若い頃、バイリンギャルとして大人気だった山口美江(やまぐちみえ)さん。
父の職業は貿易商だったそうで、自身の英語力も抜群でしたね。
芸能界から遠ざかった後に、横浜・中華街でグリーンハウスを経営していたといいます。
どのような会社だったのか気になりますので、さっそく見ていきましょう。
山口美江のプロフィール
本名:山口美江(やまぐちみえ)
生年月日:1960年(昭和35年)9月20日
死亡年月日:2012年(平成24年)3月7日
身長:160cm
出身地:神奈川県横浜市
最終学歴:上智大学外国語学部比較文化学科卒業
山口美江は若い頃美人でおもしろくてモテていた
1987年にフジッコのCMに出演した山口美江さん。
「しば漬け食べたい」のセリフが大ウケして、ブレイクしました。
CM 「ふじっ子つけもの百選」
山口美江。はぁ…しば漬け食べたい@retoro_mode pic.twitter.com/fC6dR33U2t— JUNK (@tHgInDiMdNuOr) April 21, 2020
CMというのは、ほんの15秒程度の非常に短い動画ですよね。
その中に伝えたい情報に加えて、山口さんの面白さまで演出するとは素晴らしいコマーシャルでした。
山口さんを起用しようと思い立った人は、良いセンスを持っていたのでしょう。
美人で知的な山口さんが言わないようなセリフを発したことで、知名度が上がりました。
そして、テレビ番組にもどんどん出るように。
【TVガイド/あの時あの表紙あの番組(1336)】
[88.09.30]山口美江「しば漬け」のCMでブレイクのイメージだが、
『CNNヘッドライン』〔テレビ朝日〕キャスターを務めるほか、
『たけしのここだけの話』〔KTV関西テレビ〕では
司会進行を担当、才色兼備の本領を発揮した@retoro_mode pic.twitter.com/TPa3TxosX2— しがない三四郎 (@shinya_bokudake) November 27, 2018
当初はキャスターとしても採用されたのですが、バラエティ番組からの出演依頼も多く有りました。
代表作としては日本テレビ系の「天才たけしの元気が出るテレビ」が挙げられるでしょう。
山口さんはきれいでお高くとまっている見た目とは真逆の面白い発言のギャップで、多くの男性にモテたそうです。
噂になったのは、歌手の布施明(ふせあきら)さんやタレントの渡辺正行(わたなべまさゆき)さんなど。
@Palus_Somnii 山口美江、渡辺正行 pic.twitter.com/xRkIovXbD3
— チヨノフG (@taka3desuyo) October 25, 2015
しかし、結局誰とも結婚することはありませんでした。
山口美江の父の職業は貿易商
山口美江さんの父親は、インタビューなどでテレビに何度か出演しています。
記憶に残っている人も多いかもしれません。
山口俊雄さんといい、16歳で日本人に帰化した方だったそうです。
それ以前の名前はマックスだったといいます。
兄弟と一緒に横浜で貿易会社を営んでいた実業家でした。
海外の取引先とやり取りし、計算もとても速い聡明な人だったそうです。
山口さんは父親のことをとても尊敬していたそうです。
母親は山口さんが学生時代に、急性白血病で亡くなってしまいました。
それ以来、一緒に父娘だけで暮らしていたのです。
父親は聡明なだけでなく、とても優しくて器用な方。
料理は全部作ってくれて、ワインを一緒に家で楽しんでいたそうです。
ただし門限には厳しく、一応12時と決められていました。
12時と聞くと「それほど厳しくないのではないか」と感じる人も多いかもしれません。
しかし、この門限は山口さんが40歳の頃まで続きました。
連絡すれば門限を過ぎても良かったそうですが、40歳といえばいわゆる「中年世代」。
娘を守りたいという気持ちが強かったのでしょう。
確かにあれだけ美人で素敵な子どもがいたら、多少の心配はするかもしれないですね。
山口さんの父親は、芸能界のことを毛嫌いしていた過去がありました。
しかし娘がが芸能界に入ると、気持ちを切り替えて応援することに。
出る番組は全て録画して、保存していたそうです。
恋愛などのスキャンダルまで録りためていたのだとか。
それだけでなく、父親自身も積極的にテレビに出演。
貿易商の仕事も68歳まで続けていました。
もしかすると、少しだけでも仕事を継続していたら良かったのかもしれません。
実は、70代で痴呆症になってしまったのです。
忙しかった人が急に何もすることがなくなり認知機能が衰える、という話はよくありますよね。
山口さんの父親も、計算ができなくなったり名前を思い出せなくなったりしました。
症状はどんどん悪化し、徘徊や幻覚症状まで出現するように。
2006年9月に、腸捻転でこの世を去りました。
山口さんは「父ととても仲良しだったので、介護も苦ではなかった」と介護を振り返っています。
父と娘の深い絆が感じられますね。
山口美江の英語力はインタースクールと上智大学で鍛えられた
山口美江さんは「元祖バイリンギャル」と呼ばれていました。
バイリンギャルとは、バイリンガル(2つの言語を使える人)とギャル(女の子)を掛け合わせた造語。
山口さんがブレイクした 年ごろは、まだ英語に堪能な人がそれほどいなかった時代。
しかしバブル時代で華やかさを求められた頃でした。
国際的な感覚を持った山口さんは、帰国子女ではなかったようです。
インターナショナルスクールで英語力を磨きました。
父親がドイツと日本のハーフだったので、一般的な日本の学校に通わない選択も自然だったのかもしれません。
山口さんが通った学校は、横浜のサンモール・インターナショナル・スクール。
日本のみならず、アジアで最も歴史のあるインターナショナルスクールです。
設立は1872年といいますから、明治に入ってすぐのことになりますね。
山口さんは高校までインターナショナルスクールに通いました。
著名な卒業生としては、他に桐島(きりしま)かれんさんやセイン・カミュさんがいます。
インターナショナルスクールは、カリキュラムが欧米式。
さらに外国語で授業をするため、日本の学校教育とは全く異なる学び方ですね。
国内にいながら、日本語を維持するのも難しくなると聞いたことがあるほどです。
山口さんはサンモールでしっかり英語力を身につけ、上智大学に進学。
こちらも、語学で定評のある大学ですね。
家庭環境も、英語に触れる機会が多かったかもしれません。
貿易商だったハーフの父親が、友人や仕事関係の人を家に招けば英語が飛び交っていた可能性は高いでしょう。
このようにして、山口さんは着実に「バイリンギャル」になっていったのですね。
山口美江は横浜中華街で輸入雑貨店グリーンハウスを運営
山口美江さんは芸能活動を一旦停止し、1997年7月に店を始めました。
場所は地元横浜の中華街で、「グリーンハウス」という輸入雑貨店。
中華街にある「横浜バザール」1949年に建てられたビルに骨董関係の店が増えつつも故・山口美江がアメリカン雑貨店「グリーンハウス」を出店したりバラエティーに富んだ店が集まった為“バザール”という名称になったのだとか。クレイジーケンバンド(CKB)横山剣のご両親が経営しているお店もあるとか。 pic.twitter.com/82TzoQaio9
— イタリア猫 (@italian_cat) May 13, 2021
元々輸入雑貨が大好きで、幼い頃からお店を持つのが夢だったのだとか。
芸能界と店舗経営を両立するのは難しいと分かっていたので、テレビからは完全に姿を消してしまいました。
ビジネスは順調でしたが、震災の影響で客足が遠のいたため2011年5月に閉店。
新天地で再び店をオープンさせようと考えていたのですが、2012年3月に自宅で亡くなっているのが見つかりました。
1人暮らしだったので、発作などが起きても助けが呼べない状態だったようです。
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