荒牧陽子の若い頃がかわいい!岡山が地元。弟が荒牧慶彦はデマ&生い立ちまとめ

本物に似過ぎていると話題のモノマネ歌手・荒牧陽子(あらまきようこ)さん。

2011年バラエティ番組『スター・ドラフト会議』で歌唱すると一気に有名になりました。

今回は荒牧さんの若いころがかわいい件や、岡山での生い立ち、弟についてお伝えしていきます。

荒牧陽子のプロフィール

愛称:マキタソ、あーたん

本名:荒牧陽子

生年月日:1981年(昭和56年)1月14日

身長:152cm

出身地:岡山県岡山市

最終学歴:就実高等学校卒業

所属事務所:フリースタイル

荒牧陽子の若い頃がかわいい

2023年現在は42歳になる荒牧陽子さん。

2013年にフリーのテレビプロデューサーと結婚し、2016年に第一子を出産しています。

今ではすっかりお母さんで、2011年のテレビデビューからも年齢を重ねていますが若い頃はかわいいと評判でした。


荒牧さんはブレイクしだした2011年は30歳で、モノマネの上手さだけでなく華やかな容姿も脚光を浴びていました。

モノマネ歌手と言われていますが、人気アーティストのような存在感がありますね。

また、美人で色気があることも人気を後押ししていました。

黒髪と色白な肌が綺麗で、独特な魅力がありますね。

目鼻立ちも整っている方でしょう。

また、荒牧さんはカラフルでかわいらしい衣装を着ることが多いです。

152cmという小柄な身長もあいまって、かわいいと言われていたと思われます。

またかわいいと言われるのは、周りから愛されるキャラクターも影響しています。


荒牧さんのポリシーは「謙虚なオラオラ」です。

振る舞いは必要以上に謙虚に、中身は強く自身を持つという意味とのこと。

実際謙虚な人柄で知られ、性格も明るいことからミュージシャン仲間含め交友関係が広く慕われているとか。

一生懸命に歌い、なおかつ謙虚で明るい美人ということがかわいいと言われている所以でしょう。

荒牧陽子の地元は岡山!

荒牧陽子さんは、家族の応援と地元のイベントにより音楽の道に進みました。

荒牧さんは家族を大切にしており、「お正月は必ず地元の岡山に帰る」と語っています。

帰省した際必ず訪れるのが、岡山市内のうどん屋『名玄』とのこと。

店の人にお世話になったか、よほど好きな味なのでしょう。

また、すでに閉店してしまいましたが高校付近にあったたこ焼き屋は荒牧さんのCDを置いて応援してくれたといいます。

岡山に帰ると大手まんじゅうを買って東京に戻るそうで、自分用とお土産分を用意すると語ります。

荒牧さんは帰省エピソードについて過去にブログでコメント。

実家周辺の写真も載せており、そこには緑が多い田舎風景が広がっていました。

家も遠くの方に少し見えるだけでほとんどないことから、岡山市内でもかなり田舎とわかります。


父親が大阪で単身赴任をしており、弟の所在は明かしていませんが、妹も県外で一人暮らしをしています。

そのため母親はほとんど1人で生活しています。

そこで荒牧さんは、帰省はほとんど母親の心のケアのためと語ります。

家族がいながら、地元岡山で1人になってしまった母親のことを気にかけているようです。

夜はお母さんと食事したり

買い物も二人で仲良く。

とくにお母さんは

いつもお家で一人の時間が長いから

少しでも一緒にいてあげようと。

わざわざ東京から駆けつけるとは、荒牧さんは母親思いの優しい人なのでしょう。

また妹とも仲が良く、妹の運転で淡路島をドライブした写真をインスタグラムにあげています。

荒牧さんは東京に行ってからも地元に帰って家族と頻繁に交流していることから、地元岡山と家族が好きとわかります。

荒牧陽子の噂の弟

荒牧陽子さんには弟が1人いますが情報がなく、詳細は不明です。

しかし噂では、弟は2.5次元俳優の荒牧慶彦さんといわれています。

しかしこれは事実ではなく、荒牧陽子さんと荒牧慶彦さんは家族関係がありません。


決定的な理由は、荒牧慶彦さんの家族は4人家族だからです。

父親と母親、姉がいるとのことですよ。

荒牧陽子さんは5人家族なので、家族人数が違う以上兄弟ではないでしょう。

また、荒牧慶彦さんは両親が厳しくテストで80点以下だとキレられたと語っています。

荒牧陽子さんの父親は娘と一緒にカラオケに行くことを楽しんでいましたから、家庭環境も大きく違いますね。

苗字が一緒なことで噂が流れたものと思われます。

荒牧陽子の生い立ちは?

荒牧さんは生まれたとき、産声がハスキーボイスだったといいます。

そして父親が歌が好きで、よく一緒にカラオケへ遊びにいきました。

その影響からか、2歳の頃から音感がしっかりしておりリズムもよく取れていたようです。

上達の勢いは止まらず、3歳になると歌える曲のレパートリーは30を超えていました。

あわせて、幼い頃からピアノや演歌も習っていたといいます。

そんな様子を見た母親は、荒牧さんを歌のコンクールや『のど自慢』に積極的に応募。

小学校高学年になると、地元の歌コンテストで賞をそうなめし、『コンテスト荒らし』という異名も持つほどでした。


そして1997年16歳で出場した岡山県久世町の『NHKのど自慢』ではチャンピョンとなり、NHKのど自慢のチャンピョン大会にも出場しています。

また2001年で20歳のときも『NHKのど自慢』に出場し、再びチャンピョンになりました。

この優勝をきっかけに荒牧さんは上京します。

しかし、東京で受けた歌手オーディションではことごとく不合格に。

歌手としては食べていくことが出来ず、コーラスやカラオケのガイドボーカルで生計を立てていました。

ガイドボーカルとは歌の手本を歌唱する仕事です。

荒牧さんはカラオケのガイドボーカルとしての評価が高く、本物に似過ぎていると話題でした。

それを聞きつけたテレビ関係者がテレビ出演の話を持ち込むと、荒牧さんは2011年バラエティ番組『スター・ドラフト会議』の出演が決まります。

テレビで披露したモノマネ歌唱が上手すぎると評判になり、モノマネ歌手として一気にブレイクしました。

荒牧さんはもともとシンガーソングライター志望であったため、それまでモノマネ歌唱はしていませんでした。

モノマネはテレビ出演前に練習したものだそうですよ。

歌手オーディションとは縁がありませんでしたが、歌唱力は本物であったことがわかります。

歌唱力は生まれ持った才能でしたが、歌手として脚光を浴びることが出来たのはコンクールに応募した母親や一緒にカラオケに行った父親の応援のおかげも大きいと考えられます。


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