中条きよしの若い頃の活躍!かっこいいと評判。兄弟7人、父親との別れ&家族構成まとめ

元歌手で俳優、現在(2023)は参議院議員として活動されている中条きよし(なかじょうきよし)さん。

若い頃、かっこいいと女性から絶大な人気に。

兄弟や父親はいるのか、家族構成はどうなっているかについてお伝えしていきます。

中条きよしのプロフィール

 

本名:下村清(しもむらきよし)

生年月日:1946年3月4日

身長:178cm

血液型:B型

出身地:岐阜県岐阜市 

最終学歴:岐阜東高等学校商業科中退

所属政党: 日本維新の会

中条きよしの若い頃

歌手や二枚目俳優として活躍されてきた中条きよしさん。

2023年現在は日本維新の会所属の参議院議員として活動をされており、芸能界は引退しています。

政治家としての活動はまだ日も浅く、歌手や俳優としての姿の方が馴染み深いのですが、若い頃はどんな方だったのでしょうか。


中条さんは岐阜県岐阜市出身で、岐阜東高等学校商業科を中退しています。

小学生の頃は自身は音痴だと思っていて、歌手ではなく映画俳優にないたいと思っていたといいます。

そのきっかけになったのが、東映太秦撮影所の見学。

当時、中村錦之助(なかむらきんのすけ)さんの『宮本武蔵』の撮影中で、佐々木小次郎役を高倉健(たかくらけん)さんが演じていました。

実際に近くで演技を見るとそんなに上手に演技しているようには見えず、自身でもでるのではないかと感じたそうです。

そこで、中条さんは小学5年で岐阜の劇団へ入団。

中学では演劇部へ所属します。

高校中退後には、日本海航路の貨物司厨員として働いた時期もありました。

学校を出た後、船乗りになりましてね。日本海航路の貨物船の司厨員です。

その後は大阪に出て、劇団で役者を目指して活動をしますが役者としてはなかなか芽が出ませんでした。

自身が19歳の頃、ある歌手の前座のピンチヒッターとして歌っている姿がレコード会社の関係者の目にとまりました。

とりあえず出番が終わって楽屋に戻ったら、知らないおじさんが来て『酷かったね』って。ただ、その人が『君、歌は酷いけど舞台映えするから、もしよかったらウチでアルバイトで歌ってみない』と言うんです。

歌手として1868年に渥美晃(あつみあきら)の芸名で「帰って来た波止場」で歌手デビュー。

1971年には改名をして渥美 健(あつみけん)として「心の古傷」で再デビューしました。

20代半ばには赤坂にスナックを出店。

そのお店が大盛況でポルシェを乗り回し、銀座に通って何万もの飲み代やボトルキープをしていたといいます。


中条さんの経営する店にはマスコミ関係の常連が多く、彼の歌唱力に目が留まりました。

そこで、1973年にオーディション番組『全日本歌謡選手権』に出場することになり、10週勝ち抜いてグランドチャンピオンになりました。

1974年、3度目の芸名変更で「中条きよし」になり演歌『うそ』でデビューをして150万枚の大ヒットを記録。

同年の日本レコード大賞の大衆賞など音楽賞を受賞し、その後にリリースした『うすなさけ』、「理由(わけ)」などヒット曲を連発します。

その頃も中条さんの銀座通いは続いていたといいます。

30代に入ると、もともと役者志望だった中条さんは、時代劇必殺シリーズ『新・必殺仕事人』で闇の殺し屋集団「仕事人」の中の三味線屋勇次役でレギュラー出演を果たします。

この役が大好評で女性ファンを獲得して人気俳優としても知名度が上がりました。

中条きよしがかっこいい

もともとは役者を目指していた中条さんですが、歌手デビュー後の1981年に念願の俳優として『新・必殺仕事人』に出演します。

役柄は闇の殺し屋集団「仕事人」の中の一人で三味線屋の勇次役。

黄色い三味線の糸で悪人の首を締める技を使い、ほとんど笑顔を見せないクールな役どころを演じました。

主役の中村主水役の藤田まこと(ふじたまこと)さんは母親を大切にするキャラクターである一方で中条さんは正反対の役柄。


家庭を持たず三味線屋で三味線や端唄などの俗曲の師匠をするのが日常ですが、夜は女遊びをするという姿が世の女性からかっこいいと注目を集め人気が沸騰しました。

大人の男性の魅力を感じるかっこよさで、女性から人気が出るのも納得ですね。

中条さんは20代半ばには自身が経営するスナックが成功していて、ポルシェを乗り回し銀座通いをしていてその頃からモテていたと色男エピソード披露しています。

中条きよしの兄弟は7人

中条さんは7人兄弟のようです。

ご兄弟は一般人なのか、あまり詳しく兄弟については公表していないようです。

姉が3人、弟が3人いらっしゃるようなので、中条さんは7人兄弟のちょうど真ん中なのではないかと思われます。

中条きよしの父親は幼い頃に他界

中条さんはご両親と兄弟7人の9人家族。

父親は自身が3歳のときに42歳で他界されたそうです。

母親が仕事を引き継いでバーの経営をしていたといいます。

中条さんは7人兄弟ですので、子供たちを育てるために母親は苦労されたのではないでしょうか。

中条きよしの家族

中条さんには3回の離婚歴があるので、現在(2023)は4回目の結婚生活を送っています。

自身のブログなどには、男ばかりの家族という表現や長男、次男、三男が登場することもあるので、お子さんは3人いることがわかります。


4回目の結婚もまだ継続していますので、奥さんもいらっしゃいます。

中条さんの離婚歴を調べてみると、1974年に『うそ』で再デビューをして大ヒットをとばしたときには既に既婚者で子供もいたようです。

その後に1度目の離婚をしています。

1975年には一般人と再婚をし、男の子が誕生しています。

2回目の奥さんは中条さんを献身的に支えるような女性だったようなのですが、同年に離婚をしています。

1977年に女性誌によって隠し子がいることが報じれてしまいます。

中条さんの子を産んだという当時29歳の女性がマスコミに訴えたそうです。

女性の話によると、1975年に女の子を出産したと主張し、半同棲の末の妊娠で中条さんからは堕ろしてほしいと言われたものの、妊娠4か月を過ぎていたため女性は産むと決意し出産したということでした。

女性は中条から月に20万円の仕送りを受けていたが、その仕送りが打ち切られたことにより生活が困窮してしまったことが理由でマスコミに隠し子のことをリーク。

しかし、中条さんはその女性について子供を抱えて仕事に出られないと泣きつかれて同情したから渡しただけだと主張し、子供との血液鑑定を女性に要求したが拒否されたことを公表。

騒動は1か月で鎮静化したので、両者間で何らかの妥協点を見い出したと思われています。

1978年には歌手の高山ひろ子さんと3回目の結婚をしていますが、1988年には離婚しています。

そして、1989年に4回目の結婚をしています。


お相手は元歌手の西夏絵(にしなつえ)さんで、中条さんとは再婚なのですが前回の結婚の際に芸能界を引退し、祇園の高級クラブでオーナーマダムをしていたそうです。

現在もこの奥様と生活しているもようです。

       左上から 俺、唐沢、唐沢の友人の福ちゃん、こうじさん、

       こうじさんの下は知らないおばさん。

       左下から 弘樹くん、女房、まさみちゃん、弘樹くんの女房。

現在の奥様は和服の似合う美人でいらしゃいます。

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