茂造じいさんのキャラクターでお馴染みのお笑いタレント・辻本茂雄(つじもとしげお)さん。
そのコミカルなキャラクターからは想像もつかない挫折を経験してきたそうです。
今回は、辻本さんの若い頃の姿やエピソードと、噂される小籔千豊(こやぶかずとよ)さんとの不仲説に迫ります。
辻本茂雄のプロフィール
愛称:茂造じいさん、茂じい、アゴ本
本名:辻本茂雄(つじもとしげお)
生年月日:1964年(昭和39年)10月8日
身長:173cm
出身地:大阪府阪南市
最終学歴:和歌山県立和歌山北高等学校卒業
所属事務所:吉本興業
辻本茂雄、若い頃のレア写真が公開
辻本茂雄さんといえば、吉本新喜劇でお馴染みの「茂造じいさん」を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。
その強烈なキャラクターも相まって、辻本さんの若い頃の姿は想像しにくいものです。
そんな辻本さんがデビューして間もない頃に撮影されたという”レア写真”が公開されています。
辻本さんと同じ吉本興業に所属する芸人・河内家菊水丸(かわちやきくすいまる)さんが、スポーツニッポンで連載しているコラム『珍宝堂』にて、辻本さんの宣材写真3枚を披露しました。
どれも菊水丸さんが所蔵する「珍宝」で、辻本さんの直筆サイン入りだといいます。
その中の1枚は、辻本さんが漫才コンビ「三角公園USA」としてデビューした際に撮影されたものだそうです。
「三角公園USA」としてデビューした直後に撮影したレアもの。そう、最初は漫才師だったのです。
三角公園USAは長く続かず、辻本さんが25歳のときに解散しています。
辻本さんは、その後漫才師として活動することはありませんでしたから、まさに、珍宝と呼ぶに相応しいものですね。
2枚目は、TBS系列で放送されていた『超!よしもと新喜劇』に出演していた頃の写真。
この番組は、1997年10月から1998年3月まで放送されていたとのことなので、辻本さんが33歳の時の写真となります。
この番組も長寿番組とはなりませんでしたから、レアな写真だと言えそうです。
最後に、比較的最近の物と思われる写真も披露しました。
2023年8月のコラム掲載時から10年以上前のものだそうですから、辻本さんが40代の頃の写真でしょうか。
60代目前の今から比べれば、この頃の辻本さんは断然若いですね。
性格で嫌われてる説の相手は小籔千豊?
辻本さんは芸に厳しく、とてもストイックな性格で癖が強めだと言われています。
その厳しさからか、時に「扱いにくい芸人」と呼ばれてしまうこともあるそうです。
性格で小籔千豊に嫌われた?
辻本さんは、同じく吉本新喜劇で座長を務めた小籔千豊(こやぶかずとよ)さんと不仲で共演NGだと言われており、嫌われているのではと噂されています。
小籔さんも芸に対するこだわりが非常に強く、自身のグッズを販売するにあたっては試作品を何度も作らせるなど、辻本さんと似たところがあるのだとか。
小籔さんは台本や配役、演出などへのこだわりが非常に強く、自身のグッズについても、何度でも試作品を出させます。辻本さんも同じでした
辻本さんは、小籔さんと同時期に吉本新喜劇の座長を務めていましたが、2019年2月に”勇退”しました。
劇場関係者による話として、辻本さんが座長を退くことになったのは、小籔さんが「辻本さんがいるとやりにくい」と会社に対して直訴したのが原因だったと伝えられています。
また、辻本さんの座長時代はファンからの評判も上々。
吉本興業が旅行会社と企画して組んでいたという「なんばグランド花月」(NGK)の公演を観ることができるツアーでは、辻本さんが座長のときがいちばん評判が良かったのだとも。
にもかかわらず、辻本さんが”座長を辞めさせられた”背景には、相当の理由があるとされているのです。
ある意味では似た者同士で、お互いに芸に対するこだわりが強いことが窺えますが、なぜ、ともに芸を高めて行けずに衝突してしまったのでしょうか。
不仲のきっかけは小籔千豊の発言?
辻本さんが、そこまで小籔さんに嫌われてると噂されることになってしまった理由は、あるテレビ番組での小籔さんの発言がきっかけだったようです。
「あるテレビ番組」については放送時期や番組名などの詳細が不明であり、あくまでも噂レベルの話となります。
その噂とは、小籔さんが番組内で「芸能界から引退してほしい人は?」という質問に対して、辻本さんの名前をあげたのではないかというものです。
放送では名前が伏せられていたので確実とは言えませんが、その人物について「ネタをパクるから許せない」という趣旨の話をしたと言われています。
後輩芸人や小籔さん自身も持ちネタをパクられており、そのことが原因で共演NGになったとも。
芸の最中に突然流れ出すBGMが、最後に携帯電話に出て着メロだったと気づくというネタがあるそうですが、それも、元はと言えば小籔さんが考えたものだったとされているのです。
まさに、噂が噂を呼ぶような状態となってしまったようですが、この2人の共演が極端に少ないのも事実のようですし、2人とも不仲説を強く否定していないようですね。
正直、確証がもてる情報がないのでなんとも言えませんが、仲が良いと思われる理由も見当たりません。
小籔さんで言えば、先輩である辻本茂雄さんとの不仲説があって、確かに小籔さんの座長公演には辻本さんは出ていません。
若い頃は同期の活躍に悩む
辻本さんは21歳で吉本総合芸能学院(NSC)に入り、当初は漫才コンビ「三角公園USA」として相方・阪上司さんとともに漫才師をしていました。
コンビ結成から3年後、阪上さんが漫才師を辞める決断をしたことで漫才を封印し、その後も漫才をすることはありませんでした。
拠り所を失ってしまった辻本さんですが、やがて先輩芸人に特徴的なアゴをいじられるようになり、アゴネタが定着します。
アゴネタはファンからも好評だったようで、仕事も徐々に増えたそうです。
しかし、そこからなかなか脱皮することができず、同期で入った石田靖さんが舞台の主役として脚光を浴びる姿を見て「このままではまずい」と悩んだといいます。
そこでプロデューサーに「アゴネタを辞める」と申し出ますが「オマエからアゴネタをとったら何が残る」と言われてしまい、以降、仕事が激減したのだとか。
先輩の内場さんや同時期に新喜劇に入った石田靖くんなんかは、ツッコミで司令塔で主役も張っているのに、僕はアゴネタばかり。
アゴネタを封印した辻本さんの転機となったのは、たまたま舞い込んだ間寛平さんの広島横断ツアーへの出演だったといいます。
当初出演予定だった主役がダブルブッキングで出られなくなり、仕事が無いためスケジュールがスカスカだった辻本さんに白羽の矢が立ったのだとか。
まさかの主役抜擢に、千載一遇のチャンスと捉えた辻本さんは全力でツッコミを披露。
それが寛平さんの目にとまり、「辻本は面白いヤツだぞ」とあちこちで辻本さんの名前を広めてくれたのだそうです。
その後は仕事のオファーも増え、やりたい役も回ってくるようになったといいますから、人の出会いとは不思議なものですね。
寛平兄さんがあちこちで〝辻本、面白いぞ〟〝突っ込みが面白いぞ〟と言ってくれていたらしくて。
10代の頃に競輪選手を目指すも挫折
辻本さんはもともと競輪選手を目指していて、自転車競技を学べる和歌山北高等学校への進学を決めたそうです。
高校生活を送っていたある日、自転車で出掛けた買い物帰りに自動車と接触事故に遭い、病院を受診。
その時、なんと左ひざに腫瘍が発見されたのだとか。
リハビリ生活を続けた1年後、今度は右ひざにも腫瘍が見つかり、医師から「もうペダルを漕ぐことはできない」と宣告され、挫折を経験したそうです。
医師から「両ひざに腫瘍ができたら、もうペダルはこげない」と言われ、人生に絶望したという。
幸いこの時の腫瘍は悪性ではなく、後の生活に支障は出ませんでした。
その後、目的を失った辻本さんですが、たまたま吉本総合芸能学院(NSC)の募集チラシを見かけお笑いを目指すことになったといいます。
競輪選手となった辻本さんも見てみたい気もしますが、そうなっていれば「茂造じいさん」も誕生することはなかったわけですから、なんとも複雑な気持ちになりますね。
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