前野曜子、脱退理由は恋人のため?結婚歴なし&家族と暮らした実家は銀座

前野曜子(まえのようこ)さんは、ペドロ&カプリシャスの初代ボーカリストで「別れの朝」の大ヒットで知られる歌手です。

ペドロ&カプリシャスには約3年間在籍し、3枚目のシングル「そして今は(NOW)」をリリースした1973年にグループを脱退しました。

週刊誌では酒癖の悪さによるトラブルと、恋人の黒人歌手を追いかけてアメリカに行ったと報じられていましたが、本当はどうだったのでしょうか。

そんな前野曜子さんのペドロ&カプリシャスからの脱退理由や、恋人や結婚、家族や実家についてなど、お伝えします。

前野曜子のプロフィール

本名:前野曜子

生年月日:1948年(昭和23年)1月25日

没年月日:1988年(昭和63年)7月31日

身長:159cm

出身地:東京都中央区銀座

最終学歴:宝塚音楽学校卒業

前野曜子、ペドロ&カプリシャス脱退理由は恋人のため?

前野曜子さんはペドロ&カプリシャスの初代ボーカルとして1971年10月25日に「別れの朝」でメジャーデビューするとオリコンランキング1位を獲得し、いきなりの大ヒットになりました。

2枚目、3枚目とシングルを発売するとヒットし、順調に活動を続けていましたが、1973年にグループを脱退して渡米しました。

週刊誌が報じた脱退理由

前野曜子さんがペドロ&カプリシャスからの脱退を発表すると、週刊誌は前野さんの脱退理由をあれこれと書き立てました。


前野さんがお酒をよく飲む方だったので、「酒によるトラブルが絶えなかった」「仕事をすっぽかすのでクビになった」といった理由が脱退理由としてあげられ、脱退後に渡米した事に関しては、「恋仲だったアメリカ人黒人歌手を追いかけて海を越えた」という事になっていました。

確かにお酒はたくさん嗜まれたようです。

ですが、仕事に関しては真面目で、当時の担当ディレクターも「レコーディングの時間に遅れる事はないし、礼儀をわきまえている」といった発言を残しています。

前野さんを育てたおばあさんが非常に厳しい方だったそうで、礼儀に関してはきっちりと教え込まれていました。

「恋仲になった黒人歌手を追って渡米した」という部分ですが、確かに仲良くなった黒人歌手の方がいたのは事実だそうです。

その歌手はR&Bグループ・The G-Clefsのアーノルド・スコットさんだったそうです。

実際に、1971年にThe G-Clefsが来日し、その際に前野さんとアーノルドさんは仲良くなったそうです。

そしてアーノルドさんが帰国する際、ペドロ&カプリシャスのコンサートがありましたが、メンバーに了解を得た上で前野さんは羽田空港へアーノルドさんを見送りに行きました。

遅れてステージに到着した前野さんは「別れの朝」を泣きながら歌った、という話が残っています。

ですが、前野さんが脱退&渡米をしたのは1973年です。

渡米後にアーノルドさんと合流したという話もなく、アーノルドさんを追って渡米したわけでもないようです。

関係者が語る実際の脱退と渡米

前野曜子さんは、中学生の頃からジャズを学び始め、ジャズボーカリストの水島早苗さんに師事していました。

水島さんは黒人文化に精通しておられ、前野さんはそんな水島さんからブラックミュージックなどのレコードをよく借りて聞くことにより、いわゆる「黒っぽい音楽」に惹かれていきました。


また、前野さんがブラックミュージックに傾倒したのは、自身の生い立ちからくるものもがあったのではないか、と関係者は語っていました。

前野さんは物心ついた頃から父がいなく、母は忙しく働いていたためおばあさんに預けられていたそうです。

そういった寂しさと、ブラックミュージックが生まれた根底にある哀しみのようなものに共通性を見出したのだろう、と語られていました。

ペドロ&カプリシャスとして活動している時も、アメリカに行って音楽を勉強する時間が欲しい、と訴えていたそうです。

ですが、デビュー曲から大ヒットを飛ばしてしまったため、所属事務所としては勉強のために渡米する時間など取れるはずもありませんでした。

そして多忙を極める中、前野さんはついにテレビの収録中に日本テレビのスタジオで倒れてしまいます。

その頃のことをグループのリーダーだったペドロ梅村さんは「曜子は、自分の体調のことでみんなに悪い悪いと言ってノイローゼ気味になっていた」と語っていました。

体力的にも、精神的にも、前野さんには限界が来ていたのかもしれません。

そして、程なくしてグループからの脱退が発表されました。

渡米により意識が変わった

ペドロ&カプリシャスを脱退し渡米した前野さんは、恋人のところに行ったわけではなく、リッキー&960ポンドというグループで共に歌っていたシンガーの亀渕友香さんを頼ってロサンゼルスに行きました。

憧れ続けていたブラックミュージックを学びに渡米した前野さんですが、本場のソウルミュージシャンの歌を生で聴き愕然としたそうです。

それまでは「自分もソウルを歌えると思っていたけど、その考えが崩れさった」と語っていたように、本物のソウルシンガーの歌声と自分のやってきた歌は、あまりに違っていたそうです。

そして「だったら私は日本人の歌手として、日本人らしい歌を歌おう」と思ったそうです。


半年のアメリカ生活の末に帰国し、再び歌手として活動しました。

1982年にはアニメ「スペースコブラ」のテーマ曲を歌い、ソロ歌手・前野曜子の代表曲となりました。

その後はヒット曲などには恵まれず、病気を患い入院することも多かったそうです。

晩年はアルコール依存症が深刻化し、1988年7月31日に心不全で亡くなりました。

結婚せず独身

前野曜子さんは、結婚はしていなく、生涯独身でした。

前野さんは1988年に40歳という若さで亡くなっていまいましたが、妻子ある作曲家の男性と不倫関係になっていたそうです。

そのために酒に溺れる生活の末にアルコール依存症になり、入院していたそうです。

そしてその作曲家の男性が病死し、後を追うようにその3ヶ月後に前野さんが亡くなったそうです。

実家は銀座、育ての親となった家族は祖母

前野曜子さんは銀座生まれです。

母親が銀座で人気の焼き鳥屋を経営していたそうで、ほぼおばあさんに育てられてていたそうです。


そのおばあさんが厳しい方だったそうで、前野さんはきちんと育てられました。

宝塚音楽学校に通ったのも、おばあさんが「音楽をやるなら、ちゃんとしたところで勉強しなさい」と言ったため入学したそうです。

プロの歌手になれたのは、おばあさんの教えがあったからからでしょう。

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