藤圭子の結婚歴まとめ。前川清との離婚理由は語らず&旦那・宇多田照實の思い

藤圭子(ふじけいこ)さんは1969年にデビュー。凄みの効いたハスキーボイスで哀愁ある楽曲を歌い上げ、独特の雰囲気に多くの人が魅了されました。

当時のヒットチャートを席巻し、ファーストアルバムとセカンドアルバムを合わせて37週連続1位という記録を残しています。

今回はそんな藤さんの、波乱万丈の結婚歴についてお伝えしていきます。

藤圭子のプロフィール

本名:宇多田 純子(うただ じゅんこ)

生年月日:1951年(昭和26年)7月5日

出身地:北海道 旭川市

職業:歌手

藤圭子の結婚歴まとめ

歌手としては若くして栄華を極めた藤さんの結婚歴を見ていきます。

最初の結婚

藤さんの最初の結婚は1971年で、お相手は当時ヒットチャートの常連で人気絶頂だった「内山田洋とクールファイブ」のボーカル、前川清さんでした。


二人は同じレコード会社の所属であり、芸能人野球大会などのイベントなどを通じて交流があったそうです。

藤さんが前座歌手として出場したショーに前川さんが花を贈ったことから、藤さんの師匠である石坂まさをさんの目に留まり、前川さんは自宅に招かれるようになりました。

そこで石坂さんの自宅に住み込みをしていた藤さんと頻繁に顔を合わせるうちに親しくなっていったのだとか。

二人は恩師に隠れて会っているよりはきちんとした形をとった方がいいと考え、結婚を急いだそうです。

藤さんは19歳、前川さんは22歳の若いカップルで、大スター同士の結婚ということで、世間からは大きな注目を浴びました。

入籍だけで済まそうとした二人ですが、実際はそうもいかず披露宴も新婚旅行も行うはめになり、しかもマスコミがずっと密着していたのだとか。

しかしわずか一年で結婚生活は破綻。

二人は別れてしてしまいました。

二度目の結婚

藤さんの二度目の結婚は1982年で、お相手は音楽プロデューサーの宇多田照實さんでした。

1983年、二人の間に生まれたのが宇多田ヒカルさんです。

二人はヒカルさんを世界的な歌手に育てるため、幼少期からR&Bを教え込み、ネイティブな英語を身に付けさせました。

ヒカルさんが7歳になると夫婦はアメリカと日本を往復しながら本格的に世界を目指します。

藤さんは、資金が底をつくと日本へ「資金稼ぎ」のために帰ったと語っています。

歌手活動をやめていた藤さんですが、過去のヒット曲で地方公演はかなり成功していたとのこと。


照實さんがマネージャーとなり、家族3人で夢を追っていたのだそうです。

藤さんは後に純粋に家族を信じていたこの頃を振り返り、「最も幸せだった」と語っています。

ヒカルさんは15歳で鮮烈なデビューを果たし、あっという間に一時代を築くトップアーティストへと上り詰めました。

しかし皮肉にも、そのプロデュース方針の食い違いにより夫婦は喧嘩が絶えなくなり離婚。

その後また復縁と、なんと7回の離婚と再婚を繰り返しました。

最後にはヒカルさんにも「ワケが分からない」と呆れられていたそうです。

「あの2人、6回の離婚と結婚を繰り返していてワケわかんないです」

 宇多田ヒカルの発言に、世間が騒然となったのは06年のこと。

藤圭子、前川清との離婚理由は明かしていない

前川清さんは「内山田洋とクールファイブ」のボーカルを務めていた歌手で、1969年の「長崎は今日も雨だった」などのヒットで大変人気がありました。

ステージにまっすぐに立ち、前を見据えて力強く歌う歌唱スタイルで、ほとんど笑顔を見せないクールな二枚目キャラクター。

その反面お笑いの才能も見いだされ、多くのコント番組などで大活躍しました。

1987年にバンドを脱退し、その後はソロ歌手として活動しています。

歌の上手さや卓越した表現力で、多くの歌手に尊敬されていますが、本人は至って謙虚です。

おそらく「100パーセント」と思ってしまうんでしょうね。
でもぼくは自分がうまいと思ったことは一度もありません。

そんな前川さんとの離婚記者会見では、離婚理由を聞かれても、二人はただ「ありません」と答えるだけでした。


のちに前川さんが結婚生活は「実態がなかった」と語るほど、二人の生活は多忙を極めていたのです。

人気歌手だった二人はそれぞれ朝早くから夜中までテレビ局を回り、疲れ切って家に帰ると寝るだけで、夫婦の時間などないに等しかったとか。

そんなすれ違い生活が続き、やむなく二人は別々の道を歩くことを決めたのだそうです。

また、藤さんは世界に目を向けていて海外で活動することを夢見ているなど、結婚生活自体に向いていなかったのかもしれません。

二人は決して憎み合って別れたわけではないようです。

険悪な関係ではない証拠に、二人は離婚から7年後の1980年に「欽ちゃんのどこまでやるの!」で共演、楽し気なトークを展開しています。

前川さんはインタビューで、藤さんが前川さんのことを「一番優しかった」と言っていると人づてに聞き、とても嬉しかったと語っています。

前川さんは2019年に発売したカバーアルバムに藤さんのヒットナンバー「京都から博多まで」を収録しています。

別れてしまったとはいえ、前川さんは藤さんに対する敬愛の念を忘れてはいないようです。

晴れて夫婦となれば堂々と人目を気にせずにいられる。そんなふうに淡く、まだ幼い恋の延長線上での決断だった。

藤圭子の旦那、宇多田照實の思い

宇多田さんと結婚した当初から、藤さんは感情が不安定な状態だったようですが、ただ「気まぐれな人」と捉えていたそうです。

しかし6年後の1988年頃から、藤さんの感情の起伏が激しくなり、宇多田さんはじめ自分の母親や娘のヒカルさんも攻撃の対象となっていったとか。

宇多田さんは通院を勧めたものの、藤さんは激しく拒絶したそうです。

2002年には別居し、その後の藤さんはニューヨークを拠点に気の向くまま世界を旅する生活を送っていたとか。

2007年に離婚するも絶縁することなく、時折電話をかけてきたという藤さん。


2013年に残念ながら自ら命を絶ってしまいました。

最後まで心の中では宇多田さんに感謝していたのではないでしょうか。

「純子と過ごした日々は僕の記憶にはっきりと刻まれています」と元夫として無念の想いを綴っている。

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