八神純子、夫と離婚説。千種区の実家は八神製作所。病気の噂と家族について

綺羅星のごとく現れた、シンガーソングライターの八神純子(やがみ じゅんこ)さん。

16歳から曲作りをしていたという才能と見事な歌唱力で一躍スターの仲間入りをしました。

今回はそんな八神さんの結婚した夫や、彼女を支える家族の存在に迫りました。

また、愛知県名古屋市の千種区にある彼女の実家は、歴史ある名家と評判のようです。

一体どのような家柄なのでしょう。

あわせて、八神さんの病気の噂についても迫りましたので、必見です。

八神純子のプロフィール

生年月日:1958年1月5日

出身地:愛知県名古屋市千種区

身長:155cm

血液型:不明

最終学歴:愛知淑徳高等学校

八神純子の夫はイギリス人プロデューサー

「みずいろの雨」や「パープルタウン」のヒットで知られる八神純子さん。

シンガーソングライターの八神さんは16歳の頃から作詞作曲をしていたそうです。

初めて作った楽曲「雨の日のひとりごと」は第8回のPOPCON優秀曲賞を受賞。

応募していたもう1曲の「幸せの時」は入賞。


後にも先にも同じ大会において2曲同時に入賞したのは八神さんだけという快挙でした。

八神純子さんには当時から非凡なものがあったのでしょう。

その後、「雨の日のひとりごと」でデビューし、「幸せの時」もセカンドシングルとしてリリースされました。

そんな八神さんが結婚したのは1986年2月7日のこと。

お相手はイギリス人の音楽プロデューサー、ジョン・スタンレーさん。

ハワイで結婚式を挙げ、秋にはアメリカに移住しています。

音楽プロデューサーだったジョン・スタンレーさんは40歳でロースクールに入学。

現在は弁護士をしているそうです。

音楽プロデューサーから弁護士に転職した理由は明らかになっていません。

過去に権利関係で揉めたことで法律の知識が必要と感じたのでしょうか。

八神純子に離婚の噂

イギリス人の音楽プロデューサー、ジョン・スタンレーさんと結婚しアメリカに移住した八神純子さん。

1990年からは毎年コンサートやディナーショーを行っていましたが2001年からは日本でライブ活動はしていませんでした。

これは家庭を優先しての決断だったのでしょう。

ところが八神さんは2011年に本格的に音楽活動を再開。

2016年にはオフィシャルファンクラブも再開しています。

急に音楽活動を本格化したこともあってか離婚の噂もあるようです。

家庭が上手くいっていないから音楽活動を再開したと思う人がいるのでしょう。

ですが八神さんが離婚危機という情報はありません。

むしろ家庭が上手くいっているからこそ音楽活動に専念できるのでしょう。

千種区の実家は豪邸!実家が営む八神製作所とは?

八神さんは、愛知県名古屋市の千種区で生まれました。

千種区にある実家は豪邸との噂で、なんと約3000坪もあるのだそう。

かなりのお金持ちであることがうかがえます。

実は彼女の実家は、八神製作所という医療機器を専門に扱う製作所なのです。

その創業は1871年(明治4年)までさかのぼり、今日に至るといいます。

そして彼女自身は、同社4代会長となる八神佳三さんの長女として生まれました。

残念ながら父良三さんは2019年に亡くなられたのだそう。

2023年現在は、八神徹さんという方が会長を務められているようです。

八神純子に病気の噂

2023年で65歳をむかえられる八神さん。

そんな彼女に”病気”の噂が浮上しているようですが、本当なのでしょうか。


そこで調査した結果、この噂を裏付ける確かな証拠は見つかりませんでした。

そのため、この噂はデマとみています。

もしかすると、2000年代にシングルやアルバムリリースが途絶えた期間があったことが、噂の発端となっているのかもしれません。

また、アメリカに拠点を移してもなお、定期的に日本でのコンサートも開いていましたが、2000年末のクリスマスコンサートを最後に、毎年恒例となっていたコンサートも中断。

たしかに噂がたっても無理もありません。

しかしこの背景には、2001年9月11日に起きた”アメリカ同時多発テロ事件”が関係していたのです。

この事件以降、怖くて飛行機に乗ることができなくなってしまったという八神さん。

加えて、この事件の1週間後に、彼女の友人家族が射殺される銃撃事件も重なってしまったのです。

そのため、子供と離れることが怖くなってしまい、日本でのコンサートが途絶えてしまいました。

しかしながら、その後2011年におきた東日本大震災をきっかけに、彼女は帰国する決意が固まりました。

「自分の世界をこれ以上狭くするのはやめよう」

「心配するだけで挑戦しない人生はだめだ」

「東北に行って、被災者の方と今と生きよう」

こうした想いで、とうとう帰国に踏み切ることができたのです。

この時の体験を八神さんは、「9.11で閉まったドアが、3.11で開いた」と語っています。

八神純子の才能を育てた家族

名家だけあって幼少期は門限や男女交際がかなり厳しかったそうです。

ですが音楽だけは別。

3歳からピアノを習い始めたという八神さん。

自宅でも歌を歌い続けていたそうですが親から「やめなさい」と言われたことは無かったそうです。


呆れられたことはあったようですが。

八神純子さんの父は長唄、母は洋楽が好きだったそうなので少なからず音楽に造詣があったのでしょう。

早くから娘が持つ才能を見抜いていたから寛大な対応をしていたのかもしれません。

八神純子の子供

八神純子さんは1989年に長女を、1993年に長男を出産しています。

長女の名前は「エマ」、長男は「ノア」というそうです。

やはり海外で出産しているだけあって、日本の名前ではなく、英語の名前を付けたようです。

音楽活動を再開したのは子育てが一段落したこともあったのでしょう。

八神純子の娘は歌手?

2013年に八神純子さんが発売したアルバム「Here I am」。

このアルバムに収録されている「My universe」という曲で八神さんは娘のエマさんと共演しているそうです。

音楽の道に進むことを望んでいたというエマさん。

その歌声が素晴らしかったことから共演を決めたそうです。

また、英語の歌詞も八神純子さんとエマさんの共作なのだとか。

当時のエマさんは大学に通いながら曲を作っていたそうです。

それから5年余りが経ちますが、現在歌手として活動しているかは分かっていません。


音楽プロデューサーとシンガーソングライターの両親から産まれた子供なので音楽の才能があることは間違いなさそうです。

もしかするとアメリカで歌手として活動しているのかもしれません。

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