坂口征二の現在(2023)も元気!自宅は自由が丘?若い頃の強さ。人間不信の理由&柔道6段

昭和の時代に大活躍したプロレスラー、坂口征二(さかぐちせいじ)さん。

俳優の坂口憲二さんの父親であることも有名ですが、現在はどのような生活をしているのでしょうか。

自宅は東京の自由が丘にあるようで、若い頃は本当に強くて大人気でしたよね。

しかし人間不信という噂があり、柔道も強くなんと6段というのは本当なのでしょうか。

そこで坂口征二さんの現在や自宅、わかいころおや人間不信、柔道も強いのかについて、詳しくお伝えしていきます。

坂口征二のプロフィール

愛称:世界の荒鷲

本名:坂口征二

生年月日:1942年(昭和17年)2月17日

身長:196cm

出身地:福岡県久留米市

最終学歴:明治大学卒業

所属事務所:新日本プロレス

坂口征二、現在(2023)も元気に相談役として活躍

昭和の時代にプロレスラーとして大人気だった坂口征二さん。

1942年生まれで、2023年には81歳を迎えられました。

現在は何かお仕事はされているのでしょうか。


現在坂口征二さんは、「新日本プロレスの相談役」を務めています。

1989年に新日本プロレスの社長に就任し、社長業に専念するために現役を引退しました。

その後は会長を務めていましたが、現在は相談役として新日本プロレスを支えています。

そして現在は他に、病気との闘いもあります。

坂口征二さんは2017年2月、現役時代からの古傷であった右肘尺骨の悪化により手術を受けました。

しかしそこで細菌による感染症を起こしてしまい、さらに治療を受けることに。

体の震えが止まらなくなったり、体重も13kgも減ってしまいました。

それからはリハビリに専念し、しっかりと体調を整え81歳の現在も元気に生活されています。

2022年10月にアントニオ猪木さんが亡くなった際には、葬儀に出席し元気なお姿を見せてくれていました。

「これからも頑張ります」とおっしゃっており、まだまだプロレス界を盛り上げていくという思いを持っていると思います。

さまざまな病気を乗り越えながら、また古傷を抱えているとは思いますがお元気なのがすごいですよね。


ちなみに坂口征二さんのお母さまは103歳まで生きられたそうで、もしかしたら長寿のご家庭なのかもしれません。

ぜひこれからも、元気なお姿を見せてほしいと思います。

坂口征二の自宅は自由が丘?

坂口征二さんの自宅の場所について調べてみたのですが、東京の自由が丘ではないかという情報がありました。

しかし確定の情報ではなく、あくまでも噂であることが分かりました。

なぜ噂になったのかというと、自由が丘での目撃情報が多いためです。

よく自由が丘の道を歩いていたり、飲食店で会う方が多いとのこと。

そのために、坂口征二さんが自由が丘に住んでいるのではないかという噂になったようですね。

確かに目撃情報が多いと、自宅の近くである可能性は高そうです。

しかも坂口征二さんはとても有名な方ですし、体も大きいので目立つのだと思います。

そして自由が丘という街は、高級住宅街であり芸能人の方もたくさん住んでいます。


プロレスラーとして一世を風靡した坂口征二さんなら、確かに高級住宅街に住まわれていることでしょう。

確定の情報ではありませんでしたが、自由が丘近辺に自宅があるのかもしれませんね。

坂口征二の若い頃が強すぎる

そして坂口征二さんの若い頃も調べてみました。

こちらは1979年に実際に行われた、試合の映像です。

かなり迫力があって、たくさんの技を決めていますね。

そして新日本プロレスに移籍したあとは、アントニオ猪木さんとのコンビが「黄金コンビ」と呼ばれて大人気でした。

今でもファンが多いほど、このコンビは記憶に新しいですね。

実は若い頃、最初は柔道をやっていたんです。

しかし全日本選手権で優勝を逃したことから、柔道を辞めてプロレスに転向をしました。

日本プロレスに入団してから厳しい海外修行を経て、スター選手として活躍。

1972年には「UNヘビー級王座」を獲得するなど、経歴も素晴らしいのです。

全日本プロレスを立ち上げてからは、1974年にアントニオ猪木さんとのタッグチームでNWA北米タッグ王座を獲得しました。


実際にアントニオ猪木さんとの対戦もあり、1986年のIWGP公式戦では勝利を収めています。

若い頃は本当に強くて、日本および世界のプロレス界を盛り上げた方といっても過言ではありません。

その強さは今でも語り継がれており、根強いプロレスファンの方もたくさんいらっしゃいますよね。

若い頃の坂口征二さんは、今でも「日本人最強」ともいわれています。

それだけ強く、輝かしい功績を残したことは間違いありません。

坂口征二の人間不信の理由と柔道は6段

坂口征二さんは、人間不信ではないかという噂がありました。

それは本当なのでしょうか。

アントニオ猪木の演技が原因?

事の発端は、1983年6月2日に行われた第1回IWGP決勝におけるアントニオ猪木さんの舌出し失神事件。

これはアントニオ猪木さんが自ら失神したと言われており、自作自演だと言われています。

坂口征二さんは猪木さんの勝利を願っていたのですが、独断で失神し、負けとなりました。

このことで、人間不信になってしまったと言われているのです。

当時、坂口征二さんはセコンドとしてアントニオ猪木さんのそばにいました。

プロレスでは失神するケースも少なくないため、それが演技なのか本当なのかはすぐに見分けがつくような気もしますよね。


失神した場合、舌が気道をふさがないように「舌を出せ」と指示することがほとんど。

実際に坂口征二さんも舌を出すよう指示をしていますので、これは演技ではないようにも感じます。

しかし、実際にアントニオ猪木さんはその後病院を抜け出しています。

それを知り、会社に「人間不信」と書置きを残したということが今でも言い伝えられているのです。

その後坂口征二さんは、「自分自身が情けなくて」と、軽症なのに大事にしてしまったことを反省していたんだそう。

普段はとても温厚なのですが、こんなエピソードがあったとは驚きますね。

坂口征二は柔道6段

もともと柔道家だったため、柔道は相当強いことが分かっています。

段位はなんと、6段。

1960年に柔道3段を取得し、高校、大学と柔道に打ち込みました。

1965年には全日本柔道選手権で優勝し、1965年世界柔道選手権大会に日本代表にも選ばれています。

1966年には柔道6段を取得。


しかし、1966年全日本柔道選手権で優勝を逃し、プロレスの道へと進まれたんですね。

これだけプロレスが強いと、柔道が強かったと聞いて納得ですよね。

どちらも素晴らしい才能があるからこそ、どちらの世界でも大活躍だったのではないでしょうか。

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