船山基紀の父親や家族まとめ。結婚し子供がいる。印税なしの理由は編曲&代表作多数

船山基紀(ふなやまもとき)さんは、日本を代表する編曲家です。

1974年に中島みゆきさんの楽曲「アザミ嬢のララバイ」の編曲を手がけ、編曲家としてデビューしました。

それから3000曲を超える楽曲の編曲を手がけ、歴代編曲家シングル総売上枚数は、小室哲哉さんに次ぐ2位を記録しています。

そんな船山基紀さんの父親や家族、結婚や子供についてなど、気になる印税や代表作についてなど、お伝えします。

船山基紀のプロフィール

本名:船山基紀

生年月日:1951年(昭和26年)1月13日

出身地:東京都目黒区

最終学歴:早稲田大学政治経済学部経済学科中退

船山基紀の父親や家族、結婚や子供を調査

船山基紀さんは「天才編曲家」と呼ばれています。

その理由は、2023年現在72歳を迎えられていますが、現在流行っている楽曲を手がけても全く感覚的な衰えを感じさせない編曲を施されることからだと思われます。

そんな船山基紀さんのご家族はどんな方達なのでしょうか。

真面目な父親とごく普通の家族

船山基紀さんの父親は、非常に真面目な性格をしておられたそうです。


仕事はサラリーマンをしていた方だそうで、船山さん曰く「社宅に住んで、ごくごく普通の家庭で育った」とのことでした。

2020年に発売された「船山基紀 サウンド・ストーリー 時代のイントロダクション」というCDのブックレットに、父親と1歳の頃の船山さんの写真が掲載されています。

浴衣姿の船山さんを見て、お父様の嬉しそうな笑顔が印象的な素敵な写真です。

母親は教育熱心な方だったらしく、ピアノを習い始めたのも母親の影響だったそうです。

船山さんには妹が1人いましたが、母親は船山さんか妹のどちらかをピアニストにしたかったそうです。

当時の船山さんにはピアノのレッスンは苦痛だったそうで早々に辞めてしまい、ピアノを習い続けたのは妹だけだったそうです。

ですが、家で流れる妹のピアノを聴いて、船山さん自身の音感がどんどん育っていったそうです。

放っておいても隠しきれない才能があったということですね。

幼い頃の船山さんはピアノのレッスンは嫌いでも、譜面を眺めるのは好きだったそうです。

地図を見ることも大好きだったそうで、譜面は音楽の地図とも言えますので、何か同じものを感じていたのでしょうか。

妹さんがどのような職業に就かれたかはわかりませんが、ピアニストではなくとも日本を代表する編曲家になった船山さんの事を、母親は誇りに思われていたのではないでしょうか。

結婚はしている?子供はいる?

プライベートについてはほどんど明かされていない船山基紀さんですが、結婚はされているようです。


いつごろ結婚されたかは、明らかになっていません。

SNSで船山さん自身が唯一奥様について発信された内容は、「昔あたしって大回転の選手だった」という突然の告白をされて固まってしまった、というツイートでした。

大回転の選手という事で、スキーが上手な方なのではないでしょうか。

きっと運動神経が良い女性なのでしょう。

子供については、息子さんがいらっしゃるそうですが、年齢や何人子供がいるか、などは明らかになっていません。

息子さんが音楽をやっていらっしゃるかどうか、気になりますね。

編曲家なので印税はない

船山基紀さんは、3000曲を超える編曲をされてきました。

音楽で儲ける、と言えば「印税」が頭をよぎると思いますが、「印税」が入ってくるのは作詞者、作曲者、アーティスト、にだけで、実は編曲家には例外を除いて印税は支払われません。

ほとんどの場合、編曲は「1曲いくら」の買い取りで契約が結ばれています。

編曲料に関しては、楽曲を作る予算や編曲者のネームバリューによって変動します。

船山基紀さんは日本を代表する編曲家ですので、1曲50万円はすると思われます。

単純計算して、これまで3000曲の編曲を50万円で手がけられているとすると、15億円の編曲料が発生している事になります。

もちろん船山さんがデビューされた1970年代に1曲50万円のギャラが出ていたとは思いませんが、印税などなくても十分に儲けられているはずです。

代表作がありすぎる

船山基紀さんは代表作と言えるような作品がありすぎて、どれか1曲を挙げる事は不可能です。


編曲家としてデビューした1970年代から、年代ごとにご紹介します。

1975年に中島みゆきさんの「アザミ嬢のララバイ」で編曲家デビューしました。

イントロのピアノとハープシコードの旋律が印象的な編曲です。

1980年代にはフェアライトを導入し、コンピューターを使った編曲で時代の音を作りました。

日本で一番CDが売れていた1990年代も、引き続きヒットストリームの中心にいました。

2000年代は、打ち込みサウンドが目立っていたそれまでとは逆に生演奏を多用しました。

2010年代、船山さんはすでに還暦を過ぎていました。


しかし、サウンドはまったく古さを感じさせない作りです。

数曲振り返っただけでも、いかに日本の歌謡界で船山さんのサウンドに存在感があったかがわかりますね。

これからもまだまだ新しい船山さんのサウンドが聴ける事を期待しています。

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