
当然すぐに火消しとしてデマだという話も流れたでしょうが、一度拡散されてしまえば、必ずどこかに影響は残ります。
この画像が出回ったのは野々村竜太郎さんが特に話題になっていた時期ですから、注目度も十分だったでしょう。
そのうえで、数年経ってから過去を振り返るときや、「あの人は今?」と調べるときには、あたかも真実らしい情報として目についてしまうというわけです。
このコラ画像の拡散と、その結果として広まった死亡説に関しては、さすがに野々村さんのことを不憫に思う方も多いことでしょう。
同時に、ネット上でデマが蔓延る怖さを実感させられます。
野々村竜太郎はその後、自宅の大阪府大阪市住之江区の集合住宅で親と同居
野々村さんが不正受給などの罪を犯して号泣会見を行い、議員を辞職したその後は、自宅の大阪府大阪市住之江区にある集合住宅に、親と一緒に住んでいます。
週刊誌の記者が何度か直撃しに行ったみたいですが、本人はまったく顔を出すことはなかったそうです。
仕事が上手くいっていない野々村さんは、主に親の年金を頼りにして生活しているとか。
そのうえ、世間の目が怖く外に出ることにも億劫で、引きこもりがちになっているという話です。
当然、記者の相手などをするつもりはないはずです。
親と寂しく引きこもって暮らす生活はどのようなものなのか、想像するだけで不憫に思えてしまう人も多いのではないでしょうか。
野々村竜太郎さんが、なんとか無事に社会復帰できるようになることを願います。
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