海外アーティストとの共演も多く、新時代のジャズドラマーとして注目を集めている石若駿(いしわか しゅん)さん。
今回は石若駿というミュージシャンの凄さをあらためて解き明かしながら、藝大音楽学部器楽科打楽器専攻を首席で卒業した天才ぶりに迫ります。
あわせてキングヌー脱退理由や常田大希さんとの関係もまとめました。
石若駿のプロフィール
生年月日:1992年(平成4年)8月16日
出身地:北海道
最終学歴:東京藝術大学音楽学部器楽科打楽器専攻卒業
石若駿の凄さとは
活動していた北海道から単身で上京し、東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校に入学したのは2008年のことでした。
高校・大学時代の恩師であり、石若駿さんが「東京のお母さんのような存在」と慕う杉山智恵子先生によると、「凄い新入生がきた」との噂でもちきりだったそうです。
小学生の頃からプロのミュージシャンたちとステージに立っていた石若さんですから、前評判が高くなるのは当然のことでしょう。
2015年には、90年代生まれの若きジャズミュージシャンによる「JAZZ SUMMIT TOKYO FESTIVAL」を開催。
発起人の石若さん、中山拓海さん、江﨑文武さん、ぬかたまさしさんは日本のジャズシーンが低迷している現状を嘆き、「往年の名曲を収録したCDが横行するようではジャズに未来はないし、面白味を次世代に伝えることもできない」と警鐘を鳴らしました。
彼らがめざすのはジャズのスタンダードを守ることではなく、ジャズをさらにバージョンアップさせること。
同フェスで、あたかもその可能性を探るかのようにハイブリッドな音楽性を打ち出していたのは、そんな気概の表れでしょう。
ジャンルはもちろん、国境も時代もまたいでしまう石若さんの音楽性の背景には、インターネットでいつでもどこでも多様な音楽に出会えることや、大手レーベルに頼らずとも作品の発表ができるようになった環境がありました。
そうしたネット社会の恩恵を音楽活動に取り入れることができるのも、この世代のアーティストの特徴であり、強みともいえますね。
何かにとらわれることなく、自分の音楽を強く打ち出している人が好きと語る石若さん。
この言葉に、石若さんの音楽づくりの姿勢が表れているように思えます。
日本のクラシックの聖地である東京藝術大学で学びながら、ジャンルを自在に行き来することができるセンスと才能は凄さのひとつでしょう。
つぎはどんな最先端の音楽をつくりあげてくれるのか、また何をするかわからない予測不能のワクワク感がありますね。
東京藝術大学首席卒業の華麗な経歴
地元の北海道では、小学生の頃から札幌ジュニアジャズスクールのビッグバンドでプレイしていた石若さん。
すでに演奏活動をしていた石若さんが上京を決意したのは、5年生のときに出会った日野皓正さんの「中学を卒業したら、俺のバンドにこいよ」という言葉がきっかけでした。
日野さんと一緒に音楽をやりたい、それに進学するなら音楽を学べる高校がいいと考えて志望したのが東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校です。
今朝起きたら、
フロリダにいる日野皓正さんから電話があり、
「弟のドラムセット使ってくれたんだって!?弟も喜んでると思うよ!」
すごく嬉しいです。
日野さんも元気そうで良かった!#MillenniumParade
— Shun Ishiwaka 石若駿 (@shunishiwaka) February 20, 2021
狭き門として知られる藝高受験ですが、ご本人の話によると、定員は40名だったそう。
それも楽器ごとの定員ではないため、たとえぱピアノ専攻で合格者が40名に達したら、ピアノ専攻だけで40名ということもあるわけです。
石若さんは藝高合格をめざし、クラシックのレッスンに打ち込む中学時代を送りました。
ジャズもドラムも封印して、クラシックの奏法やソルフェージュを猛勉強したこともあったといいます。
見事に難関を突破した石若さんは、打楽器専攻では5年ぶりの入学者となりました。
やはり天才は陰で努力をしていますね。
2011年には同大学に進学し、2015年に音楽学部器楽科打楽器専攻を首席で卒業。
卒業時に東京藝術大学音楽学部アカンサス音楽賞、同声会賞を受賞しています。
アニメ『坂道のアポロン』の登場人物、川渕千太郎のドラム演奏やモーションを手がけたり、石若駿Trioとして『The Boomers』をリリースしたり、テイラー・マクファーリン来日公演のドラマーをつとめたのは在学中のことです。
石若駿が天才といわれる理由
石若駿さんの卓越した実力を物語るエピソードはいくつもありますが、その筆頭といえるのが、小学生時代から日野皓正さんやハービー・ハンコックさんに声をかけられるほど天才の片鱗を示していたことでしょう。
まだ小学生だった石若さんを自身のバンドに誘ったという日野さんの逸話からも、紛うことなき逸材であったことがわかります。
「世界基準」 「底知れぬポテンシャル」「日本一多忙なドラマー」といった形容もまた、その実力に対する賛辞ととらえることができますね。
「ぼくにとって石若駿は、ジャズドラマーを聴く喜びをもう一度教えてくれた特別な存在」と語るのはジャズ評論家の柳樂光隆さん。
「ジャズドラマーを聴く喜び」という言葉に、石若さんの天才ぶりが表れているように思えます。
石若駿のキングヌー脱退理由は多忙だったから
石若駿さんはロックバンド、キングヌー(King Gnu)の初期メンバーでした。
正確にいうと、前身プロジェクトのサーヴァヴィンチ(Srv.Vinci)と、前前身プロジェクトのミセスヴィンチ(Mrs.Vinci)に参加していたのです。
当時から活動をともにし、2023年現在はキングヌーのボーカル&ギターをつとめる常田大希さんとの対談で、石若さんはキングヌー脱退理由を明かしています。
2013年に常田さんが石若さんを誘って始動したミセスヴィンチ。
プロジェクトはその後、サーヴァヴィンチへ改名しました。
楽曲のMVをYouTubeで公開しています。
2015年9月16日にはファーストアルバム『Mad me more softly』をリリース。
しかし、同アルバムのレコーディングが終わった時点で、2人は翌年の活動について話し合っていたのです。
ライブ活動を積極的にやっていきたい常田さんに対して、プロのドラマーとして引っ張りだこになっていた石若さん。
サーヴァヴィンチを続けたい気持ちはあったものの、翌年のスケジュールが埋まっていたため離れることになったと述べています。
脱退理由は「音楽性の違い」でも「不仲」でもなく、スケジュールの折り合いがつかなかったから。
ただ脱退といっても、当時のメンバーは流動的だったようですから、バンドを脱退したという意識は希薄かもしれませんね。
2015年といえば、大学を首席卒業し、「東京ジャズ」に出演して、自身初のフル・リーダー作『Clean up』を発表した年。
石若さんが多忙な音楽生活を送っていたことは想像に難くありません。
サーヴァヴィンチはその後、しだいにバンド色を強めていき、現在のメンバーで固定されました。
キングヌーに改名したのは2017年のことです。
石若駿と常田大希の深い親交
同じ1992年生まれで、東京藝術大学音楽学部器楽科チェロ専攻の常田大希さんと出会ったのは大学1年のときでした。
クラシック好きが多い藝大生のなかで、ロックな恰好をしている常田さんが気になって声をかけたそうです。
話してみると、ふだん聴いている音楽や好きなアーティストも似通っていて、すぐに意気投合。
かたや大学を首席で卒業、かたや1年でドロップアウトという対照的な2人ですが、石若さんはサーヴァヴィンチを離れたあとも常田さんのプロジェクトに参加するなど親密な関係が続いています。
常田さんと活動するおもしろさは、見たことのない世界に連れていってくれるところだと語る石若さん。
これからも2人でフィールドを広げていきたいとのことなので、今後も蜜月は続きそうです。
大学時代からさまざまな形で音楽づくりをしてきた盟友でもありますから、いちばん似た感覚をもっているのかもしれません。
ジャズとクラシックを起点に、開かれた姿勢で多種多様なジャンルと向き合い、自らの音楽を確立しようとする石若駿さん。
2020年代の音楽シーンをどのように牽引してくれるのか注目です。
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