お人形のような美しい顔立ちに反して、すごみのある歌い方で人気を博した歌手の藤圭子(ふじけいこ)さん。
(兄)長男は演歌歌手として、同時期にデビューしていたそうですよ。
藤さんの生い立ちは旭川で貧困との戦いだったようです。
母親とは姉妹のように仲良しでしたが、金銭問題で仲がこじれてしまい絶縁状態に。
父親は旅回りの浪曲師だったといいます。
それでは、藤さんの生い立ちや兄・両親について見ていきましょう。
藤圭子のプロフィール
本名:宇多田純子(うただじゅんこ)
生年月日:1951年(昭和26年)7月5日
死亡年月日:2013年(平成25年)8月22日
出身地:北海道旭川市
最終学歴:岩見沢市立栄中学校卒業
藤圭子の(兄)長男は演歌歌手の藤三郎で騒動勃発
藤圭子さんが「新宿の女」という曲で歌手デビューしたのは1969年(昭和44年)のことでした。
出す曲はどれも長い間1位を記録する大ヒットで、唯一無二の歌唱力と抜群の美貌であっという間にスターの仲間入りを果たしたのです。
実は、藤さんがデビューした翌年に長兄が「藤三郎(ふじさぶろう)」という名前で演歌歌手として芸能界入りしていました。
CBSソニーからレコードを3枚発売したのですが、ヒットしなかったのですぐに引退。
その後は浅草で妻が居酒屋「松よし」を経営しており、三郎さんは時おりギターの弾き語りをしているといいます。
「藤さんに元演歌歌手の兄がいた」という事実は、ほとんど知られていなかったのではないでしょうか。
長兄の存在が知られたのは、藤さんが自ら命を絶った後のことでした。
マスコミに、藤さんの元夫・宇多田照實(うただてるざね)さん達への不満をもらしたのです。
「宇多田さんのせいで、家族は分断された」「会うことも叶わなかったし、遺体の面会も断られた」と語り、「そのせいで、藤さんが成仏できない」とも語りました。
通夜も葬儀も行われなかったことに、不満があったようですね。
亡くなった理由が病気や事故ではなかったために、家族は静かに送りたかったのかもしれません。
一時的にメディアの話題をさらったお陰なのか、三郎さんは再び演歌歌手として芸能界に復帰。
51年ぶりに「浅草の夜」という曲を発売しましたが、自身で作曲も行ったそうです。
今朝の東京新聞にあの藤圭子さんの兄藤三郎さんが72才で「浅草の夜」という曲で再デビューし、初コンサートを開くという。涙なしで読めなかった。視力が低下した中で、妹を思っ
て作られた『昭和の浪花節』演歌が苦手な私も堪能したいと思った。
藤圭子の両親が浪曲師だったこと初めて知った🎻🎤 pic.twitter.com/wTdIU0WSQi— しんじろう『宮崎愼二』 (@mi89s1) May 7, 2022
「妹(藤さん)に聴かせたいという思いで再び芸能界に戻った」と語っていましたが、娘・宇多田ヒカルさんが三郎さんの告白に対してX(旧Twitter)で反論しています。
取材に応じるたびに金銭を受け取り、あること無いこと喋られたことに対して腹が立ったようです。
それでなくても母親が亡くなって辛いのに、波風を立てるようなことをされたら誰だって猛抗議したくなるでしょう。
また2022年に三郎さんの娘・かなでっちさんが歌手デビューしているのですが、その際も「宇多田ヒカルのいとこがデビュー」として注目を集めました。
これはさすがに、宇多田さんというビッグネームを利用しただけではないのかと厳しい意見が出たようです。
藤圭子の生い立ちは旭川で極貧生活
藤圭子さんが生まれたのは岩手県でしたが、すぐに北海道に引っ越したそうです。
旭川に住み始めたのは、藤圭子さんが3歳の時だったといいます。
オンボロアパートに住み、親子で身を寄せ合い暮らしていました。
しかし旭川で完全に定住していたわけではなく、父親が旅回りの浪曲師だったので北海道や東北を回ることもあったようです。
稼ぎが少なかったために、一家は非常に貧しい暮らしをしていたとか。
夕食はご飯に醤油をかけたものだけ、という日もあったといいます。
藤さんも、幼い頃から兄と一緒に豆腐や納豆を売り歩いて生活の足しにしていました。
時代が違うので、戦後すぐの頃は子供が稼ぐこともあったのかもしれません。
藤さんは食べ物を売っていただけではなく、7歳の頃から演歌を人前で歌っていたそうです。
それにしても、かなり苦労をして育ったということがうかがえますね。
幼い頃から歌が上手だった藤さんは、小学生の頃に旭川の神社で行われた歌謡大会に参加しました。
美空(みそら)ひばりさんの「りんご追分」を見事に歌い上げ、優勝したことがあったそうです。
目鼻立ちが整った美しい顔立ちと、抜きん出た歌唱力。
それに反して、非常に貧しい生活をしていたので、服装は哀れなほどボロボロだったそう。
聴衆の中には、藤さんがあまりにも美少女で歌も上手かったため「いつか歌手になるだろう」と思っていた人もいたとか。
藤圭子は母親と絶縁していた
藤圭子さんの母親は、本名が阿部澄子という名前だったそうです。
芸名は竹山澄子さんといい、夫が歌う側で三味線の演者をしていました。
ただしほとんど目が見えなかったそうですから、不自由な生活をしていたことでしょう。
母娘は元々とても仲が良かったそうで、芸能界に入ってからも、藤さんは金銭管理を母に頼んでいたそうです。
芸能界で成功した娘は、かなりの額を稼いでいたに違いありません。
Buonasera〜🤱💞エドちゃん😉🥂✨今夜の藤圭子の光と影見たかしら⁉️久しぶりに第1回日本歌謡大賞で歌う「圭子の夢は夜ひらく」聴いてネ🎋司会は前田武彦さんだったネ🎙️🌃 pic.twitter.com/b9KLQxRtj6
— みんなの恋人エドちゃん😉💞 (@taxigial) July 7, 2023
そうなると、親子の間柄であっても金銭問題でトラブルが起きることはよくありますよね。
藤さんと母親もお金のことで揉めに揉めて、ついには絶縁してしまったのだとか。
貧しい頃は非常に仲が良かったのに、お金が入ってくると縁を切ってしまうとは何とも皮肉な話です。
お母さんの最後も看取らなかったどころか、葬儀にも姿を見せなかった藤さん。
もともと、身内や知り合いの葬式には出席するしないというポリシーの持ち主だったと言います。
「自分なりの方法でお祈りをして弔う」というスタイルを最後まで貫きました。
藤圭子の父親は短気で手が出ていた
藤圭子さんの父親にも芸名があり、本名は阿部壮さんという名前でした。
芸名は松平国二郎さんで、浪曲の歌手をしていたといいます。
藤さんの歌唱力も、父親の歌声を聞いて育ったから身についたのかもしれません。
しかし、浪曲の歌手だけでは家族を養うことはできませんでしたので、左官の仕事も掛け持ちで行っていたといいます。
複数の仕事をしていても、極貧生活を送っていたのは2023年現在と時代が違うからかもしれません。
藤さんの父親は短気で、すぐ手が出るタイプだったそうです。
もう少し裕福に暮らせていたら、感情を抑えることができたかもしれませんね。
藤さんがデビューしてから、両親は離婚したそうです。
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