浜田麻里のすごい歌唱力!音域は4オクターブ。海外の反応や評価も抜群&伝説のライヴ

糸井重里さんによるキャッチコピー「麻里ちゃんは、ヘビーメタル。」を冠した鮮烈なデビュー以来、女性ジャパメタシンガーのパイオニアとして道なき道を切り拓いてきた浜田麻里(はまだ まり)さん。

ヴォーカリストとしての圧倒的なポテンシャルは、40周年を迎えた2023年の最新作『Soar』でも健在でした。

変わらぬ歌声と美貌で、長きにわたり熱い支持を獲得している彼女ですが、今回は、すごいとしか言いようのない世界基準の歌唱力や音域に注目します。

あわせて海外の反応、国内の評価、伝説となった日比谷野外大音楽堂の「MUSIC WAVE 84」についても取り上げます。

浜田麻里のプロフィール

本名:浜田麻里

生年月日:1962年(昭和37年)7月18日

身長:158cm

出身地:東京都

最終学歴:青山学院大学文学部教育学科中退

浜田麻里は還暦でもすごい歌唱力

ヘヴィメタルの頭文字「HM」がイニシャルとなる女性メタルシンガーをデビューさせるプロジェクトの1人としてシーンに登場した浜田麻里さん。

ただし、本名だったのは浜田さんだけでした。

2002年のライヴ活動再開後は、ふたたびHM/HR色を強めた作品づくりを重ね、近年のライヴでは若い頃すら超えるほどのハイトーンシャウトを披露するなど、その存在感はまさにリビングレジェンド。


40年の長きにわたり、ヘヴィメタルクイーンとして君臨しつづけてきた理由として、真っ先に挙げられるのが類まれなる声量と圧巻の歌唱力でしょう。

浜田麻里さんといえば、卓越した歌唱力と表現力で、ロックからキャッチーなポップス、美しいバラードまで、抜群の安定感で歌いあげるスーパーヴォーカリスト。

伸びやかなハイトーンや独特の余韻を残すヴィブラートはもちろんのこと、滑舌のよさや歌声のダイナミクスも魅力ですね。

滑舌の悪いシンガーというのはまずいないはずですが、この方の場合、歌詞を明瞭かつ丁寧に歌っているにもかかわらず、突き抜けるようなエネルギーにあふれています。

音域、声量、力強さといったものは加齢によって衰えるのが自然の摂理ですが、61歳を迎える2023年も至上の歌声を響かせている浜田さん。

歌唱のテクニックのみならず、キャリアを積み重ねた人しか獲得できない表現力や説得力がプラスされるのですから、「すごい」としか言いようがありません。

20歳でヘヴィメタルを掲げてメジャーデビューした浜田麻里さんですが、プロシンガーとしてのキャリアは15歳のときにスタートしました。

当時から、有名CMソングのヴォーカリストとして多くのスタジオワークをこなしており、その歌唱力は折り紙つきだったそうです。

大学在学中に加入したバンドでスカウトされ、「実力派女性シンガー」としてソロデビューに至ったのは当然の流れだったのでしょう。

浜田麻里の音域は4オクターブ

浜田麻里さんの真骨頂ともいえる超絶ハイトーンのシャウト。

振り返ると、80年代から90年代のJ-POPシーンには高音域を攻める女性シンガーが次々と登場しました。

裏声ではなく、地声でだせる声域がそもそも高く、常人には歌唱が難しいとされる浜田麻里さんの楽曲。

その人の音域というのは、地声や裏声、シャウトなどによっても変わるものですから、「だいたいこのあたりの音域」という感覚でみていきましょう。

浜田麻里さんは、最低音がmid1G、最高音がhihiA#といわれています。


音域はこの範囲内か、もしくは多少上か下の範囲内と思われます。

インタビュー記事などでは「4オクターブの歌姫」と紹介されることがありますが、レンジは合致しますね。

化粧品のCMソングとして起用され、最大のヒットを記録した1989年の『Return to Myself 〜しない、しない、ナツ。』は、超絶ハイトーンをあえて封印した、キャッチーなメロディが印象的な名曲。

いい意味で余力を残した浜田さんの歌唱もあって聴きやすい1曲ですが、それでも音域は全体的に高めです。

デーモン小暮閣下がカヴァーしていますが、アマチュアが歌うには、やはり難易度の高い楽曲といえるでしょう。

浜田麻里に対する海外の反応

1987年よりレコーディングの拠点をロサンゼルスに移し、海外の一流ミュージシャンやプロデューサーとコラボしてアルバムを制作するようになった浜田さん。

レコーディングやライヴには、TOTOのスティーヴ・ルカサー、MR. BIGのビリー・シーン、元シックのトニー・トンプソンほか多くの豪華メンバーが参加しており、彼女の歌唱力は海外でも大きな反響をもって受け入れられました。

1993年にはMCAインターナショナルと世界契約し、初の海外向けアルバム『Introducing…Mari Hamada』でアジアとヨーロッパに進出。

キム・ワイルドのオープニングアクトという形でヨーロッパツアーも敢行。

日本でチャート1位に輝いたアルバム『Anti-Heroine』収録の英語詞のバラード『Hold On』はシンガポール、インドネシア、マレーシアなどでロングヒットとなり、アジア圏でもファン層を広げることに。

デビュー35周年ツアーのファイナルとして2019年4月に行われた武道館公演では、サプライズゲストとしてビリー・シーンの姿も。

彼ほどのビックネームがゲストで登場するという時点で、シンガーとしての稀有な存在が海外でも認められていることがわかります。

浜田麻里は国内の評価も絶大

ヘヴィメタルファンにはおなじみのヘヴィメタル専門誌『BURRN!』。


毎年恒例の読者人気投票の2019年度ヴォーカリスト部門にて、栄えある日本人初のチャンピオンに輝いたのは浜田麻里さんでした。

とはいえ、創刊当初の1984年から1986年までは男女別だったヴォーカリスト部門において、浜田さんは女性ヴォーカリスト部門1位を独占していたのです。

男女が統合された1987年以降は、洋楽ヘヴィメタルの男性ヴォーカリストたちにチャンピオンの座を譲ることになりました。

欧米の人気ヴォーカリストたちをおさえての日本人1位は史上初。

選出が読者による人気投票ということからも、メタルファンの評価が絶大であることがうかがえます。

ヘヴィメタルクイーンへの転機となった伝説「MUSIC WAVE 84」

浜田麻里さんといえば、過去のサポートメンバーにB’z始動前の松本孝弘さんがいたことも伝説のひとつです。

ですが、ご本人が「忘れられないライヴ」と述べている「MUSIC WAVE 84」に触れないわけにはいかないでしょう。

「MUSIC WAVE 84」は、1984年7月に日比谷野外大音楽堂で開催されたヘヴィメタルの祭典。

浜田さんのほか、アン・ルイスさん、アースシェイカー、44マグナムなどが出演していました。

当初、アースシェイカーと44マグナムのどちらがトリをつとめるかでトラブルとなり、収拾がつかなくなるという事態が発生。

ところが、浜田麻里がトリならよいということで双方が納得したのです。

「そこにしか落としどころがないですから」とご本人はジョークまじりに謙遜していますが、言葉を換えれば、「この人ならトリを譲ってもよい」と同業者が認めていたということでしょう。

それまでは先輩女性シンガーや面識のないミュージャンからメディアで悪口を言われるなど、理不尽なことも多かったという浜田さん。

そんななか、アースシェイカーや44マグナムなどの男性ヘヴィメタルバンドだけは自分の存在を認めてくれていたと明かしています。


一気に流れが変わったのは、「MUSIC WAVE 84」がNHKで全国放送されてから。

「ヘヴィメタルクイーン」と呼ばれるようになったのは、このイベントがきっかけでした。

聴くものを選ぶヘヴィメタルというジャンルにおいて、音楽に真摯に向き合うストイックな姿勢を守りながら、前へ前へと突き進んできた浜田麻里さん。

孤高の存在として輝きを増していくその魅力に、あらためて敬意を覚えずにはいられません。

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