鳥羽一郎と弟。母に捧げた歌とは。出身地が芸名の由来&本名は?師匠は名作曲家

デビュー曲の「兄弟船」が大ヒットし人気演歌歌手の仲間入りをした鳥羽一郎(とば いちろう)さん。
紅白歌合戦に20回も出場するなど名実ともに日本を代表する歌手の一人と言えるでしょう。

鳥羽一郎の弟も演歌歌手?

弟と妹を高校に進学させるために漁船に乗って働いた鳥羽一郎さん。
その弟が演歌歌手として活躍する山川豊さんです。

意外にも幼少期の山川豊さんは歌に興味がなかったんだとか。
ですが鳥羽一郎さんの影響を受けて歌に興味を持つようになり、テレビで五木ひろしさんを見て衝撃を受けたそうです。


こうして山川豊さんは五木ひろしさんの大ファンに。
中学を卒業後、手に職を付けるために進学したのは職業訓練学校。
寮の天井には五木ひろしさんのポスターを張っていたそうです。

職業訓練学校卒業後は三重県の工場で自動車の整備士として働くも歌に夢中だった山川豊さん。
そんな時に名古屋に住んでいた姉の紹介で名古屋のキャバレーで働くことに。
担当はキッチンでしたが仕事の合間に歌わせてもらっていたようです。

心から歌を愛する山川豊さんはカラオケ大会の優勝がきっかけとなりレコード発売が決定。
そして1981年2月に発売されたデビュー曲の「函館本線」がロングヒットとなり数々の音楽賞で新人賞を受賞。
その後は紅白歌合戦に11回も出場するなど押しも押されもせぬ人気歌手となりました。

山川豊さんが演歌歌手になれたのは、まさに鳥羽一郎さんのおかげ。
きっと鳥羽一郎さんに感謝してもしきれないと感じている事でしょう。

鳥羽一郎が母に歌を捧げた?

海女だけでなく畑仕事もしていたという鳥羽一郎さんの母。
大変な働き者で朝早くから日が暮れるまで働いて家計を支えていたそうです。

鳥羽一郎さんはデビューした翌年の1983年に「海の匂いのおかあさん」という母に捧げる歌を発表しています。
同曲はコンテストの応募作品で作曲を務めたのは審査員を務めた船村徹さん。

そして船村徹さんはこの楽曲の歌い手に鳥羽一郎さんを指名。
鳥羽一郎さんが漁業一家で生まれ育ったために指名したのでしょう。

楽曲を発表してから22年後の2005年。
NHK紅白歌合戦で鳥羽一郎さんは山川豊さんとデュエットで同曲を披露することに。

最高の親孝行ができます

と二人が語った通りこれ以上ない親孝行になった事でしょう。

鳥羽一郎の本名と出身地

NHK紅白歌合戦に20回の出場歴を持つ鳥羽一郎さん。
日本を代表する演歌歌手の一人と言っても過言ではありません。

「鳥羽一郎」は芸名で本名は「木村嘉平(きむら よしひら)」。
出身地が三重県鳥羽市石鏡町という事で地元にちなんだ芸名を付けたようです。

父は漁師で母は海女という漁業一家で生まれ育った鳥羽一郎さん。
共働きとはいえ決して裕福な家庭では無かったそうです。

そのため鳥羽一郎さんは家計を支えるために中学校を卒業後に遠洋漁船で働くようになりました。
鳥羽一郎さんのおかげで弟と妹は高校まで進学する事が出来たんだとか。

その後、鳥羽一郎さんは板前になるために調理師免許を取得するも歌手になりたいという気持ちを抑える事が出来ず27歳にして上京。
師匠の元での3年に及ぶ修行を経て1982年に「兄弟船」でデビューを果たしました。

デビュー後も下積みが長い印象がある演歌界。
鳥羽一郎さんもヒットするとは思っていなかったようでこんな裏話を明かしています。

この写真は、プロのカメラマンじゃなくて、素人が撮った写真を使ったんですよ。当時は、お金をかけなかったんだよね。まさか、こんなにヒットするとは思っていなかったからね。

鳥羽一郎さんも驚くヒットとなった兄弟船。
約29万枚を売り上げる大ヒットとなり鳥羽一郎さんは多くの音楽賞で新人賞を受賞するなど演歌界の若きスターとなりました。

鳥羽一郎の師匠

今も残る演歌界の師弟制度。
鳥羽一郎さんも上京後、作曲家の船村徹さんの元に弟子入りして修行を積んでいます。

若かりし頃に遠洋漁業の漁船で働いていた鳥羽一郎さん。
「別れの一本杉」、「なみだ船」など船村徹さんが手掛けた楽曲が心の癒しになっていたそうです。
歌手を夢見た時に船村徹さんの弟子になりたいと思ったのもこの経験があったから。

先に上京していた山川豊さんに船村徹さんに会える場所を聞いた鳥羽一郎さん。
船村徹さんの元を尋ね弟子入りを志願したところ、熱意が通じたのか弟子入りを認められたそうです。

作曲家として著名な船村徹さんの元には多くの弟子入り志願者が訪れていたことでしょう。
その全てを弟子に取るという事はなかったはず。
鳥羽一郎さんに何か光るものを感じたのかもしれません。

船村徹さんはデビュー曲の「兄弟船」を始め多くの楽曲を鳥羽一郎さんに提供。
公私に渡って大変お世話になった鳥羽一郎さんにとって船村徹さんは「芸能界の父」と呼べる存在だったのかもしれません。


現在は北島三郎さんの後を継いで「船村徹同門会」の二代目会長を務める鳥羽一郎さん。
各地で演歌巡礼コンサートを開催して船村徹さんの楽曲を歌い続けています。

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