大信田礼子(おおしだれいこ)さんは、1966年にNHK放送のテレビドラマ「太郎」でデビューし、1970年にはシングル「女の学校」で歌手デビューしました。
抜群のスタイルで多くの男性を虜にした大信田さんですが、1974年の作曲家・都倉修一さんとの結婚を機に芸能活動はセーブするようになりました。
都倉さんとの離婚後に女優として復帰し、舞台などを中心に活動されています。
そんな大信田礼子さんの2023年現在の活動と若い頃の人気、母親が実家で喫茶店をしていた話題や、父親がハワイに住んでいたという話題などを、お伝えします。
大信田礼子のプロフィール
本名:大信田礼子
生年月日:1948年(昭和23年)9月15日
身長:165cm
出身地:京都府京都市
最終学歴:神奈川県立藤沢高等学校卒業
所属事務所:長良マネジメント
大信田礼子の現在と若い頃
大信田礼子さんは1966年に女優としてデビューしたので、2023年現在は芸能生活57年の大ベテランです。
年齢も2023年の誕生日には75歳を迎えられます。
そんな大女優・大信田礼子さんの現在と若い頃について調べてみました。
2023年現在も現役女優
大信田礼子さんは、2023年現在も現役の女優です。
所属事務所である長良マネジメントの所属タレントページにも名前があります。
ただ、2023年現在で進行しているお仕事はないようです。
お年のこともあり、仕事は少し前からかなりセーブしておられるようです。
1番最近でメディアに出演されたのは、2019年8月28日に放送されたテレビ番組「徹子の部屋」への出演だと思われます。
反動でセクシー路線に…大信田礼子がデビュー当時を語る! 勝新太郎さんや母との秘話も 『徹子の部屋』 https://t.co/EEs63UuhWJ #大信田礼子 #黒柳徹子 #徹子の部屋 pic.twitter.com/zti4cTtfF5
— music.jp (@musicjp_mti) August 27, 2019
その時にお話しされていた内容は、大信田礼子さんはフクロウグッズのコレクションをしていて、フクロウカフェなどにもよく行かれているそうです。
大信田さんがフクロウを好きなったきっかけは、地元京都から上京する際に、お母さんがお守りとしてフクロウの指輪をくれたそうで、それが初めてのフクロウグッズだったそうです。
残念ながらお母さんにもらったフクロウの指輪はなくなってしまったそうですが、それからずっとフクロウグッズがあれば購入し、集めているのだそうです。
スタジオには、お気に入りのフクロウのデミタスカップや、フクロウのクリスタルの置物などを持参し、紹介されていました。
女優としてのお仕事では、2013年12月11日に放送されたテレビドラマ「相棒 Season12」の第9話「かもめが死んだ日」に料亭の女将役で出演し、久しぶりにテレビドラマに出演されました。
今夜の「相棒」の最後のクレジットに大信田礼子の名前を見てびっくり。え、どこに?と、見直してみたら料亭の女将か…。さらにびっくりしたなぁ。
— 三久真空 (@mickmac70) December 11, 2013
久しぶりの大信田礼子さんの出演に、インターネット上でもご覧になった方々の間で話題になっていました。
若い頃はセクシー系アクション女優
大信田礼子さんは女優デビューする前から、アメリカのミスコンで優勝するほどスタイル抜群でした。
身長も高くて手足が長いので、アクション映画によく出演されていました。
中でも有名なのは、1970年代に公開されていた映画「ずべ公番長」シリーズです。
「ずべ公番長」シリーズは4作も作られ、全作品で主演を務めました。
同時期にテレビドラマ「プレイガール」の第52話から第85話までにも出演し、人気を集めました。
「ずべ公番長」シリーズも「プレイガール」も、女性が裸で登場したり、女優のパンツが見えていたりと現代では考えられないような演出が多数あり、大信田さんはその中でも健康的かつセクシーな魅力で、当時の男性たちを魅了していました。
1970年にシングル「女の学校」をリリースし歌手活動もスタートすると、1974年にリリースした「同棲時代」が大ヒットを記録しました。
「同棲時代」は、後に結婚し離婚することになる作曲家・都倉俊一さんによる作曲でした。
実家は喫茶店を母が経営
大信田礼子さんの実家は京都にありました。
大信田さんの母親は、京阪三条駅近くにある新丸太町通で喫茶店を営んでいたそうです。
喫茶店の名前は娘の名前をとって「レイコ」とし、大信田さんもお仕事がない日はお店に立ってコーヒーを淹れていたそうです。
@powerofjk そうなんや😱 あ、お店は珈琲の美味しい喫茶店やったよ。わりと年齢層高めのお客さんだったような。大信田礼子さんがお仕事ない日は、お店で珈琲入れたはったよー。新丸太町通のローゼちゃんちあたりよりもっと西、隣が自家焙煎珈琲屋さんだった。今は普通のお家になってるよ。
— Darjeeling(ダージリン) (@7654da) December 6, 2014
母と娘が並んで店に立っておられたようで、素敵ですね。
そんな大信田さんのお母さんですが、晩年は骨折や腰痛のため寝たきりになっておられたそうです。
大信田さんはお母さんの介護をされていたそうで、「1人だったので存分に母の介護ができました。命が尽きるまで手を握っていました。」と語っておられました。
お母さんが亡くなって京都の実家は引き払われてしまったそうです。
父親はハワイ移住でグリーンカード持ちだった
大信田礼子さんの父親は、外資系企業に勤務されていてハワイ在住でした。
テレビでは父親はハワイのグリーンカードを持っていた、とも語っておられました。
大信田さんが芸能界入りする時には父親は猛反対したそうです。
その理由は「芸能人は親の死に目も見れない」という理由だったそうです。
実際に父親が亡くなる時は大信田さんは死に目に会えませんでしたが、その理由は父親がハワイで亡くなってしまったからでした。
そんな父親は、大信田さんが都倉俊一さんと結婚する時も、結婚式には出席されなかったそうです。
昭和の頑固オヤジ的な気質をお持ちだったのかもしれませんね。
学歴を調査
大信田礼子さんの最終学歴は、神奈川県立藤沢高等学校卒業です。
芸能界入りするために上京したため、それまで通っていた京都立鴨沂高等学校から転校した形です。
京都立鴨沂高等学校は京都大学進学者数が全国で1位だったこともある名門校です。
そんな高校へ進学できるぐらいですので、大信田さんは勉強もできたのかもしれませんね。
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