役所広司、妻・河津左衛子と結婚後に飛躍!現在(2023)は社長の妻&馴れ初めは無名塾

唯一無二の味わい深さが魅力の俳優・役所広司(やくしょこうじ)さん。

若くして結婚した妻・河津左衛子さんは元女優、現在は凄腕経営者として知られています。

元同業者である夫婦の馴れ初めや、無名塾との関係を調査してみました。

役所広司のプロフィール

本名:橋本広司

生年月日:1956年(昭和31年)1月1日

身長:179cm

出身地:長崎県諫早市

最終学歴:長崎県立大村工業高校

所属事務所:ワイ・ケイ事務所

役所広司は妻・河津左衛子と若くして結婚、その後の飛躍がすごい

役所広司さんは1982年に元女優の河津左衛子さんと結婚しました。

当時まだ20代半ばだった彼がどのように結婚を決意したのかや結婚後の生活について調べてみました。

プロポーズの理由は「彼女がいないとダメになる」と思ったから

日本を代表する名優が元女優の妻と結婚したのは、彼が26歳とまだまだ駆け出しの若手俳優だったころのことでした。


当時の役所広司さんと言えば80年のNHK連続テレビ小説『なっちゃんの写真館』でTVデビューこそ果たしていますが、まだ役者としてブレイクしていたとは言い難い状況。

かなり早い時期の結婚に「授かり婚かな」と邪推してしまいますが、長男誕生はこれから3年後なので子どもができたから結婚を急いだというわけではありません。

相手は4歳年上の先輩女優・河津左衛子さん、役所広司さんはどんな理由で彼女と夫婦になることを決意したのでしょうか。

高校卒業後に公務員をしていた役所広司さんは、たまたま観劇した舞台に感銘を受け役者の道を志すようになります。

その後無事俳優養成所に合格し演劇の道を進み始めますが、すぐ売れっ子になったわけではありませんでした。

若かった当時厳しい現実に直面しお酒に溺れることもあったといいます。

そんな時に彼の面倒を見てくれたのが4歳年上の先輩女優だった河津左衛子さんだったのです。

苦しい時を支えてくれる河津左衛子さん、いつしか役所広司さんの中で彼女の存在は不可欠なものになっていったよう。

いみじくも役所広司さんはプロポーズの時のこと次のように懐述しています。

体も弱っていたし、気弱になっていたし、女房がそばにいてくれないとダメになっていきそうで

彼女が必要だという気持ちに若さも手伝い、勢いで結婚を迫ったのだそうです。

彼のような素敵な年下の男性に熱っぽくプロポーズされるなんてまるで映画のよう。

河津左衛子さんもイチコロだったのではと思いきや、彼女の方はなかり結婚を迷ったそうなのです。

考えてみれば当時の役所広司さん駆け出しの若手俳優、年下で収入にも将来にも不安だらけだったわけですから無理もありませんね。

結婚後に訪れた飛躍、NHK大河で織田信長役に抜擢される

悩んだ挙句河津左衛子さんがプロポーズを受け入れ、2人はめでたく夫婦になります。


新婚生活は家賃3万円・八畳一間のアパート住まいと、決して楽なものではありませんでした。

しかしこの結婚を境に夫には仕事面でも大きな転機が訪れます。

なんと結婚からわずか1週間後、役所広司さんは大河ドラマ『徳川家康』で織田信長役にキャスティングされるのです。

当の本人すらこの役は「結婚祝いでもらった」と語るほど予想外の大抜擢。

その役により注目を集めた後に順調にキャリアを積み、今では大物俳優にまで登りつめたことは説明の必要もありませんね。

知られざる結婚生活「亭主関白ではないが、手がかかる夫」

2021年で結婚40周年を迎えた役所広司・河津左衛子夫妻。

同年2月に『サワコの朝』に出演した際には、普段あまり語られない夫婦の日常生活を明かしました。

家での役所広司さんは決して亭主関白ではないそうですが、妻から見て「手がかかる」ところがあるようです。

番組では収録の日の朝起こった、しっかり者の奥様とのやりとりを明かしました。

収録に来る前の役所広司さん、仕事前で少し緊張していたのかいつも行う加湿器の水交換を忘れてしまったそう。


しばらくしてそのことに気づいて加湿器を見ると、既に水が交換されていました。

そこで妻に「やってくれたのか」と尋ねてみると、「やりました」という返事が。

その時の口調が少し怒り気味だったのだとか。

夫婦の日常の様子と家庭内での力関係が垣間見えるエピソードですね。

以前役所広司さんは休日の自分のことを、「ボサボサヘアーで、髭ボーボー、おまけに一日中同じ服を着ている」と表していたことがあります。

家の中では思いっきりオフになる夫にしっかり者の姉さん女房が世話を焼いている情景が自然と目に浮かんできますね。

あまり明かされることのない結婚生活ですが、熟年夫婦は今でも仲睦まじく暮らしていると言えそうです。

役所広司の妻・河津左衛子の現在(2023)は個人事務所の敏腕社長

もともとは自身も女優だった妻・河津左衛子さんですが、2023年現在は役所広司さんの事務所の社長として活躍しています。

以前は映画『西遊記』の観世音菩薩役など女優として活躍していた河津左衛子さん。

結婚の翌年には夫婦で『ハウス・ザ・カリー』のコマーシャルに出たりと表舞台に立つ仕事を継続していました。

一方で夫婦は結婚後の84年ごろに個人事務所を立ち上げ、妻が社長に就任。

河津左衛子さんは、徐々に夫のマネジメントという裏方業に徹するようになっていきました。


今では事務所経営にも力を発揮しているようで、経営状態は極めて良好。

事務所名義で都内高級住宅地に建つ自宅と渋谷区にある4階建てのビルを所有し、合計資産が17億円ほどあるとも言われています。

彼女の仕事は夫のスケジュール管理から、オファーを受けるかどうかの最終的な決定まで多岐に渡るそう。

何でも役所広司さんにつく現場マネージャーには、何時に誰と会ったということから、昼食のメニューまでの詳細を記録した「日報」と呼ばれるメールを社長に提出する任務があるのだとか。

名優は徹底して社長である妻に管理されているようです。

さて演者として大成功を納めている役所広司さんですが、彼にはこの先にも叶えたい夢があると言います。

それは映画監督になることで、クリント・イーストウッドのような監督兼主演というのが最終的な目標。

その夢を誰よりも理解し近くで支えるのが凄腕社長の妻なのです。

仕事を受ける時にも旦那の夢の実現に役立つよう、大御所から若手まで色んな監督の作品に参加するよう考えているという話も聞かれます。

結婚後表舞台を退いた河津左衛子さんは、人生においても仕事においても役所広司さんには欠かすことの出来ない女性と言えそうです。

そんな彼女の大事さを役所広司さんもしっかり認識しています。

09年に『万年筆ベストコーディネート賞』を受賞した役所広司さん、その際に発表した「大切な人へのありがとうのメッセージ」はやはり妻に向けたものでした。

君がいてくれたから、今の僕があります

普段照れくさくて言えない妻への感謝をストレートに、しかし愛情たっぷりに口にしました。


現在は凄腕社長となった妻・河津左衛子さんと役所広司さんの夫婦二人三脚はこれからも続きそうです。

役所広司と妻・河津左衛子の馴れ初め、役者夫婦の出会いは無名塾

役所広司さんと妻・河津左衛子さんが知り合ったのは役者養成所『無名塾』でした。

仲代達矢さんの舞台『どん底』を観劇したことがきっかけで演劇の道に進んだ役所広司さん、高倍率を勝ち抜いて仲代達矢さん主宰の演技塾『無名塾』に入ります。

一方4歳年上の妻・河津左衛子さんは公募前からこの無名塾に所属していた先輩、2人はここで出会い後に交際へと発展するのです。

ちなみに無名塾には恋愛に関して独自のルールがあり、修業期間とされている3年間は恋愛禁止なのだそう。

役所広司さんが入所したとされるのは1978年で2人が結婚したのが1982年のこと。

ルール通りだと1981年に交際が開始し、1年程度の交際期間を経て結婚したことになりますね。

結婚後は徐々に事務所社長として夫を裏から支える黒子に転身した妻ですが、役者時代の経験を活かし夫のセリフ練習の相手を務めることもあると言います。

なんでも役所広司さんはとても緊張しやすいタイプで、セリフを覚える時にも緊張のため少し苦戦するそうなのです。

そんな夫の姿を見て妻は「この人は俳優に向いていないかも」と思ったことがあるとかないとか。

緊張しいの役所広司さん、スクリーンで見せる堂々の演技の裏には元女優妻との練習があったわけですね。


一部では恐妻家ともいわれる役所さん、奥様はもともと自身も演劇をしていたためか殊更仕事に対しては厳しいのだそう。

人気・実力ともにトップレベルとなった役所広司さんですが、今でも奥様からの評価にはドキドキらしいと言われています。

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