藤圭子の死因は自殺、遺書なし。晩年は消息不明。病気治療せず何があった?マンション同居男性

『圭子の夢は夜ひらく』などの大ヒットで一時代を築いたのち、低迷期を経て、宇多田ヒカルさんの母としてふたたび脚光を浴びた藤圭子(ふじ けいこ)さん。

62歳での急逝は衝撃とともに多くの謎を残すことになりました。

ここでもう一度、死の背景について整理してみたいと思います。

死因の手がかりとなる遺書はあったのでしょうか。

また精神状態が不安定だったという晩年のようすや、娘が明かした母の病気にも注目しながら、藤圭子さんに何があったのかを探っていきます。

死のダイブをしたマンションで同居していた男性とは誰だったのでしょうか。

藤圭子のプロフィール

本名:宇多田純子(うただ じゅんこ)

生年月日:1951年(昭和26年)7月5日

出身地:北海道旭川市

最終学歴:岩見沢市立栄中学校(1983年閉校)卒業

藤圭子の死因は飛び降り自殺

藤圭子さんは2013年8月22日午前6時59分、東京・新宿区にあるマンション前の路上であおむけに倒れ、頭から血を流しているところを発見されました。

現場に居合わせた人々の話によると、藤さんは黒っぽいTシャツに短パン姿で、頭の周りは血だまりになっていたものの、安らかな顔をしていたそうです。

その一方で、拒食症のように痩せ細り、年齢より老けてみえたという証言や、頭部の一部が陥没し、口と耳から血が流れていたので、一見して助からないと思ったという証言もありました。


その後、藤さんは心肺停止状態で搬送され、7時22分に搬送先の病院で死亡が確認されます。

新宿署に運ばれた遺体の身元を確認したのは、知らせを受けて駆けつけた前夫の 宇多田照實(うただ てるざね)さんでした。

着衣の乱れや争った形跡がなく、遺体からアルコールや薬物も検出されなかったことから、新宿警察署は自殺と断定。

藤さんが飛び降りた13階のベランダの手すりは115センチメートルの高さがあり、そばにはクーラーボックスがありました。

このクーラーボックスを踏み台にしたかどうかは不明ですが、手すりの外側に片方のスリッパが引っかかっており、もう片方は現場近くに落ちていたということです。

自らの人生を自死という形で終わらせた藤圭子さん。

覚悟のうえでの投身自殺だったのか、衝動的に飛び降りてしまったのか、今となっては知るすべがありません。

「遺書はなかったが遺言書はあった」宇多田ヒカルが表明

当初は「遺書はなかった」と報道されていた藤圭子さんの飛び降り自殺。

娘の宇多田ヒカルさんが、じつは遺言書があったことを明かしたのは9月5日のことです。

ヒカルさんは、一連の報道で「阿部純子」とされていた母の本名は正しくは「宇多田純子」であることや、母は離婚後も宇多田姓を名乗ることを望み、籍も父の籍においたままだったことを述べ、両親の絆を強調したうえで、年の始めに書かれた遺言書があったことを打ち明けました。

通夜や葬儀を執り行わず、照實さん、ヒカルさん、親族、関係者の数名のみが火葬に立ち会う直葬になったこと、また遺骨を海に散骨したことは、遺言書に書かれていたご本人の意向によるものでした。

喪主をつとめたのはヒカルさんです。


いくら故人の遺志とはいえ、一世を風靡した昭和の歌姫におよそ似つかわしくない、ひっそりとした弔いに、違和感を覚えたファンは少なくなかったようですね。

遺体との面会を望んだ方もいたようですが、ヒカルさんはやむなくお断りしたということです。

故人の気持ちを考えたうえでの喪主としての判断でした。

藤圭子、消息不明の晩年のようす

藤圭子さんは1979年に一度芸能界を引退し、1981年に復帰して再デビューを果たしています。

宇多田照實さんと結婚したのが1982年、ヒカルさんを出産したのが1983年でした。

娘が成長すると、その音楽的才能に惚れ込んで、音楽関係者に売り込むようになっていきます。

愛娘のデビューまでは、自身も歌番組で歌声を披露することがあった藤圭子さん。

ところが、1998年にヒカルさんがデビューすると、まるで入れ替わるように歌手活動を封印。

以降は表舞台から遠ざかっていきました。

晩年の私生活で特筆すべきは、照實さんと7回の結婚・離婚を繰り返したことでしょう。

ヒカルさんが誕生してまもないころから夫婦のすれ違いがはじまっていたことは、平尾昌晃さんの話からもうかがえます。

当時、藤さんは突然ハワイに移り住み、カラオケ指導などの仕事をしながら2年ほど暮らしていたというのです。


幼い娘のもとを離れてハワイに逗留したかと思えば、一転してステージママになり、わが子の売り込みに奔走するという、少し理解しがたい振れ幅です。

それは夫婦関係においても同じだったようで、ささいなことで衝突しては離婚し、あとで後悔して再入籍するということの繰り返しだったそうです。

出会ったころから、藤圭子さんには感情の不安定さがあったことを認めている照實さん。

しかし、それは照實さんの目には「心の病」ではなく「気まぐれ」としか映っておらず、十分に対応できる範囲ととらえていたとのこと。

一方で、愛娘が稼ぎだす莫大な収入は藤さんの金銭感覚をも狂わせていきました。

晩年の12年間は、ニューヨークを拠点に世界中を気ままに放浪する日々だったと照實さんは明かしています。

旅先から昼夜を問わず夫や娘に電話が入り、機嫌よく世間話をするときもあれば、身に覚えのない理由で罵声を浴びせるときもあったそうです。

2006年3月にはニューヨークのJFK国際空港にて、所持していた約50万ドルもの多額の現金を没収される事件が起こります。

この騒動のあとに受けた取材が藤さんの最後の映像になりました。

フジテレビ関係者によると、「世界を旅して、カジノで5億は使った」などと一方的にまくし立てていたそうで、目の焦点があっておらず、危ない状態だったので、まともに映っているところだけをオンエアしたということです。

翌年には照實さんと最後の離婚。

没収された約50万ドルは事件性がないとして2009年に全額返還されますが、これを最後に消息はぷっつりと途絶えてしまいました。

最晩年には恩師の石坂まさをさんが亡くなり、葬儀の場に藤さんが現れるのではないかと期待したは関係者もいたようですが、姿を見せることはありませんでした。


一部では、療養施設に入っていたとの情報もありますが、真偽は定かではありません。

藤圭子は心の病気を治療せず。何があったかは不明

ヒカルさんを出産したとき、藤圭子さんは網膜色素変性症に悩まされ、視力が低下していました。

「光」という名前には、「光が失われないように」という願いがこめられています。

照實さんとヒカルさんが発表したコメントによると、藤さんは1988年ごろから精神の病気も患っていたとのこと。

ヒカルさんが5歳ぐらいのときから、夫・娘・実母への攻撃的な言動がめだつようになり、現実と妄想の区別がつきにくくなっていたそうです。

そして攻撃した数分後にはふたたび感情が変化して、謝ることの繰り返し。

精神が不安定になり、感情や行動のコントロールを失っていたのは明らかですね。

しかし周囲が通院を勧めると、よけいに不信感を抱かせてしまうのがこの病気の性質です。

結果として、藤さんは病院を拒絶しつづけ、治療が施されないまま、症状は重症化したものと思われます。

家族は翻弄されたことでしょう。

とりわけ、しだいに病気が悪化していく母親の姿を幼少期から見ていたヒカルさんの心中たるや、想像にあまりあります。

その死を受けて、母が苦しみから解放されたことを願う反面、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりとコメントしたヒカルさん。


家族として救いの手を差し伸べられなかった悔しさが伝わってきます。

年の始めに書いたという遺言書も8か月も前のものですから、藤圭子さんに何があったのか、なぜ自殺に至ったのかはいまだに闇の中です。

藤圭子が自殺したマンションに同居男性

最期の地となった西新宿は、デビュー当時、活動拠点にしていた思い出の地でもありました。

現場はJR新宿駅の北西1㎞のところにある28階建て高層マンションで、住所は西新宿6丁目。

飛び降りた13階の部屋は藤圭子さんの知人である30代男性が購入したもので、藤さんはおよそ6年前からこの男性と同居していたことが新宿署の調べでわかっています。

ここで不可解なのが、62歳の藤さんと30代男性の関係ですね。

メディアがスキャンダラスに報じたことも手伝って、男性の素性をめぐってはホスト説や介護ヘルパー説などが飛び交いました。

ですが、近しい関係者によると2人の寝室は別々にあり、内縁関係はなかったとのこと。

藤さんの被害妄想がひどくなり、家族が一緒にいられる状態ではなかったことから、心配した照實さんが元マネージャーのこの男性に頼み込み、監視役として同居してもらっていたのだそうです。

じつは事件当日、警察官はこの男性とも会っています。

午前8時ごろに13階の部屋を訪れた際に応答がなかったため、警備員に鍵を開けてもらったところ、男性が玄関に現れて「別の部屋にいるはずの女性がいない」と訴えていたのだそう。

別の部屋で眠っていたために藤さんの転落には気づかなかったとのことです。

清楚な風貌でありながら、人生の深淵をのぞいてしまったような凄みのある歌いまわしが魅力的だった藤圭子さん。

天性の歌声をもちながら、なぜ冷たいコンクリートの上で最期を迎えなければならなかったのでしょうか。


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