松任谷由実の年収がすごい!資産数十億?売上や印税もたっぷり&中国人気が高い

松任谷由実(まつとうやゆみ)さんは、日本を代表する女性シンガーソングライターです。

1971年に加藤かつみさんに「愛は突然に・・・」を提供し作曲家としてデビューしましたが、当時松任谷さんはまだ17歳でした。

1988年のアルバム「Delight Slight Light KISS」が158万枚のセールスを記録し、自身初となるアルバム年間ランキング1位を獲得しました。

そんな松任谷由実さんの、全盛期の頃の年収がすごい件、資産や印税などを調査した件や、中国での人気について、お伝えします。

松任谷由実のプロフィール

愛称:ユーミン

本名:松任谷由実

生年月日:1954年(昭和29年)1月19日

身長:164cm

出身地:東京都八王子市

最終学歴:多摩美術大学卒業

所属事務所:雲母社

松任谷由実、全盛期の年収がすごい

松任谷由実さんは、1971年に作曲家としてデビューし、1972年に旧姓である荒井由実の名前で歌手デビューしました。

デビュー曲「返事はいらない」はかまやつひろしさんがプロデュースをしましたが、数百枚しか売れませんでした。

当時はアーティストとしてよりも、作曲家としての方が売れていました。

70年代後半に第一次ブーム到来。その時の年収は?

1973年11月20日には、後に名盤と言われる事になるファーストアルバム「ひこうき雲」をリリースしますが、ほとんど話題にもなりませんでした。

一部のフォークをプッシュをしているラジオ番組などで取り上げられ徐々に知名度を上げましたが、当初は「女拓郎」「女陽水」と呼ばれていました。


後に「私がやっていたことは拓郎さんやかぐや姫とは違って、もっと新しいものだった」と著書で述べています。

1975年ごろから第一次ブームが到来の兆しを見せます。

1975年8月にバンバンに提供した「『いちご白書」をもう一度」がチャート1位を記録し、同年10月に発売した自身の6枚目のシングル「あの日にかえりたい」がテレビドラマ「家庭の秘密」の主題歌に抜擢され、チャート1位を獲得しました。

最終的には年間10位に入る好成績を収め、荒井由実時代の代表曲にもなっています。

「あの日にかえりたい」のヒットをきっかけに1枚目と2枚目のアルバムがヒットチャートを駆け上り、その勢いに乗って発売した3枚目のアルバム「COBALT HOUR」は46万枚以上を売り上げる大ヒットになりました。

1976年には4枚目のアルバム「14番目の月」と初のベストアルバム「YUMING BRAND」を発売し、どちらも1位を獲得し、ブームを巻き起こしました。

70年代の長者番付を元に年収を見てみると、1977年に初めて松任谷さんは長者番付にランクインしています。

前年にリリースした「14番目の月」と「YUMING BRAND」の売り上げが大きいと思いますが、長者番付の順位は4位で、推定年収は6500万円程度です。

当時の大卒の初任給は10万円程度だったので、今で換算すると1億円ぐらいの価値はあると思われます。

1981年から第二次ブーム到来

1976年に松任谷正隆さんと結婚すると、結婚を機に作曲家に専念したいと考え、歌手活動は控えめでした。

ですが、1981年6月21日にリリースした17枚目のシングル「守ってあげたい」が大ヒットを記録し、第二次ブームが到来しました。

同年に発売した12枚目のアルバム「昨晩お会いしましょう」も、5年ぶりにチャート1位を獲得し、それ以降アルバム17枚連続1位を獲得する皮切りになりました。


年収を見てみると、1983年の長者番付では初めて歌手部門で1位を獲得しました。

当時の推定年収は約7000万円です。

バブルと共に全盛期に突入

1988年11月26日にリリースした20枚目のアルバム「Delight Slight Light KISS」が150万枚を超える大ヒットを記録し、全盛期に突入しました。

1990年の11月23日にリリースした22枚目のアルバム「天国のドア」では、史上初のアルバム200万枚出荷を記録し、23枚目のアルバム「DAWN PURPLE」ではオリコン史上初の初動でミリオンセールスを達成するなど、人気もバブル状態になりました。

当時、松任谷由実さんは「若者のカリスマ」「恋愛の教祖」などと呼ばれていましたね。

シングルで初めてミリオンセールスを記録したのは、1993年7月26日発売の24枚目のシングル「真夏の夜の夢」でした。

1994年発売のシングル「Hello, my friend」「春よ、来い」もミリオンを記録し、3作品連続でのミリオンセラーとなりました。

1998年11月6日に発売したベストアルバム「Neue Musik」は380万枚を売り上げ、松任谷由実さん史上最大の売り上げを誇っています。

この全盛期の年収ですが、毎年2億円の年収があったそうです。

情報番組「ミヤネ屋」によると、1985年から2004年までの20年間で、松任谷由実さんは39億8000万円以上の収入があったそうです。

資産や売上、印税以外にも多額の収入

松任谷由実さんの総資産は何十億円もあると言われています。

松任谷さんの売上の中で、やはり1番多くを占めているのは楽曲の印税です。


松任谷さんは基本的に全ての楽曲の作詞・作曲を手がけられています。

また、ご自身で歌うのではなく他アーティストに提供した楽曲も数々あります。

その際は「呉田軽穂」という名前を使っている場合が多いですが、1番有名な楽曲は松田聖子さんに提供した「赤いスイートピー」ではないでしょうか。

松任谷由実さんのコンサートは演出を含め、非常に派手なことでも知られています。

全国ツアーを行えば動員数も何十万人も動員するのですが、演出にかかるコストが高額すぎるため、ほとんど売り上げにはなっていない、と言われています。

ただ、コンサートをすればグッズなどもたくさん売れるので、グッズでの収入はかなり多いと思います。

それ以外ですと、テレビやラジオなどのメディア出演料がありますが、松任谷さんはそれほど積極的にはテレビ出演などはされていません。

ただ、1度出るとかなりの出演料が入るのではないでしょうか。

中国人気も高い

松任谷由実さんの楽曲は中国でも人気があり、特に「春よ、来い」は名曲とされ、中国でもカバーされています。

「春よ、来い」のオリエンタルなイメージのメロディーがアジアでは特に受けているようです。

2023年現在69歳の松任谷由実さんですが、これからも素晴らしい楽曲を生み出し続けてほしいですね。


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