歌手として圧倒的な存在感があり、宇多田ヒカルさんの母親としても有名な藤圭子(ふじけいこ)さん。
残念ながら2013年8月に、62歳という若さで亡くなってしまいました。
しかし今でもすごい存在であり、天才的、歌唱力がすごいと話題になっていますよね。
またプライベートも少し謎なのですが、性格や学歴といった情報も気になるところです。
そこで藤圭子さんはすごい、天才的、歌唱力についてや性格、学歴まで詳しくお伝えしていきます。
藤圭子のプロフィール
愛称:圭子ちゃん
本名:宇多田 純子
生年月日:1951年(昭和26年)7月5日
身長:155cm
出身地:北海道旭川市
最終学歴:岩見沢市立栄中学校
所属事務所:藤プロ
藤圭子はすごい!天才で歌唱力が圧倒的
歌手として素晴らしい功績を遺した藤圭子さん。
娘の宇多田ヒカルさんも圧倒的な天才ではありますが、それは母も同じ。
母娘で素晴らしい才能に恵まれ、歌唱力も本当にすごいものがあります。
ではどれほどまでに天才ですごいと言われているのか、経歴から見ていきましょう。
人生って
苦しいことの方が多いけど
歌があったら
まあ、いいっかと言えるような
死に方をしたい
藤圭子 pic.twitter.com/gA01apQNFN
— ken (@ken29716939) July 21, 2023
まず藤圭子さんは、デモテープを一度聴くだけで歌を完璧に覚えてしまうほどの天才。
記憶力がすごいだけでなく、音楽的な才能も元々お持ちだったんですね。
また曲を一度聞いただけで「どの部分に力を込めれば聴く側に思いが届くのか」が分かるとのこと。
この感覚は他の人とは別次元で、すぐに天才だと分かるんだそうです。
曲を聞けば、その圧倒的な歌唱力と世界観が分かりますよね。
その才能を発揮されたのは、なんと小学生の頃から。
浪曲師と父と盲目ながら三味線を弾く母と一緒に、小学生の時から聴衆の前で歌うようになりました。
幼いときから天才と呼ばれ、15歳の時から本格的に歌手を目指し始めました。
その時は岩見沢で行われた雪祭り歌謡大会のステージで急きょ代役として出演し、作曲家・八洲秀章さんがその才能を認めたそうですよ。
しかしオーディションなどは落ちてしまい、偶然出会った作詞家の澤ノ井龍二(石坂まさを)さんがその才能を見出します。
自宅に住み込み弟子となりレッスンを受けながら、1969年に「新宿の女」でデビューを飾りました。
しかし1971年に前川清さんとの結婚、離婚を経て、1974年、喉のポリープの手術を受けることに。
この手術で声質が変わってしまい、1979年に引退してしまったんですよね。
藤圭子さんが料理をすることは
一度も無かったようです。前川清「藤圭子さんは僕の初恋」 pic.twitter.com/1ViyxSyQVi
— らうおう (@Krjg14W) August 19, 2018
この天才的な歌唱力が手術によって失われてしまったかと思うと、本当に悔やまれます。
ですが藤圭子がすごいと言われるのは、娘の宇多田ヒカルさんを育て上げたこと。
1982年に宇多田照實さんと再婚し、1983年1月19日、ニューヨークでヒカルさんを出産しました。
早くから娘を歌手にするためにアメリカで暮らし、日本でテレビに出てお金を稼いではアメリカに戻るという生活を繰り返していました。
1998年に宇多田ヒカルとして娘がデビューすると、自身はテレビに出ることはなくなってしまいました。
それ以降はほとんどテレビで見ることはなく、2013年8月22日に恐らく自死ということで亡くなってしまった状態で発見されます。
これまでの経歴を見てみると、「天才的」と呼ばれた全盛期はとても短かったことが分かりますよね。
しかしそれ以降も宇多田ヒカルさんという存在で、別の存在感を示していました。
5歳の頃から、自分の子が天才だと気づいたそう。
それからは娘の子育てが生きがいだったそうですが、孤独を感じることもあったようです。
周りから「天才、天才」と呼ばれることも、実は苦労があったのかもしれませんね。
しかしその才能は確かなものであり、亡くなった今も語り継がれていることは事実です。
藤圭子の性格は激しい?
ではそんな天才的な藤圭子さん、どのような性格の方だったのでしょうか。
[Music]
1月19日は、宇多田ヒカルの40歳の誕生日。本名は“光”で、母親・藤圭子が目の病気で徐々に視力を失っていた時に授かったため、“我が子から光が失われないように”と願いを込めて命名したと言われている。なお、“光”のほかには“いちご”や“めろん”、“すいか”などが候補に挙がっていたという。 pic.twitter.com/jIZ6izKb8j— IBFs (@ibfs_jp) January 19, 2023
幼少期は頭もよく、決して暗い性格ではなく明るい少女だったとのこと。
しかし頭の回転が速すぎて、話し方も立て板に水で激しい性格の一面もあったと言われています。
確かに頭の回転が速い方は、周りとテンポが合わずに言い方がきつくなってしまう部分があるのかもしれません。
そして幼少期から波瀾万丈な人生で、出産する頃には目の病気も抱えていたとのこと。
さらに1988年ごろからは精神的な疾患もあったようで、落ち込みやすい部分があったのかもしれませんね。
感情の起伏が激しかった部分もあったと、元夫の宇多田照実さんは明かしています。
ヒカルさんが5歳ころから感情の変化が著しくなり、攻撃を受けることもあったとか。
病院にも通っていたそうですが、やはりいろいろなものを抱えてしまっていたのかもしれませんね。
いろんな情報がありましたが、苦しみを抱えていた可能性もあります。
最後も飛び降り自殺だったようなので、それが衝動的なものなのか、苦しんで悩みぬいての行動だったのかと思うと、胸が痛くなりますね。
いろんな感情を抱え、天才と呼ばれながらも苦しみがあったのかもしれません。
藤圭子の学歴は中卒
藤圭子さんは勉強ができとても成績がよかったそうですが、学歴としては中卒となります。
幼少期は浪曲師である父についていく形で、北海道や東北地方を回りながら生活をしていました。
転校も多く、旭川市立神居小学校に転校してから旭川市立神居中学校に3年まで通いました。
その後、北海道の岩見沢市立栄中学校に転校し、卒業。
家計を支えるために進学をあきらめたそうですが、作曲家・八洲秀章さんは藤圭子さんの才能を認め、両親に上京を勧めたそうですよ。
高校に行かなかったことと八洲秀章さんの勧めもあり、上京し歌手という夢を叶えました。
中学の卒業式の日に両親と上京したということで、両親も大きな決断だったかと思います。
新宿の女
1969年に発売された藤圭子のデビュー曲。
●http://t.co/aFnwXSjQTH
●http://t.co/dMey8FhEzJ pic.twitter.com/JFfii58pc8— レトロ系 (@retoro_mode) January 31, 2015
そこから歌手としてデビューし、素晴らしい功績を残されましたね。
大きな才能に恵まれつつも苦労し、今もなお語り継がれる名歌手であることが分かりました。
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