風間トオル(かざまとおる)さんは、男性ファッション誌「メンズノンノ」でモデルデビューしました。
1989年にドラマ「ハートに火をつけて!」で俳優としてデビューすると、甘いマスクとスタイルの良さで若い女性から絶大な人気を誇りました。
1990年代のトレンディードラマには欠かせない存在となりましたが、幼少期はそんなキラキラした世界とは正反対の生活を送っていたそうです。
そんな風間トオルさんが幼少期に母親と父親の離婚が原因で送った壮絶な生い立ち、祖父母と暮らした川崎市の実家が極貧だった話などについて、お伝えします。
風間トオルのプロフィール
本名:須藤光春
生年月日:1962年(昭和37年)8月19日
身長:175cm
出身地:神奈川県川崎市中原区
最終学歴:東京デザイン専門学校卒業
所属事務所:ホリ・エージェンシー
風間トオル、母親と父親に捨てられた生い立ちが壮絶
風間トオルさんは、2016年3月20日に「ビンボー魂 おばあちゃんが遺してくれた生き抜く力」という著書を出版しました。
トレンディードラマ俳優のキラキラしたイメージとはかけ離れた、家庭環境や極貧のために苦労した幼少期のエピソードの数々に、注目が集まりました。
両親の離婚
風間トオルさんは、祖父母と両親の5人で暮らしていました。
ですがある日、母親が働いていた工場の男性を風間さんに紹介し、父親と離婚してその男性と一緒になろうと思っている事と、風間さんを一緒に連れていくか悩んでいる事を打ち明けられました。
まだ5歳だった風間さんは考えた末、父親と一緒に暮らすことを選んだそうです。
そして両親は離婚し、母親は家を出て行きました。
風間さんは、「自分は母親に捨てられたんじゃなくて、自分が母親を選ばなかっただけだ」と自分に言い聞かせていたそうです。
母親が出て行き、祖父母と父親の4人で暮らしていくものと思っていましたが、今度は父親が新しい女性を作って家を出て行ったのです。
母親と離婚をした後に交際を始めた女性が、祖父母や風間さんと一緒に暮らすことに難色を示したため、父親が出て行くことになったそうです。
両親に捨てられて祖父母との3人暮らしがスタートしましたが、祖父母は何事もなかったように風間さんとの生活を続けていたそうです。
そのおかげで風間さんも明るく過ごすことができた、と振り返っていました。
お金もなく状況は困難だったと思いますが、祖父母は風間さんのために努めて明るく振舞っていたのかもしれませんね。
祖父が認知症になり、祖母はパチンコで生活費を稼いだ
風間トオルさんが小学校2年生になった頃から、祖父が認知症の症状を見せ始めてきたそうです。
かなり重度の認知症だったそうで、風間さんの事も認識できていなかったのでは、と風間さんは振り返っていました。
祖母は日中にパチンコ店に通い詰めて生活費を稼いでいたため、祖父の面倒は基本的には風間さんがみていました。
昨今では「ヤングケアラー」という言葉がありますが、当時の風間さんは介護という言葉も知らない頃でした。
「とにかく自分がやるしかない」と、祖父の面倒を見ていたそうです。
時には、祖父が全裸になって外を徘徊し、家の塀に自分の便を塗りたくるなどの奇行を繰り返していたそうですが、風間さんが後片付けを全てしていました。
そんな過去を経験しながらも「貧乏は辛いけど不幸じゃありません」と言える風間さんは素晴らしい精神をお持ちだと思います。
実家が極貧だった
祖父母の年金で暮らしていたため極貧だったということですが、中でも一番困っていたのは食事についてだったそうです。
平日のお昼に食べる学校での給食が唯一のまともな食事だったそうで、それ以外は公園のあさがおや雑草、あまりにもお腹が空いた時には虫の足なども食べてみたそうです。
昨今は昆虫食がもてはやされていますが、風間さんは調理などをしていないその場で取った虫をそのまま口に入れるという、何とも危険が伴う昆虫食をしていたそうです。
以前見た動画で、風間トオルさんが極貧で生のカマキリを食べたと仰ってた
ほんとに貧しかったとめちゃくちゃ丈夫だと仰ってた
昔はイナゴを食べたでしょう?
身体への作用はわからないけど、日本人が「ほんとうに生活に困ったときに食べたものが昆虫」という歴史はあるんではないかな
— うた (@manyoushyu_uta7) January 21, 2023
ですが、食事に関しては持ち前のルックスが助けてくれたこともあったそうです。
それは年に1度、学校の女子からチョコレートがもらえる大イベント「バレンタインデー」でした。
小学校の頃から風間さんはモテていたそうで、学校で何十個という大量のチョコレートをもらって帰っていたそうです。
その大量のチョコレートを1年をかけて少しずつ食べ、栄養としていたそうです。
ちなみにホワイトデーのお返しにお菓子を買って返すようなお金はなかったため、公園で拾った松ぼっくりに絵の具で色を塗って返していたそうです。
それをもらった女子たちは喜んでくれていたそうですが、風間さんではない男子からだったらどう思われていたかわからないですね。
食事の他にも、電気代を払えないために電気が止められた時には、アパートの近くの街灯がある場所に行き、街灯の明かりで宿題をしました。
また、銭湯に行くお金もないため洗濯機に石鹸を持って入り、服と自分を一緒に洗うなど、アイデアを駆使した節約生活をしていたそうです。
地元の川崎市とのつながり
風間トオルさんは川崎市を代表する有名人として、川崎市のイベントなどにもよく出演されています。
🌟#風間トオル🌟
川崎市「かわさき健幸福寿プロジェクト」応援サポーター📣
初代の応援サポーターとして、風間トオルが2022年7月に就任致しました。https://t.co/Q8ZlXsZtLW
— ホリ・エージェンシー公式 (@horiagency_info) July 15, 2022
辛かった幼少期の思い出はたくさんありますが、川崎市を地元として愛されているそうです。
認知症を患った祖父の介護をしていたため、2022年には「かわさき健幸福寿プロジェクト」のサポーターにも任命されました。
ご自身の経験を活かして、介護に携わっている方々へのサポートがしていければ、と語っておられました。
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