ラサール石井(いしい)さんは早稲田大学に進学したものの、除籍になってしまったようですが理由は何だったのでしょうか。
若い頃は、コント赤信号として活躍していましたね。
実家は大阪でうどん屋をお兄さんが経営しているようです。
また、芸名は母校である日本有数の進学校・ラサール高校に由来しているそうですよ。
ラサール石井のプロフィール
愛称:ラサール
本名:石井朗夫(いしいあきお)
生年月日:1955年(昭和30年)10月19日
身長:163cm
出身地:大阪府大阪市
最終学歴:ラ・サール高等学校卒業(早稲田大学第一文学部除籍)
所属事務所:石井光三オフィス
ラサール石井は早稲田を除籍になってた!!
早稲田大学の第一文学部に入学した、ラサール石井さん。
私立の最難関大学・早稲田と慶應に合格する人は、相当賢いですよね。
しかし、石井さんは第一志望が早稲田ではありませんでした。
本当は東大に行きたかったようです。
しかし、浪人するとなると上京するか地元の関西に戻ることになります。
冷静に分析した石井さんは、「都会は誘惑がいっぱいで、遊びまくって大学に進学できないかもしれない」と考えました。
結局、東大進学はあきらめて早稲田に行くことを決意。
早稲田の第一文学部も偏差値が70を軽く超えており、自由な校風で良い選択をしたのではないでしょうか。
若い頃はコメディアンになりたかった石井さん。
しかし、中学の頃に他にも面白い子がたくさん周囲にいることに気づいたのだとか。
「自分はコメディアンには向いていないのではないか」と考えたそうです。
その頃、青島幸男(あおしまゆきお)さんという面白い放送作家がいました。
#歴史秘話ヒストリア
青島幸男さん。
作詞家、小説家、放送作家、俳優。どれをやっても一流、大ヒット。
そして政治家となり、参議院議員や都知事も務めた。
マルチタレントの先駆者。 pic.twitter.com/qRCZIWs8L1— Saitoh Masaya (@MS3110) July 1, 2020
石井さんは憧れを抱き、「自分もあのような素晴らしい放送作家になりたい」と考えるようになったそうです。
その夢は実現し、大学1年の頃からテレビ朝日の「チビラサンデー」でコントを作る放送作家になりました。
さらにコント赤信号を結成したため、多忙で通学することが困難に。
コント赤信号の悪ノリに笑って歌えなくなっちゃったキョンキョン。最後にバカヤロー!ますます好きになりました。ヤマトナデシコ七変化小泉今日子さん😀 pic.twitter.com/tGFHNu861h
— カリメロ (@IoEQ6nRrDPmHYz7) October 5, 2020
結局単位が足りずに、除籍処分になってしまいました。
さて、大学での「除籍」は「中退」と何が違うのでしょうか。
除籍というのは「大学側が動いて、生徒を在籍者登録から抹消してしまうこと」。
一方の中退は、「学生が自ら退学届を出して、大学を辞めること」です。
学生と大学のどちらが主体となって手続きを踏んだかで、変わってくるのですね。
ラサール石井の若い頃はコント赤信号として活躍
ラサール石井さんと言えば、お笑いトリオ「コント赤信号」で漫才を披露していましたよね。
1978年に正式にデビューしましたが、当初はそれほど売れていなかったようです。
しかし、解散記念に作った暴走族のコントがバカ受け。
コント赤信号は解散を免れました。
伝説的な昭和のお笑い番組「おれたちひょうきん族」にも出演し、ブレイク。
オレたちひょうきん族
タケちゃんマン7
「白雪丸と七人の恋人」より。この頃よりコント赤信号の所属事務所
「石井光三オフィス」の石井光三社長のモノマネをラサール石井さんがやるようになる。
ひょうきん族が視聴者ウケより業界ウケを優先していたひとつの例とも言える。 pic.twitter.com/YCAshqH7aU— 川田 真太郎 (@sittoruke211) August 13, 2022
メンバーの渡辺正行(わたなべまさゆき)さんや小宮孝泰(こみやたかやす)さんも、それぞれが個別で活躍できる存在でした。
いつしかコント赤信号としての活動は無くなってしまいましたが、解散はしていません。
石井さんは「インテリ芸人」として、クイズ番組や教育系バラエティ番組に多数出演。
平成教育委員会が令和教育委員会になったけど
基本のBGMやSEは慣れ親しんでいる物で構成されてて涙出てきた
(。´Д⊂)逸見委員長とかあの頃はゲストも豪勢だったなぁ…ラサール石井枠と逸見委員長枠は林先生が兼任してる感じかな#令和教育委員会 pic.twitter.com/lyu8HG0lCu
— にしやん(播磨プリン) (@barubarunisiyan) November 2, 2019
「たけし・逸見の平成教育委員会」や「オールスター感謝祭」などで難問奇問に次々と答えていく姿はかっこ良かったですよね。
ラサール石井の実家は帝塚山でうどん屋経営
ラサール石井さんの実家は、大阪市住吉区帝塚山(てづかやま)にあります。
大阪の中では閑静な住宅街として知られる、上品なイメージの街。
そこでうどん屋「帝塚山めん処 いし井」を経営していることが明らかに。
帝塚山三丁目駅近くの「帝塚山めん処いし井」でカレーうどんをいただきました。ここはあのラサール石井氏の親族の方がやっておられるようでうどんの弾力性とカレーに内包された出汁の濃厚さが素晴らしかったです。ごちでした! #大阪 #うどん pic.twitter.com/9tADRpV82B
— アサカワケーイチ (@keiichi_asakawa) April 7, 2016
2023年現在は、石井さんの兄がオーナーになっているようです。
元々両親が惣菜屋を開いていましたが、親戚がうどん屋を別のところで開業。
成功を収めたのか、石井さんの兄がのれん分けをしてもらったようです。
店内に入ると、吉永小百合(よしながさゆり)さんや大地真央(だいちまお)さんなどビッグネームの色紙がずらり。
また、石井さんの交友関係からなのか榊原郁恵(さかきばらいくえ)さんや青木(あおき)さやかさん達が店を訪れた写真もSNSに上がっていました。
L’Arc〜en〜Ciel(ラルクアンシェル)のボーカリスト・hyde(ハイド)さんがテレビ番組のロケで訪問したこともあり、ファンが聖地のように崇めて訪れているとか。
だしの味がしっかり出たうどんがとても美味しいそうですよ。
夜は惣菜も豊富に用意しており、飲み屋さんとしても訪れたい店となっています。
ラサール石井、芸名の由来は出身校のラサール高校から
「ラサール石井」という名前を聞くと、海外にルーツを持つ人なのかと誤解する人もいるかもしれません。
しかし本人の顔写真を見ても、ハーフであるというような印象は受けませんね。
学歴などに詳しい人なら「ラサールって、あの名門ラサール高校か」と、ピンと来るでしょう。
石井さんは、芸名を自身の母校である「ラサール高校」から取って「ラサール石井」と名付けました。
ラサール高校は鹿児島県でトップの偏差値78を誇る、全国的にも非常に有名な学校。
寮がある高校なので、全国から秀才が集まってくるのだそう。
石井さんも大阪出身だったため、3年間寮生活でした。
進学校なのでガチガチに勉強するかというと、そうでもなかったようです。
割と自由だったため、石井さんは勉強以外のことに熱中。
テレビを見たりフォークソングにはまったりと、普通の学生生活を体験できていたといいます。
入学時7位だった成績は、243番まで下がってしまいました。
それでも早稲田大学に合格するのですから、よほど地頭が良かったということですね。
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