松任谷由実に娘はいない。再婚の噂はデマ。旦那は松任谷正隆&結婚の馴れ初めまとめ

多くのファンに愛され続けている、日本を代表するシンガーソングライターの松任谷由実(まつとうやゆみ)さん。

彼女に娘がいるという噂や再婚をしたという噂がありますが、本当でしょうか。

旦那の松任谷正隆(まつとうやまさたか)さんとの結婚の馴れ初めはどんなものだったのでしょうか。

松任谷由実のプロフィール

旧姓:荒井由実 

愛称:ユーミン 

生年月日:1954年1月19日 

出身地:東京都八王子市 

最終学歴:多摩川美術大学美術学部絵画学科日本画専攻卒業 

所属事務所:雲母社

松任谷由実に娘はいない

日本を代表するシンガーソングライターの松任谷由実さん。

現在(2023)69歳。

1972年にシングル「返事はいらない」でデビューをして以来ミリオンヒットを連発。


現在(2023)はデビュー50周年を記念したツアーで全国を飛び回っています。

同性から支持されて、オリコンランキングではミリオンアルバム数女性最多を保持し続ける超実力派です。

松任谷由実さんのデビュー当時のお名前は「荒井由実」(あらいゆみ)さん。

結婚をして旦那さんの苗字に変更して活動したことはわりと有名な話ですが、今の若い方々は知らない話かもしれませんね。

旦那さんは、音楽プロデューサーの松任谷正隆さん。

1976年に結婚をして、それを機に荒井由実さんから松任谷由実さんへ変更して活動されています。

「ユーミン」という愛称は結婚前からの愛称です。

音楽プロデューサーと結婚をした松任谷由実さんですが、お二人の間にはお子さんはいるのでしょうか。

娘がいるという噂がありますが本当でしょうか。

調査してみましたが、2人の間にお子さんがいるという情報はありません。

ですので、娘がいるというのはただの噂。

では、なぜが子供がいないかというと、一説では旦那の松任谷さんが浮気性だったからではないかとか、松任谷由実さんがシンガーソングライターの仕事に専念したかったからではないかなどと言われています。

お二人にしかわからいことですが、子供がいなくても、子供と呼べるような名曲が2人からはたくさん誕生していますよね。

娘がいるというのはただの噂でしたが、子供がいなくても本当に公私ともに順調で幸せそうなベスト夫婦ですよね。

でも、もしお二人に子供がいたらものすごい音楽の才能を持った子だったかもしれませんね。

松任谷由実、再婚の噂はデマ

松任谷由実さんをネットで検索すると「再婚」というワードが出てきます。

1976年当時22歳で音楽プロデューサーの松任谷正隆さんと結婚をしていますが、それ以前にも結婚歴があるということなのでしょうか。

結論から言うと、離婚歴はありませんので今の結婚生活が初婚ということになります。

したがって、再婚をしたという事実はありません。

松任谷由実の旦那

1976年11月29日、当時22歳で結婚をした松任谷由実さん。

お相手は松任谷正隆さんです。

正隆さんは1951年11月19日生まれで現在(2023)71歳ですので由美さんより2歳年上です。

音楽プロデューサー、アレンジャー、キーボーディストや作曲家と多才な音楽家でいらっしゃいます。

誰もが知っている松任谷由実さんの「守ってあげたい」、松田聖子(まつだせいこ)さんの「赤いスイートピー」、ゆずの「栄光の架け橋」など大ヒットの数々を手掛け世に送り出した音楽プロデューサーです。

音楽以外でもモーターマネージャーやタレントとしても活躍されています。

また、由実さんの所属事務所である雲母社と雲母音楽出版の社長。

マイカミュージックラボラリーの校長や東京工科大学メディア学部客員教授も務めています。

1971年当時慶応義塾大学に在学中に音楽家の加藤和彦(かとうかずひこ)さんの誘いでミュージシャンデビュー。

キャラメルママというバンドのキーボードを担当したり、ソロでもアーティストとして演奏をしていました。

編曲家としても多くの楽曲を手がけ1982年当時31歳のときにはFNS歌謡祭で最優秀編曲賞を受賞し、1986年当時35歳で音楽学校のマイカ・ミュージック・ラボラトリーを設立しました。

音楽がきっかけで松任谷由実さんとは出会っているようです。

松任谷由実と夫の松任谷正隆の結婚の馴れ初め

松任谷由実さんと松任谷正隆さんが結婚をしたのは、1976年11月29日。

新郎は25歳、新婦は22歳でした。

横浜の山手教会で式を挙げています。

現在(2023)は結婚47周年になりますが、公私ともに順調でとても素敵なお二人で憧れますよね。

では、このお二人はどのように結婚に至ったのでしょうか。

結婚の馴れ初めを調べてみましょう。

まず、夫の正隆さんが1971年当時慶応大学に在学中に加藤和彦さんに誘われてミュージシャンになります。

キャラメル・ママとういバンドを結成し、キーボードを担当をして様々なアーティストのレコーディングやライブで演奏をしていました。

由実さんとの出会いは1973年、彼女のファーストアルバム『ひこうき雲』のレコーディングのセッションに正隆さんが参加したときだったと言います。

正隆さんが担当していたキーボードのパートはレコーディングに参加する時間が多いため、由実さんと過ごす時間は長くなります。

さらに、由実さんは相手からアドバイスを求めるタイプだったので、正隆さんと話をする時間も多くありました。

正隆の著書『僕の音楽キャリア全部話します』によれば、由実さんは正隆さんの意見に積極的に耳を貸し、お二人の音楽の方向性が一致していて、会話も多くなっていったと言います。

結局ファーストアルバム『ひこうき雲』のレコーディングには1年ほどかかったそうです。

レコーディング期間中に二人で井の頭公園へ散歩へ出かけたときに、正隆さんが由実さんに好きな花は何かとたずね、由実さんは「ダリア」と答えました。

すると、後日スタジオのピアノの上に牛乳瓶に挿された一輪の「ダイア」が。

何とも甘いエピソードですが、その「ダリア」のおかげで「雨の街を」の歌入れが上手くいったそうです。

その間に愛が育まれていったんでしょうね。

ファンの間では有名な話のようなのですが、実はこの裏には真実が隠されていました。

しかし後年、正隆が明かしたところによれば、ダリアはディレクターに対し、ピッチも大切だけれど、ここはエモーションを優先するべきだという彼なりの意思表示だったという

当時はまだ正隆さんも駆け出しで辛い時期だったそうですが、由実さんにアドバイスを求められたり必要とされていることで、自分の存在意義を見つけることができるようになっていったようです。

ここから二人の交際は始まっていき、1974年にリリースされた二枚目のアルバム『MISSLIM』では正隆さんが本格的に由実さんの楽曲をアレンジを手がけています。

同時にその頃からフォーク関係者の間では二人の交際が噂されていきます。

呼吸がぴったりの二人ですから周りは勘繰りたくもなりますよね。

マスコミにも嗅ぎつけら正隆さんが直撃を受けたときは、「作曲家と編曲」のつき合いと交際を否定。

当初は交際を否定していた二人ですが、追及を受けて交際は認めたものの結婚については「まだ決まって」いないと答えていました。

交際の報道が流れた頃にはすでに由実さんは正隆さんを両親に紹介していて親公認の関係でした。

当時由実さんはまだ大学生でしたので卒業を待っての結婚となりました。

1975年10月4日には婚約会見を行い、1976年11月29日に入籍しています。

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