池乃めだかの若い頃は貧乏。相方はやすよともこの父。師匠は祖母&淡路島が出生地

「よっしゃ、今日はこれぐらいにしといたるわ」の決め台詞で人気の吉本新喜劇座員、池乃めだか(いけのめだか)さん。

昔からずっと、新喜劇で活躍されているイメージがありますよね。

しかし、バンドでドラムをたたいたり、漫才コンビを組んだりしていた過去があるそうです。

そこで今回は、池乃さんの若い頃の話や、新喜劇入団前の相方や師匠などについてお伝えしていきます。

池乃めだかのプロフィール

愛称:池やん、めーちゃん、ちっさいおっさん

本名:中井昭彦(なかいあきひこ)

生年月日:1943年(昭和18年)7月3日

身長:149cm(公称)

出身地:大阪府守口市

最終学歴:守口市立第一中学校卒業

所属事務所:吉本興業

池乃めだか、若い頃は超貧乏で苦労人だった

もはや、吉本新喜劇の重鎮のお一人である池乃さん。

往年のファンにとって、新喜劇に欠かせない存在ではないでしょうか。

若い頃から新喜劇で活躍されているイメージのある池乃さんですが、入団前は別の場所で芸能活動をされていたそうです。


さらに、生い立ちには、かなりの苦労エピソードがあるようです。

池乃さんは、3歳のときに父親を脳出血で亡くしています。

父親は大工をしていたそうですが、顔は覚えていないそうです。

オトンの顔は知らんのですよ。大工やっとったらしいけど、3歳の時に病死したんですわ。脳出血いう話やね。

また、母親も病気がちで、かなりの極貧生活をしていたそうです。

池乃さんには、13歳年上のお兄さんがいましたが、貧乏生活に耐えかねたのか、蒸発してしまったといいます。

そうした流れから、池乃さんは、14歳から一人暮らしをすることになってしまいました。

そんなこんなしてるうちにオカンが入院してもうて、ますます貧乏や。そんな暮らしに嫌気が差したんちゃうんかなあ。ワシが中学2年、14歳のときに兄貴が家出してもうてな。いきなり一人っきり、生活費はない、それでもオカンの入院代はかかる。ホンマどん底やで。

中学校に通いつつ、新聞配達をして生計を立てていたそうです。

新聞配達時のエピソードは、すべらない話として語られていました。

こちらは、「人志松本のすべらない話」のスピンオフ番組として2014年に放送された「千豊小籔のすべらない話」での一場面です。

当然ですが、当時も背が低かった池乃さん独自の自転車の乗り方など、背の低さがオチになるかと思いきや、まさかのオチでしたね。

新聞配達をしながらも、中学校の成績は良かったそうです。

しかし、金銭的な問題などから、全日制の高校への進学は諦め、定時制高校に入学されました。


それでも、お母さんの入院費など、金銭的な問題が付いて回り、結局は中退されたそうです。

その後は、三洋電機に入社し、給料を得るようになって、生活が安定してきたといいます。

池乃さんは、約6年半勤務して、退職。

理由は、「飽きが来た」とのことで、今っぽくも感じます。

しかし、当時も転職や独立など、冒険しようとするスタイルが流行っていたそうです。

さして辞める理由もなかったんですが、大企業でのん気に、何の刺激もなく毎日を送っていることに飽きが来たというか、何か冒険してみようと。そういうスタイルが流行ったんです。

あてもなく退職してから、友だちを頼ったといいます。

その友だちが、姉妹で漫才コンビを組んでいる海原やすよともこのお父さんだというのですから驚きですよね。

相方はやすよともこの父で、祖母が師匠

勤めていた大企業を辞めて、池乃さんが頼った先は、会社員時代に知り合った友だちで、のちの海原かけるさんの親でした。

この、海原かけるさんが、やすよともこのお父さんです。

そして、かけるさんの母親というのが、海原お浜小浜で知られる上方漫才師の海原小浜さんでした。

つまり、やすよともこのおばあさんですね。

弟子になろうと頼んだところ、最初は断られたそうです。

その場に来ていた人たちに誘われて始めたのが、ピスボーイというトリオで、音楽ショーをしたのだといいます。


この時の芸名は、中井次郎でした。

スティックも持ったことのないドラムをみっちり10日間教えてもらっただけで初舞台にあがられたというのです。

度胸があるというのか、無謀というのか分かりませんが、解散まで1年3ヵ月続けたそうです。

解散で行くあてのなくなった池乃さんは、また、かけるさんに頼ります。

しかし今度は、小浜さんの弟子にしてもらうのではなく、かけるさんと漫才コンビを組むという形になりました。

そのため、小浜さんは正確には師匠にあたりません。

ただ、小浜さんに付いて回っていたようですので、お弟子さんのようなものですよね。

小浜師匠にはとりあえず、「あんたは弟子やない。一夫(かけるの本名)の友達として、私の用事をしとったらええからね」と言われました。良かれと思って、遠慮せんでもええで、弟子じゃないからそんなに一生懸命頑張らんでもいい関係というか位置だったんですね。

池乃さんは、海原かけるめぐるの「めぐる」として、8年半も漫才をされていたのです。

かけるめぐるのコンビを組まれてから、ケーエープロダクションに事務所を移籍されましたが、途中でさらに吉本興業に移籍されています。

吉本に移籍後、かけるさんの廃業に伴い、新喜劇などに出演しながら、新たな相方を探していたそうです。

しかし、漫才の相方が決まりかけていたところで、新喜劇での役どころが良くなってきて、漫才には復帰せずいまに至っています。

池乃めだかというお名前になられたのは、一人で活動するようになってからだそうです。

「めぐる」から、めーちゃんとか、めぐ兄やと呼ばれていたことや、体が小さかったことでめだかとつけることにされました。


屋号の池乃は、6代目桂文枝さんの案から決められたそうです。

本当の出身地は淡路島

池乃さんのプロフィールを見ると、出身地は大阪府守口市となっています。

しかし、実際に生まれたのは淡路島のようです。

淡路島生まれ、守口市育ちというのが正しいそうです。

里帰り出産や、出生すぐの引っ越しなどもありますから、生まれた場所より自分の記憶にある育った地を出身地とされている有名人は他にもいらっしゃいます。

池乃さんも淡路島での記憶が残っていないのかもしれませんね。

淡路島について話された記録は見つかりませんでした。

お仕事で淡路島に行かれることもあるようですが、親戚がいるとか、懐かしいといった感情はあるのでしょうか。

宿泊する高級旅館に現れたサプライズゲストは、吉本新喜劇の重鎮・池乃めだか!今田が20代後半、新喜劇メンバーとして舞台に立っていたころをよく知る“年の離れた親友”と淡路島グルメの贅沢ディナーに舌鼓を打ちながら、新喜劇トークに華を咲かせて…。

2023年には、80歳で座長を務め、自身の持つ最年長座長記録も更新されています。

毎日毎日、朝目が覚めて、『やった、今日も生きとった』ってそれだけで。楽しい仲間とお仕事ができて、そんなことに感謝や感動を感じる日々でおります

生涯現役を宣言したベテランは、重鎮となっても謙虚に日々の舞台をこなされています。

14歳から強いられた一人暮らしと比べ、同世代や若手など多くの仲間に囲まれて過ごす時間がとても楽しそうに伝わってきますよね。


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