松原みきの死因は子宮頸がん。晩年は最期まで諦めず&海外の反応がすごい

松原みき(まつばらみき)さんは、1979年11月5日にシングル「真夜中のドア〜Stay With Me」でデビューした女性歌手です。

2020年に日本国外で人気が急上昇しMiki Matsubaraの名前は世界的に有名になり、日本のシティポップが脚光を浴びるきっかけを作りました。

ですが、松原さんご本人は2004年に死去しているため、楽曲の世界的な大ヒットを知る事はできませんでした。

そんな松原みきさんの死因は子宮頸がんだったという話や、晩年や最期について、そして海外からの反応についてなど、お伝えします。

松原みきのプロフィール

本名:松原みき

生年月日:1959年(昭和34年)11月28日

没年月日:2004年(平成16年)10月7日

身長:158cm

出身地:大阪府岸和田市

最終学歴:文化女子大学付属杉並高等学校卒業

所属事務所:スティーズラボミュージック

松原みきの死因は子宮頸がん

2004年12月に入り、各メディアが「歌手の松原みきさんが10月7日に、子宮頸がんのため死去していたことがわかった」と報じました。

報道の通り松原さんの死因は子宮頸がんで、病気が発覚したのは2001年でした。

子宮頸がんは子宮の入り口付近にできるがんで、発見されやすいがんであると言われています。


そのため定期検診などで早期発見される事が多く、早期なら比較的治療しやすいため生存率の高いがんです。

ですが、松原みきさんの場合は発見された時に、がんはすでにステージ4まで進行していました。

ステージ4と言えば、一般的には「末期ガン」と言われる段階です。

松原さんは1990年代に結婚を機に歌手活動を休止し、作曲家としてアーティストやアニメソング、CMなどに楽曲を提供していました。

1997年に國府田マリ子さんに提供した「雨のちスペシャル」はNHKの「みんなのうた」で長らく放送されていました。

ですが、2001年に子宮頸がんの告知を受け、全ての音楽活動を休止して治療に専念しました。

一時期は治療が功を奏し、悪性だった腫瘍が良性に変化するなど、回復の兆しを見せた時もあったそうです。

西洋医学以外にも様々な治療を試していた、という事も伝えられています。

ですが、3年に及ぶ闘病生活の末、44歳という若さで死去されました。

松原さんの死去が報じられた時には、往年のファンからの早すぎる死を惜しむ声が多く見られました。

葬儀などについては、報道された段階ですでに終わっていたようで、情報として残っていません。

参列したいファンもいらっしゃったのではないでしょうか。


お別れの会ではないですが、松原さんのトリビュートのDJイベントは、亡くなってから20年が経った今でも開かれています。

松原さんの歌声は、これからも永遠に消える事はないでしょう。

晩年は最期まで諦めなかった

松原みきさんは晩年、懸命に治療方法を模索しておられたようです。

病院での治療のほかに、気功治療なども試されていました。

当時、大崎駅の近くにあった「総合気功快気堂」に通われていたそうです。

総合気功快気堂の方が、松原さんの治療をしていた頃の様子をブログに残していました。

松原さんがその方を初めて訪ねて来た時の事を、「すこぶる元気の良くて綺麗な方が、がんの治療をしてほしいと訪ねてきた」と書いていました。

体育会系の性格らしく、あっけらかんと「頑張ります」と言っておられたそうです。

それから、松原さんは毎日来院されていたそうです。

時には松原さんの夫や、ご両親なども一緒に来院され、なごやかにお話をされながら治療を受けられていた時もあったようです。

気功治療院には1年通われ、悪性の腫瘍が良性に変化したとの報告と、お礼の言葉も伝えられたそうです。


ですが、次第に来院されなくなり、茨城県在住の霊媒師の所に通われている、と聞かれたそうです。

最期まで諦めずに、少しの希望でもあればトライしたい、という気持ちでおられたのではないでしょうか。

2020年に大ブレイクした海外の反応がすごい

2020年後半、松原みきさんのデビュー曲である「真夜中のドア〜Stay With Me」が、海外で突如脚光を浴びました。

Spotifyのグローバルバイラルチャートで18日連続1位を獲得し、世界47ヶ国のApple Music J-PopランキングでTOP10入りするなど、日本のアーティストとしては快挙と言われる成績を残しています。

なぜ突然40年前にリリースされた楽曲に注目が集まったのかというと、きっかけはインドネシアのYoutuberであるRainychさんが「真夜中のドア〜Stay With Me」の日本語カバーの動画を制作し、それがバズったためです。

当時、竹内まりやさんの「プラスティック・ラブ」が世界的にじわじわと流行りだし、日本のシティポップが注目されつつある時期でした。

そこでこのカバー動画が話題になり、動画を見た多くの人たちがサブスクリプションサービスでオリジナルの松原みきさんの歌声を聴き、ブレイクしたのではないでしょうか。

2004年に死去してしまった松原さんは、まさか死去してから20年後に世界的に歌声が評価される事になるとは思ってもみなかったでしょう。

もしまだ生きておられたら、と思うと残念でなりません。

松原さんが子宮頸がんの治療のために訪れたという茨城県の霊媒師の方がまだいらっしゃるなら、ぜひ天国の松原さんに伝えてほしいほどです。


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