吉田ヒロの若い頃はダウンタウンファミリー!座長の過去。年収は高い?絵の個展は好評

数々の一発ギャグでお馴染みの吉田ヒロ(よしだひろ)さん。

吉本新喜劇にもなくてはならない存在として知られています。

今回は吉田ヒロさんの若い頃や新喜劇の座長のエピソード、年収や絵の個展の評判についてお伝えします。

吉田ヒロのプロフィール

本名:吉田弘典

生年月日:1967年(昭和42年)8月4日

身長:165cm

出身地:兵庫県神戸市

最終学歴:八代学院高等学校

所属事務所:吉本興業

吉田ヒロは若い頃コンビを組んでいた

2023年現在ピン芸人として活躍している吉田ヒロさんですが、デビュー当初は岩瀬雄大さんと「ボブキャッツ」というコンビを組んでいました。

破天荒でエネルギッシュな漫才は、当時のほかのコンビとはまったく違う魅力がありました。

ネタの面白さに2人の独特の雰囲気も相まって、非常に人気が高かったようです。


ちなみにコンビを組んでいた頃の吉田ヒロさんは2023年のような金髪ではありませんでしたが、サラサラヘアと愛くるしい顔立ちで女性ファンが非常に多かったとのこと。

ただし、コンビこそ組んでいたものの相方の岩瀬雄大さんとは不仲だった模様。

話が合わないこと、行動が気に食わないなどが理由だったようで、常々周囲の仲間に解散したいと漏らしていました。

とはいえボブキャッツは、当時活躍していたお笑いコンビの中でも知名度が高く、センスの良さも評判のコンビ。

愚痴を漏らしつつも解散しなかったのは、ここまで築き上げた人気をないがしろにするのはもったいないという考えもあったのでしょう。

しかし、いくら成功するためとはいえ嫌いな人間とずっと一緒に居るのは耐え難いものだったはず。

我慢の限界を迎えた吉田ヒロさんは1991年、「ビレッジ吉本」という番組の収録時についに解散を決意します。

宿泊していたホテルに放送作家の高須光聖さんをホテルに呼び出し、解散する旨を伝えたのです。

この件がきっかけとなり解散が決定、以後吉本新喜劇に入団し活躍することになります。

吉田ヒロさんの一発ギャグの面白さには貫禄があります。

若い頃に辛い経験をしたからこそ、ギャグの面白さに深みが出ているのかもしれませんね。

吉田ヒロは元ダウンタウンファミリーの一員

吉田ヒロさんは、かつてダウンタウンファミリーの一員でした。

ダウンタウンファミリーとは、1987年から1989年にかけて大阪で放送されていた「4時ですよ〜だ」に出演していた芸人の総称です。


放送当時大阪で絶大な人気を誇っていた番組で、特に若者から支持されていました。

ダウンタウンほか、今田耕司さんや東野幸治さんなど出演メンバーの多くが2023年も第一線で活躍しているという伝説的な番組です。

そんな「4時ですよ〜だ」に吉田ヒロさんもボブキャッツとして出演していました。

「4時ですよ〜だ」が終了すると、ダウンタウンは東京での活躍の機会を増やしていきます。

一世を風靡した「ダウンタウンのごっつええ感じ」が始まったのが1991年。

番組開始当初、ダウンタウンファミリーはほぼ全員レギュラーとして出演していました。

吉田ヒロさんには一発ギャグを披露する枠が設けられていたようです。

しかし、大阪とは違い東京では自慢の一発ギャグは不発に終わります。

スタッフにも受けが悪く、裏で邪険に扱われていたと後に語っています。

「スタッフと水が合わずに、僕だけごっつ悪い感じだったから」

芸人として最大限のパフォーマンスを発揮するには、自身の努力だけではなく周囲のサポートも必要です。

周囲から適切なサポートが得られなかったことが、東京進出のチャンスを潰してしまった最大の要因だと考えられます。

2023年現在、吉田ヒロさんの一発ギャグは世代性別を問わず支持されています。

適切なサポートが得られていれば、1990年代前半に流行語大賞の1つや2つは取っていたかもしれません。

本人の実力以外の要因でチャンスが潰えてしまったのではと考えると、残念でなりませんね。


ほかのメンバーとは異なる場所で活躍を続ける吉田ヒロさんは、いつしかダウンタウンファミリーとは呼ばれなくなってしまいました。

ただし、決して険悪な仲になったわけではないようです。

いつの日か当時のダウンタウンファミリー全員で素敵な番組を作って欲しいですね。

吉田ヒロは吉本新喜劇の座長だった

吉田ヒロさんは、1999年から2007年までの間吉本新喜劇の座長を務めていました。

入団した1989年当時新喜劇のメンバーは高齢化しており、出演しているのは一世代前の芸人という認識だったのです。

そこで吉本興業は、演者の世代交代と全国進出を目標に「吉本新喜劇やめよっカナ?キャンペーン」を開始します。

新喜劇の若返りと再生を目指した「吉本新喜劇やめよッカナ?キャンペーン」の始まりだった。

吉田ヒロさんが新喜劇に入団したのは、このキャンペーンへの参加がきっかけでした。

結果的に世代交代は成功し、吉田ヒロさんは新喜劇になくてはならない存在となったのです。

お客さんからも周囲からも評価され、入団から約10年で座長に就任します。

座長になってからは得意の一発ギャグを封印し、ツッコミに転じます。

座長時代の吉田ヒロさんは、新喜劇に新しいものを持ち込もうと意識していたそうです。

若手の出演時間とアドリブを増やしたことで、これまでとは明らかに違う新喜劇になりました。


全員がのびのびと演技できるように、派閥を作らないように演者を配置していたのも特徴です。

2007年に座長を退任、新喜劇以外にも活躍の場を広げたいのが主な理由でした。

退任後もゲスト座員として時折新喜劇に登場する吉田ヒロさん。

座長のころはツッコミ役でしたが、退任後はボケとツッコミの両方をこなすようになります。

2023年も数多くの舞台に出演しており、今も新喜劇になくてはならない存在としてファンに親しまれています。

吉田ヒロの年収の噂

吉田ヒロさんの年収は不明です。

噂では相当な額の年収があると言われていますが、本人は年収についてまったく言及していません。

同じく新喜劇で活躍している諸見里大介さんは、ある月の収入約68万円の内、8割程度が新喜劇だと語っています。

「新喜劇で68万はスゴい」とポロリ。

68万円の8割は54万円程度。

1日に複数回出演することもあったとのことで、出演回数の多さが高収入に繋がったようです。

諸見里大介さんは2012年入団で、新喜劇でも吉田ヒロさんの後輩になります。

先輩かつ重鎮クラスの芸人となると、1回の出演あたりの金額はもっと多いはず。


新喜劇での月収が80万円を超えていても不思議ではありません。

新喜劇以外の収入も考えると、推定年収1000万円以上の可能性があります。

本人がまったく言及していないので年収については完全に不明ですが、吉田ヒロさんの舞台上の姿からはお笑いの仕事を楽しんでいる姿が見て取れます。

たとえ推定年収よりも少ない収入だったとしても、芸人に誇りをもって楽しんで仕事しているのは疑いようがありませんね。

好評を博した絵の個展

吉田ヒロさんは2021年3月に絵の個展を開催しています。

大阪のなんばグランド花月のすぐそばにある、「Laugh & Peace Art Gallery」にて開催されました。

「吉本新喜劇 吉田ヒロ展」と銘打って開催された個展は、なんと入場無料でした。


子供の頃から絵を描くのが得意で、一時は絵画の仕事も請け負っていたようです。

「本当に仕事がなくて、リモート飲み会で造形作家の方と知り合って『いっぺん描いてくれませんか』と頼まれて」アートへの情熱が再燃。

吉田ヒロさんの優しい人柄をあらわすような、素敵な絵画がたくさん展示されていました。

非常に好評だったようで、2021年8月には2回目の絵の個展が開催されています。

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